第8話 一次審査
音楽ライブの一次審査は期末テストが終わった翌週、今年は七月十一日の昼休みに行われる。
エントリーした生徒たちは音楽室に集まり、そこで審査員たちの前で演奏するのだ。今年審査を担当する教員は、音楽教師である音田、軽音楽部顧問の
音田と阿多木の二人は毎年固定だが、もう一人は毎年入れ替えている。今年はそこに真倉が名乗りを上げたのだった。
だが審査員は教員だけではないのが、城岡高校の特殊なところだった。文化祭実行委員会の委員長に加え、なんと一般の生徒も各学年から一名が文化祭実行委員会により選ばれるのだ。
選び方はシンプルで、数字の書かれた紙を箱の中に入れて振る。組、出席番号の順に箱から紙を引いて、番号に該当する生徒が選出されるというものだ。
いつ始まったのかはわからないが、学校行事への積極的な参加の意識を育み、巻き込んでいくことを見込んでのものらしい。
シンプルであるがゆえに文句のつけようがなく、生徒たちはこれを〝七・一五辞令〟と呼んでいた。その年の選出が七月十五日だったのを良いことに、〝五・一五事件〟をもじってどこかの歴史オタクが言い出したのが広がったらしい。月日が経ち、日付が変わってもこの名前は変わらず生徒たちに親しまれていた。
「あっ。真倉先生、お待ちしてました」
四時限目の授業が終わって音楽室へ行くと、音田が手を振って出迎えてくれた。
「早いですね。阿多木先生も?」
「中にいますよ」
音楽室に入ると、無駄にがたいの良い阿多木が大木のような足を組んで座っていた。
軽音楽部顧問で数学担当。趣味は庭のガーデニングという阿多木の体は、その経歴からは想像もつかないほどに鍛え抜かれている。
「真倉先生、どうも。今日はよろしくお願いします」
阿多木は椅子から立ち上がると、ぴしゃりとお辞儀をしてみせた。
「いえいえ。こちらこそ」
一回りも上の阿多木にそこまで頭を下げられると、真倉としても少しどぎまぎしてしまう。
「聞きましたよ。昨日は遅くまで仕事してたみたいですね。わざわざすいません」
「これのためになるべく仕事を終わらせておきたかったんです。なんとか終わらせられて、今はほっとしてます」
真倉たちはしばらくの間、談笑をしていた。こうした時間は普段なかなかとれるものでもない。
「そういえば今年の〝辞令〟の子たちは、まだ来てないんですか?」
一通り話が盛り上がったところで真倉はそれとなく尋ねた。
「そろそろ来る頃だと思いますよ」
音田は音楽室の時計を見ながら言った。
〝七・一五辞令〟で選ばれた生徒は、審査当日まで自分が審査員であることを漏らしてはいけない、という決まりがある。これも公平を期すためのルールだ。
ちょうどそのとき音楽室の扉の開く音がした。
「失礼します」
文化祭実行委員会、委員長の
その後ろからうつむき気味に入ってくるのは
そして最後にふてくされたような顔で入ってきたのは
「あれっ。紀見崎くんじゃん」
紀見崎巧。人体模型が落とされた事件で大活躍した、あの小生意気な奴だ。
「二週間ぶりくらいだね」
間に期末試験があったために、あれから見かけることすらなかったのだが、まさかこんなところで再び会うことになるとは。
「ぷふふっ。まさか君みたいなタイプの子にくじが当たるなんて。神様もよく見てるんだね」
真倉の見立てでは、紀見崎は文句を言いながらもなんだかんだこういうことは手伝ってくれそうにみえる。だが自発的に動くことはないだろう。あくまで言われたらやる、くらいの感覚だ。
「そういう真倉先生は? 国語っすよね、教科。音楽好きなんすか?」
「わたしは自分でやりたいって言ったのよ」
そう言って真倉は手を上げてみせる。
「えぇ……。」
紀見崎は信じられないといった顔つきをする。
「ちなみに音楽は好きっていえるほどじゃない、ただのミーハー! でもそういうことは関係ないの。やりたいかやりたくないかが大事でさ。わたしは文化祭に何か関わりたいと思ったから手を挙げた。それだけ。あ、でもカラオケは好きよ」
「変な人っすね。真倉先生って」
