第6話 謎解き
宇津木たちが職員室に向かったのを見届けると、紀見崎は国木田、進藤、そして真倉の三人を見据えながら言った。
「人体模型を落とした犯人がわかりました。それと、たぶんその理由も」
「え、本当に?」
「嘘ついたってしょうがないでしょう」
理科室に一人閉じこもり、人体模型を落とした犯人がわかったというのか、この子は。
別に偉ぶる様子もなく、ただ淡々と紀見崎は喋る。新聞部の二人をこの場から追い払ったのは、きっとわたしたち教師陣の中にその犯人がいるからなんだな、と真倉は勘づいた。
「それじゃあ話してもらえますか? あなたの考えを」
国木田の視線がより一層鋭いものとなり、紀見崎に向かう。
しかし紀見崎もそれに対峙するくらいの気を放っている。あの国木田に一歩も気後れしそうにない。
「わかりました。まず人体模型を落とした理由だけど、さっきの真倉先生を見てわかったんすよ」
「え、わたし?」
「割れたコーヒーカップ。それをまた落としてましたよね。あれと同じだったんです。つまり犯人は何かのはずみで人体模型を壊してしまった。このままでは責任をとらなければならない。そこで窓から落として粉々にすることで、壊れた本当の理由を隠してしまおうとしたんじゃないかと思ったんだ」
三階の理科室から落とされた人体模型はバラバラになっていた。あれでは落下の衝撃で壊れたと考えるのが自然だろう。
「なるほど、それはあり得そうね」
「じゃあ犯人は、ということだけど。俺が犯人なら万が一壊れなかったときのことを考えて、窓から落とした後でその残骸を確認しに行くと思うんすよ。つまり、あの音を聞いて駆けつけた人たちの中に犯人がいる、ということになる」
その瞬間真倉たちの間に緊張が走った。
紀見崎はそこでわずかに間をあけた。犯人に名乗り出る余地を与えているかのようだったが、誰かが声をあげることはなかった。
「進藤先生」
声を落とし気味にし、紀見崎は進藤の名を告げた。
「先生なんでしょ。人体模型を壊した犯人は」
名前を呼ばれた進藤は体をぴくりとも動かさず、表情だけを柔和に変えて言った。
「それは何か根拠があるのかな」
「ありますよ」
紀見崎は間髪入れずに言った。
「さっき俺が理科室に瀬川と二人で来たって話をしたとき、あんたはこう言っていたよな。『放課後の逢引か』って。けど話の中で俺は、瀬川が女子だとは一回も言ってないぜ」
真倉はあっと声をあげるところだった。
同じクラスの瀬川、とは言っていたが女子であるとは言っていなかったはずだ。真倉は全生徒の名前を覚えているからわかったが、進藤は違う。
「おっと。前から知ってたっていうのはなしだぜ。あんた、こうも言ってた。『自分は授業で受け持ったクラスを覚えるので精一杯。部活もやってたら大変だった』ってね。つまり、俺と初対面のあんたが、瀬川のことを知っているはずがない」
進藤は反論もしなければ動きもせず、ただ紀見崎の推理を聞きいっている。
「にも関わらず〝逢引〟なんて男女のペアを意味する言葉を使うのは、瀬川が女子だと知らなければ出てこない言葉だ。あんた、理科室に閉じこもっていたときに聞いたんだろ? 男子生徒と女子生徒が扉の前で話しているのを」
人体模型を壊してしまい、焦る中で聞こえてくる男女の話し声。扉を開けようとあがく二人が立ち去るのを、進藤は耳を立てながら耐えたのだろう。
「男子と女子が理科室の前にいた。これがあんたの知った情報だった。だから俺が瀬川の名前を出したときに、それを自分の情報と繋げちまった」
進藤に反論する気がないのを、真倉は感じ取っていた。
やってはいけないことだが、きっと衝動的なものだったのだと真倉は感じた。窓が開けっぱなしになっていたのは焦りから。地窓から這い出るというのもかなり行き当たりばったりな方法だ。計画的ではなかったと信じたい。
同じ教師という立場もある。もう、早く認めてほしい。
「この言葉の矛盾をどう説明する? 進藤先生」
紀見崎は進藤をさらに追い詰める姿勢をみせる。
「やめて、紀見崎くん。これ以上は——」
「いいんです、真倉先生。申し訳ない、全部きみの言う通りだ」
進藤は肩の荷が下りたような清々しい表情で言った。
「申し訳ないです、教頭先生。人体模型を壊したのは僕です。翌日の授業の準備でここに来たときにはずみで壊してしまったんです。衝動的にカギをかけ、どうしようかと考えていたときに紀見崎くんたちが来た。彼らが鍵を取って戻ってくる前に何とかしないと、という思いからこんな愚かなことをしてしまいました」
進藤は頭を下げてからそう言った。
国木田は何度か頷きながら
