第10話 脅迫
本当に都合の良いことに、紀見崎巧はまだ一年六組の教室にいた。
紀見崎は何かをするでもなく、座ったままぼうっと窓から外を眺めていた。
「あ、紀見崎くん。ちょっといいかな」
「今忙しいんすけど」
とてもそうには見えない。真倉は構わず話に入った。
「本間さん。ほら、昨日の一次審査で歌ってた。この子がちょっと緊急事態なの。ちょっと知恵を貸してくれないかな」
紀見崎は本間をちらりと見ると、再び窓の外に目を向けた。
「俺、音痴って言いましたよね」
「歌のことじゃないの。……脅迫よ脅迫。二次審査に出るなって脅されてるの」
真倉は声を落とし気味に言った。
「俺にどうしろと?」
「その犯人を捕まえてほしいの。もちろんわたしも手伝うけど」
紀見崎はぎょっとして
「い、嫌だ! なんで俺がそんなことをしなくちゃいけないんだ」
「いいじゃん。どうせ友達もいなければ用事もないんでしょ。ほら、しゃきっとして。行くよ」
「いやいや。友達いるから! 用事はないけど」
「うん、はい。暇ってことね。はーい行きましょう」
真倉は紀見崎の腕を掴むと力いっぱい引っ張っていった。
「ちょっと力業じゃなかったですか?」
本間が心配そうに見つめる。
「平気平気。こいつはこれくらい強引じゃないと動かないの」
紀見崎はじたばたしながら何事か喚いているが、真倉の耳はそれをシャットアウトした。
「大丈夫なんですかねえ」
それを見ながら本間が後ろからついてくる。
「叩けば動くタイプだから」
「俺は昭和のテレビか!」
真倉、本間、紀見崎の三人はそうして一階の下駄箱へ向かった。
「ここです。わたしの下駄箱」
城岡高校の下駄箱には番号がついていて、出席番号のところに自分のローファーを入れることになっている。
紀見崎は本間の下駄箱を開け、中から紙を取り出した。
「ふーん。『お前に歌う資格はない』か。手書きだと特定されるから、文字は機械で出力してるのか。なんか怖さ半減って感じすね」
紀見崎はほかに文字が書かれていないか、紙の両面をよく調べている。
「本間さん、なにか脅迫されるような覚えは……って、やっぱり妨害か」
出場者からすればライバルが一人でも減れば、それだけ自分が合格する確率が上がる。
「ほかの出場者が妨害のために脅迫を?」
「その可能性もあるってこと。とにかく二次審査までまだ六日あるし、それまでに犯人を見つけたいよね。こんな状態じゃ気持ちよく歌えないもの」
紀見崎も話に加わる。
「案外それが目的だったりして。危害を加えなくてもメンタルを削ることはできるから」
「本間さんを脅してでも合格したい人。あるいはその人のファンが自分の推しを本番に出場させるためにやってるのかも。誰か心当たりはある?」
本間は首を横に振った。まだ雲をつかむような感じだ。現段階では、犯人を特定できそうにもない。
本間が見ている前で紀見崎は真倉に紙を渡した。今二枚の脅迫状が真倉のポケットに入っている。
「あの、先生。私はこれからどうしたらいいんでしょうか」
本間は不安げな目で真倉を見つめる。
こんなとき真倉はいつも、奥底から感情が燃え滾る。せっかくの高校生活。その貴重な時間を大切に、そして夢中に過ごしてほしい。だからこそ、それを邪魔するものは許せないのだ。青春は取り戻せない。
「とにかく今は二次審査に集中しましょう。練習は今まで通りに続けて。脅迫のことはわたしと紀見崎くんで何とかするから」
「えっ。やっぱり俺もやるんすか」
「当たり前でしょ。君、審査員でしょ。関係者でしょ」
「くそ。なんでくじ引きなんか当たるんだ。一学年三百人くらいはいるんだぞ」
ぶつぶつと恨み言を言う紀見崎を尻目に真倉は本間に尋ねた。
「本間さんってさ、なんで歌を歌うの?」
「え?」
「去年の文化祭にも出てたでしょ? 一人で。来年は一緒にやろうとか誰かに誘われたんじゃない? なのに今年も一人で出てる。別にスタイルを否定するわけじゃないんだけど、そこまでして歌うのには何か理由があるのかなって」
去年の文化祭、本間はかなり目立った。実力者ひしめく本番のステージに一年生が、しかも一人で上がっている。目立たないわけがなかった。
「確かに何人かに誘われました。でもなんかこの人とならって思える人がいなくて。それにわたしには憧れの人がいるんです。その人に人生を変えてもらったんです。先生は秋峰政紀、知ってますよね?」
もちろん知っている。もう二十年以上活躍している男性アーティストだ。
「それくらい知ってるわ。だってわたしが高校生の頃よ『光と雨』出したの」
「えー。そうなんですか! わたしも聞きます『光と雨』。あれすっごい良いですよね。ライブで聴いたこともあります」
『光と雨』は秋峰政紀の代表曲のひとつだ。