そう言う紀見崎の頬が少し緩んだように真倉には見えた。
「君ほどじゃないけどね」
真倉もそれに満面の笑みを浮かべて応じてみせた。
「紀見崎くんは音楽好き?」
「嫌いだね」
やけにきっぱりと言うな、と真倉は思った。
「好きな曲は?」
「音楽聞かないから」
「カラオケは?」
「行ったことない」
ここまで音楽と無縁なのもすごいと真倉は思った。鉄の意志さえ感じる。
と同時に真倉はひとつの可能性に思い当たった。
「もしかして紀見崎くんって音痴だったり?」
真倉は気軽に聞いたつもりだったが、紀見崎の生気のない顔はみるみるうちに表情が消えていった。
「音痴で何が悪いんだよ。こっちだって好きで音痴やってるわけじゃないんだ」
すると、少し離れたところにいた絵波が二人の話を聞きつけて近づいてきた。
「よかった、私だけじゃなくて。実は私もなんです。本当、どうしようかって悩んでたんです。私なんか審査員やらない方がって……え?」
言い終わらない内に、紀見崎は絵波の前に立ち、手を伸ばした。
「俺、紀見崎巧。よろしくね。あんたとは仲良くなれる気がするよ」
どうやら握手を求めている、らしい。
絵波は少し驚いたような素振りを見せたが、そうだねとつぶやくと右手を伸ばして、握手に応じた。
見たことないくらいに満面の笑みだ。仲間ができて嬉しいのだろう。
「ほら、君たち。もうみんな準備できてるんだ。さあさあ座って座って。あんまり時間がないんだ。早速本題に入らせてもらうよ」
文化祭実行委員長の平沢が音頭を取る。
今年の音楽ライブには二十一組がエントリーした。その中で文化祭当日に演奏できるのは八組だけ。
まず今日の一次審査では二十一組が十組にまで減らされる。半分以上は二次審査にすら進めないのだから、真倉たち審査員の責任は重大だ。そして来週の二次審査で二組がさらにふるいにかけられる。
「それじゃあ時間もないんで一組目いきますか。どうぞ」
平沢はてきぱきと場を進める。自分にもそんな力がほしい、と真倉は手元の資料を見ながら思った。
最初に音楽室に入ってきたのは男子四人組のグループだった。資料によると全員一年生でつくられていて、バンド名は『エアロック』というらしい。
「よっ、よろしくお願いします」
リーダーだろうか。ボーカルの子なんか明らかに緊張している。
演奏時間は五分。わずかな時間の中だが、この日のためにやってきたことをとにかく全力でぶつけてほしいし、それさえできれば真倉は全員を合格にしてあげたい気持ちだった。
『エアロック』の戦いが始まった。緊張を吹き飛ばす鼓舞のようにドラムが鳴り響く。たちまち空気を震わせ、ギターと混ざり合う。どうやら最近アニメ映画の主題歌に使われた人気の曲で勝負するようだ。
それぞれの音が合わさるとやはり迫力が違う。しかも目の前で、だ。特別席でライブを観ているような感覚に真倉はなっていた。あのとき手を挙げておいて本当によかった。
ボーカルの子の歌もちゃんとうまく、声変わりしたばかりの高校生の歌声とは思えないほど、歌を自分のものにしている、と真倉は思った。
五分の演奏が終わり、『エアロック』は音楽室をあとにした。
「ちょっ……。レベル高くないですか?」
真倉は音田と阿多木の方を見ながら言った。
やはりここは音楽を専門にしている人の意見が聞きたい。
まだ二十組も残っているのだ。自分の基準が高くないのは分かっていたが、一組目からこのレベルだと後が怖い。
「そうですね。彼らはうちの軽音部の子なので、他の子と比べたらうまいと思いますよ。それにしても、一年であそこまでとは僕も思いませんでした」
阿多木は自分の部活の子を褒められたことに満足気な笑みを浮かべた。
「わたしも阿多木先生と同じ感想です。比べるものではないけど、次の子がちょっとかわいそうですねえ」
音田も苦笑いを浮かべている。
そうなのだ。これは審査。ライブの特別席ではない。公平でなくてはならないのだ。
真倉は少しばかり浮かれていた自分を律し、悩みながらも資料の下部についている評価シートに採点を書き込んだ。