「顔をあげてください。始めから言ってくれたらよかったものを。とにかく怪我をした人がいなかったのが幸いでした。この件の処分は後日、話し合いましょう」
と言った。
いつもの厳しく優しい国木田教頭だ、と真倉は思った。
そして今度は紀見崎へ歩み寄り
「解決してくれてありがとうございました。ただ今後は、目上の人と話すときは敬語を使えるようになりましょう。これで将来困るのはあなたですから」
「あ……はい」
紀見崎は慣れない敬語に言い淀んだ。
国木田はそれだけ言うと、何事もなかったかのように理科室から出ていき、それと入れ違いに宇津木と松村が戻ってきた。
「あれ、帰っちゃうの?」
宇津木が目を丸くして言った。
この真相を新聞部の二人に伝えるわけにはいかない。教師が犯人だと言えば、記事にされるのは間違いない。紀見崎もそれを危惧して、二人を遠ざけたうえで謎解きをしたのだろう。
どう誤魔化すかと真倉が思案していると
「悪い。俺、色々と勘違いたみたいで、結局は不慮の事故だったんだろうって話まとまったんすよ。だからさっき俺が話したことも忘れて」
「ええ? 本当に?」
紀見崎がてきとうな嘘をついた。
「ほ、本当だって」
なんとも見え透いた嘘だったが、今さらのらないわけにはいかない。
それに紀見崎も口裏を合わせろ、と目で訴えてくる。
「そうそう。なんか色んな勘違いと色んな偶然で、ね」
「進藤先生、何か隠してません?」
宇津木は相変わらずの鋭さを発揮してくる。
「なにも。それに、僕は君らの倍以上生きてるからね。何か隠すとしたら絶対に口をつぐむだけのプライドはある」
「失礼ですけど、進藤先生っていくつなんですか?」
「今年で三十二だよ」
「じゃあギリ倍にはならないですね。残念ですけど」
後ろから紀見崎がぼそりとつぶやいた。
「僕には倍以上だ」
進藤を攻めるのは得策ではないと判断した宇津木は標的を変えた。
「真倉先生~。本当は何があったんですか?」
「何もなかったよ。本当に。ほら、時間も時間だし」
真倉も自分の歯切れの悪さを自覚していたが、白を切りとおすしかない。
宇津木はどこか釈然としないといった様子で、その場で唇を噛みしめていたが
「戸締りしますので、みんな出てください」
扉に寄りかかった国木田がそう言ったのを良い機会に、ここぞとばかりに真倉たちはぞろぞろと理科室を逃げ出すようにあとにした。
彼女の言葉一つで場を収束させてしまった。権力おそるべし。国木田おそるべしだ。
進藤は国木田と共に職員室へ向かった。真倉はつきまとう宇津木たちをはねのけて、ようやく自由を得た。
「紀見崎くん」
どこかへ消えてしまいそうな紀見崎を追いかけて真倉は言った。
なにか用か、などと悪態をつきそうだなと真倉は彼の背中を見て思った。
「嫌だ、ですけど?」
眉間に皺が寄っている。
まだ何も言ってないのに、と思ったが真倉はなぜか自然と笑顔になっていた。
「ちょっと付き合ってくれない?」
真倉はまだ捨てられていなかったビニール袋を見せた。
中には粉々の元コーヒーカップが入っている。
「紀見崎くん、わたしがこれを落としたから人体模型の謎が解けたんでしょ? だったらわたしのお願い聞いてくれると思うんだけどなあ」
ちらりと紀見崎を見てみる。
「わかったよ。これで貸し借りはなしだからな」
ふてくされて言う紀見崎は、結局真倉の少し後ろをついてきた。
真倉は主に二年生の国語の授業を担当しているので、一年生と関わることはあまりない。だが真倉にとっては全生徒が教え子も同然だった。授業で関わる子も廊下ですれ違う子も、みんな同じ学校の大切な自分の生徒だ。そこに差はない。
「紀見崎くんって好きな人いる?」
ゴミ置き場に向かう途中で真倉は努めて笑顔に言った。
「いないっすね、誰も」
もう六月も半ばを過ぎている。早ければ付き合いだすカップルもいる頃だ。
「じゃあ部活は?」
紀見崎は黙ったまま不機嫌そうに、真倉をじっと見つめる。
顔は怖いが、こちらが照れてしまうほどに目は純粋だ。
「入ってないけど」
見つめ返すと、ぷいと顔をそむけられてしまう。
「あはは。そっかあ。じゃあ他のことで楽しめばいいか」
「先生、何が言いたいんすか」
「別に何も。ただ君と話がしたいと思っただけ」
帰ってもいいよ付き合ってくれてありがとうと言ったが、紀見崎はなぜか同じように真倉の少し後ろをついてくる。
まだ採点途中の小テストが机の端に置いてあるのを思い出すと、気が遠くなる思いがしたが、今はもう少しこの風変わりな生徒と話をしていたいと思うのだった。
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