第3話 密室とキミサキ
真倉が勤める
理科室があるのは校舎の三階。しかも「へ」の字の長い方の奥まったところに位置する。理科の授業でもなければ、そう近づくような場所ではない。
実際、国語の現代文を担当する真倉は、この辺りに来た覚えはほとんどなかった。
少し遅れて走り出した真倉だったが、理科室に着いたのはみんなとほぼ同時だった。窓際には男子生徒が一人でいた。
窓から外を見ていた男子生徒は足音を聞いて、怪訝そうに顔をこちらにむけた。
「ね、ねえ、きみ。こんなところで一体何をしていたの⁉」
着くなり宇津木がやや食い気味に言った。その目は特ダネを前にした記者そのものだ。
しかしそんな彼女の興奮を男子生徒は視線で冷たくあしらうと、ぶっきらぼうに言った。
「なんだよ急に、こんな大勢でおしかけて。俺が何かしたってのか」
こちらの質問は完全にスルーだ。宇津木も少々面食らったような顔をしている。しかしそこはさすがに新聞部部長。簡単には引き下がらない。早々に体勢を立て直し、もう一度尋ねる。
「きみ、名前は?」
「答える義理はないね」
「そっちになくてもこっちにあるの」
「知るかそんなこと。俺にはないんだよ」
男子生徒はふんと鼻を鳴らすと、そっぽを向いてしまった。
生徒同士ではらちが明かないと踏んだのか、代わりに進藤が前に出る。
「さっきの大きな音、君も聞いたかい?」
進藤が言うと、男子生徒はこちらを向いた。
「この下の駐車場で人体模型が壊れているのを我々が発見してね。この理科室から落とされたんじゃないかと思ってたら窓から君が顔を出したんだ。気になってここに来る気持ちもわかるだろう?」
男子生徒はどこか納得がいかないというような顔をしているが、こくりと頷いた。
「
「キ、キミサキ?」
「紀元前の紀に見る。長崎の崎で紀見崎」
変わった名前ね、とつぶやいた宇津木は、すかさずポケットから取り出したメモ帳に控える。抜け目がない。
「クラスは?」
紀見崎と進藤のその会話に、真倉が割って入った。
「一年六組じゃない? 紀見崎くんって」
「な、なんで知ってるんですか?」
「真倉先生、一年生の授業の担当されていましたっけ」
紀見崎と進藤が同時に目を丸くする。
「いえ。ただ単純に生徒の名前を全員覚えているだけです」
「ええっ。全員って全員? 全校生徒?」
「はい。わたし、暗記とかは得意なんですけど、そのぶん応用が利かないタイプなんですよね」
進藤は、恥ずかしそうに頭をかく真倉に思わず舌を巻いた。
特技や得意というのは誰にでもあり、本人にはその自覚がないことが多いが、これもまたその良い例だろう。
真倉にとって、生徒の名前を覚えるというのは、最低限今の自分にできることのひとつだった。
「いやあ、すごいなあ。僕なんて授業で受け持ったクラスを覚えるので精一杯ですよ。部活もやってたら大変でした」
「……それで結局君は何してたの?」
宇津木が教師二人を横目に、話を戻した。
下級生に邪険に扱われたと知り、少し不機嫌になったように真倉には見えた。
「これだよ」
紀見崎は右手に持ったモノをひらひらさせて見せた。
「ノート?」
「帰ろうとしたらカバンに入ってなかったんだ。午前中に授業で理科室に来てたから、探しにきてただけ。人体模型のことは何も知らないね」
何も知らない、関係ないと決めこまれても困る。なんせ彼は事が起きたと思われる頃、理科室にいたのだから。
真倉も進藤もそれをわかっている。事件があった場所の一番近くにいたのは彼だけなのだ。人体模型を落とした犯人かは置いといて、貴重な証人であることは間違いない。
「そもそも俺はさっき先生が言ってた音なんて聞いてないんだ」
あの大きな音を?
それに、と紀見崎はつけ加えた。
「理科室はカギがかかってて入れなかったから、さっき職員室から鍵を借りてきたんだ」
今度は左手をひらひらさせて、紀見崎はその手に持った理科室の鍵を真倉たちに見せた。
「ちょっと待って」
そこに一番に反応したのは真倉だった。
理科室などの特別教室は、放課後に教頭先生が施錠することになっている。これにはマスターキーを使用しているはずだ。どの教室の開け閉めもできるもので、教頭先生が肌身離さず持っている。
「もちろんだけど、理科室には誰もいなかったのよね?」
カギがかかっていた以上、国木田はその仕事をすでに終わらせていたことになる。
「はい」
そして鍵はもうひとつ。理科室を含めた各教室の鍵は、職員室の入って右の壁に揃ってかけてある。借りるにはその場にいる先生に名前と用途を伝え、さらにそれを貸し出し表に記さなければならず、常に誰かがいる職員室から、気づかれずに持ち出すことはほとんど不可能といえる。
普段鍵を使用することはほとんどなく、今日も放課後に紀見崎が借りにくるまで、鍵の貸し出しはなかった。だとしたら。
「——ということは。人体模型を落とした犯人は鍵を使わず、どうやって理科室に入り、そして抜け出したのかしら?」
先ほどの不機嫌はどこに消えたのか、宇津木は右頬に歪んだ薄笑いを浮かべながら言った。
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