隣で騒いでいた紀見崎もいつの間にか静かになっていた。
「へえ、羨ましいなあ。それで、人生を変えてもらったっていうのはどういうこと?」
「あ、はい。わたし、中学の頃いじめを受けてたんです。言葉の暴力っていうのかな。少しの間でしたけど、ひどいことを言われる時期があったんです。なんでこんなこと言われなきゃいけないんだろうって毎日悩みました。心にナイフを突き立てられたみたいな感じで、心が死んで、冷え切っていく感じがしました。学校に行くのも嫌になって、不登校一歩手前までいったんです」
意外だった。真倉から見た本間は明るく純粋で、どんな人とも分け隔てなく接するイメージがあったからだ。
「それを見かねてなのかはわからないんですけど、父が私をライブに連れてってくれたんです。元々父は秋峰政紀と同い年ってこともあって、ファンだったんです」
中学生くらいになると、父親を毛嫌いする頃だと真倉は思ったが、本間家はその辺、うまいこといっているらしい。娘と二人でライブに行ける父親というのは世間一般からするとかなりの少数、いや勝ち組だろう。
「お父さんと良い関係なのね、羨ましい」
「え?」
「あ、ごめん。なんでもないの。続けて」
少し本間を見習わねば、と真倉は密かに思った。
「そのライブでわたし、息を吹き返したんです。秋峰さんの曲、楽しそうに歌う姿、歌への情熱、すべてがわたしにとって衝撃で。ナイフの刺さった心臓ごとグーで砕かれたって感じです。そうして空っぽになった私の心に秋峰政紀の歌が入ってきたんです。」
本間は拳を握って、少し照れるように言った。
「純愛ソングからはちゃめちゃに元気が出る曲まで色々出してるからね。そっかあ。秋峰政紀に憧れてなのか」
「はい。わたしもいつかあんな風に人を救えるくらいのエネルギーを持った人になりたいなと思ったんです。次の日からいじめなんてちっぽけなことに思えてきました。そんなことに構ってる暇はないって」
そう言って本間はふふふと笑みをこぼした。
「曲をつくったのも彼の影響?」
確か秋峰の曲の中には、彼が作曲したものもあったはずだ。
「あ、はい。特に『駆けあがれ、俺』は大好きな曲です」
少し離れたところで紀見崎がつまらなそうにしているのが一瞬見えた真倉は、彼にも話をふろうと考えた。
「紀見崎くんは秋峰政紀知ってる?」
むすっとした顔で紀見崎は
「知ってますよ」
と短く答えた。せっかく話の輪に入れてあげたのにふてくされ顔のままだ。
「好きな曲は?」
「曲は聞かないっす」
あら、そう。なんて会話の続かない奴だ。
本間も少し気を使ってか
「それじゃあ私はそろそろ帰りますね。すみません、ご迷惑をおかけして」
「あ、全然いいの。もしまた何かあったらいつでも言ってね。あ、一応校門まで見送るわ。何かあったら嫌だし」
三人は外履きに履き替え、昇降口へ向かった。
ちょうど部活動の真っ最中ということもあり、今の時間に帰る生徒は多くなかった。昇降口にも真倉たち三人を除けば一人か二人といったところだろう。
「へー。秋峰政紀って芸名なんだ」
「はい。本名をいじって今の名前になったみたいで、本当は女の子みたいな名前だって言ってました。本名は非公開なんでわからないんですけどね」
他愛もない話をしながら校舎を出て、数歩したところで、真倉たちの上から何かが落ちてきた。
次いで響く何かが割れる音。
「きゃあ」
ちょうど本間の目の前に落ちたそれは、小さな植木鉢だった。
「ちょっと、なにこれ」
校舎の方を振り向くと、ちょうど真上、二階の窓が開け放たれたままになっていた。
「真倉サン、これ」
紀見崎が植木鉢を指さしながら言った。
「あのね、ちゃんと先生と呼びなさい」
植木鉢に紙が巻きつけるようにしてある。土と破片を慎重に払いながら真倉はそれを恐る恐る広げてみせる。
そこにはまたしても機械で出力した文字で『犯した過ちにもう気づいているはずだ』と書かれていた。
再三の脅迫。さすがに本間も青い顔をしている。
姿なき脅迫者はもう校舎内に紛れてしまっただろう。今から探すのは不可能だ。ここまでしてでも、犯人は本間を妨害したいか。いや、もしかしてそれ以外の意味があるのか?
いずれにせよ脅迫がこれで終わるとは思えない。真倉の勘はよく当たる。
「真倉サン」
紀見崎がまたしても言う。
「あのね、だから先生と呼びなさいって」
「ここまでくると、確かに緊急事態かもっすね」
そのとき真倉ははっとした。
紀見崎はそう言いながら右のこめかみあたりのくせ毛をいじっている。きっと彼の中のスイッチが入ったのだろう、と真倉は少しだけ嬉しくなった。
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