「じゃあ二組目、行きましょう。『
次に入ってきたのは、ギターを携えた二年の男子だ。
このライブに参加するのはバンドだけではない。彼のようにギター片手にソロで弾き語りをする生徒もいればデュエットもいる。資料にはアカペラバンドも一組載っていたはずだ。
城岡高校文化祭の音楽ライブは出場制限のない門戸の広いイベントなのだ。
参加者は入れ替わっていく。十五組目。
「『吾輩は猫である』です。よろしくお願いします」
名前はもうある、とでも言うつもりか。このバンドは。
十五組目ということは残り六組。終盤に差し掛かり、さすがに少し疲れてきたな、と真倉は思った。
一組一組に思いがあり、個性があった。
昨年も出場した実力派四人組ガールズバンド『ハイビート』。
「えー、十六組目。次は『
音田と阿木田は集中しているのかさっきからまったく喋らないし、平沢からも始めのキレも覇気も感じられなくなっているし、紀見崎には最初からそんなものありはしない。
うなだれて音楽室をあとにした『和田ナツ子』の次。十七組目として音楽室に入ってきたのは真倉が授業を担当する二年二組の『
彼女は去年、一年生ながら一人で音楽ライブに出場していた。優勝こそ逃したものの、透き通る声と確かな歌唱力で鮮烈なデビューを飾ってくれた。
本間なら審査するまでもなく二次審査、いや、ライブに今年も出場するだろう。
「本間美緒です。よろしくお願いします」
本間は小さな体をさらに小さく畳むようにお辞儀をしてから前を向いた。微かに緊張しているのがうかがえる。
本間はスピーカーだけをピアノの上に置くと、スマホから音を出した。そして楽器も何も持たず口を開いた。
瞬間、広がる歌声。透き通った綺麗な声が体中をすり抜けていくようだ。しかし綺麗なだけではない。優しくあたたかく、包み込みながらも力がこもっている。この小さな体のどこからそんな声が出てくるのか不思議になるほどだ。
彼女が歌っている曲に聞き覚えはなかった。オリジナル曲だろうか。しかしそこに違和感はなく、むしろこの曲が歌われるために彼女が生み出されたのではないかと思わされるくらいに調和している。そしてなにより、楽しそうに歌うその姿に目を奪われる。これが審査であることを忘れさせてくれるほどだ。
本間の五分はあっという間に終わった。
「ひとついいかしら」
音田が教室を出ようとする本間を呼び止めた。
「なんでしょうか」
「さっきの曲はあなたのオリジナル?」
「は、はい」
本間は伏し目がちに答えた。
「どうやってつくったの?」
「自分でパソコンのソフトを使って」
「そう。良い曲ね。次も頑張ってね」
「あっ、ありがとうございます」
本間は丁寧にお辞儀をし、音楽室を出ていった。
去年の本間自身、そして今までの子たちと比べてもレベルが違うことは真倉も肌で感じていた。少なくとも『ババンドウ』よりは遥かにましだ。
「まさか自分で曲を作って持ってくるとはねえ。しかもあのレベルで。規格外ですわ」
阿多木も大きな体を背もたれにもたれかけさせながら頭を掻いた。
「さっきもオリジナルを歌ってるバンドがあったけど、全然レベルが違いましたね」
そんな阿多木を見ながら関も頷いた。
この様子だと本間の一次審査通過は間違いなさそうだ。
「えーそれでは次に行きましょうかね。十八組目『犬神家の一同』さん」
おっと、横溝正史の名作ミステリのタイトルを模したバンドとは。またひとくせありそうだ、と真倉は頭を抱えた。
平沢に呼ばれて入ってきた五人の男子生徒はそれぞれギターやキーボード、バイオリンを携えているが、それ以上に全員目だけ穴の開いた白いゴムマスクを頭からすっぽりとかぶっているのが目を引く。
「五人スケキヨ⁉」
しかも口もマスクでふさがっている。これでは歌えないだろうと思ったが、手元の資料によるとどうやらインストゥルメンタルバンドらしい。
出場制限がないとはいえ、懐の深さも考えようだ。
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