第2話 事件発生

 カップの破片を集めてくれた進藤に礼を言い、真倉はゴミ捨て場へ向かった。


早いところでは帰りのホームルームが終わっているらしく、校内にはちらほらと生徒の姿がみられた。真倉はその度に手に持つ不審なビニール袋を体の後ろに隠し、にこりと笑ってみせなければならなかった。


 ゴミ捨て場は校舎の裏手のひっそりとしたところにある。日も射さない、人の行き来の少ない場所だ。


「真倉先生、こんなところで何をしているのですか?」


 抑揚はないが鋭く、よく耳に通る声が後ろからした。真倉は声の主が誰か一発でわかった。


「教頭先生。いえ、あの、これはですね」


一切の皺のない黒のスーツを完璧に着こなし、髪は頭の後ろで丁寧に結わいてある。お互いヒールを履いているが、それでも向こうが背丈は上だ。眼鏡の奥の目は冷たく、へたな小細工など瞬時に見破ってしまいそうだ。

女性らしい品と管理職としての風格を兼ね備えた国木田くにきだ教頭は、うちの学校のスーパーウーマンだ。


「あなたさっきからなにをぶつぶつ言っているのかしら」

「ああ、いえ、なんでもないです。コーヒーカップを割ってしまったので、捨てにきていたところでして」


 国木田教頭は嘘かどうかを見定めるようにじっと右手の袋に視線を送り、そうですか、と小さくつぶやくと、きっと真倉を睨みつけて


「それならそうと仕事に戻ってください。再来週には期末試験に入るんですよ。あなた、試験問題は作り終わったんですか?」


 真倉は無言で首を横に振った。


「まだ時間はありますけど、そのうちあなたも暇でなくなりますからね。お願いしますよ、真倉先生」


 まるでいつも暇しているみたいじゃない、と真倉は口をとがらせた。

 しかしそんなこと意に介さない、という風に国木田が踵を返したときだった。


 ——ずしゃん


 平穏な校舎に似つかわしくない轟音が響き渡る。ただ事ではない、と直感させられる。


事故?

まるで何かがコンクリートの地面に叩きつけられたような音だ。


「今のは?」

「わかりません。でもそう遠くなかったですね」


真倉は反射的に腕時計を見る。

十六時五分前だ。

音の聞こえた方へ、勘を頼りに真倉と国木田は駆けていった。


真倉は、自分の勘は当たる方だという自負をもっていた。今までも直感でやったことがうまくいくことがよくあった。だから今回も行く先がわかるような気がしていた。


校舎に沿って何度か曲がり、ちょうど教職員用の駐車場付近にやってきたところで真倉たちは、見慣れぬものが転がっているのを見つけた。


 大小あるがそれなりに塊といえるほどの大きさをしている。質感からして、生きているものという感じはしない。


 それがわかると、真倉は少し胸をなでおろした。考えられる最悪の状況ではなさそうだった。

しかし数歩近づいたところで、真倉と国木田は同時に息をのんだ。


「ひっ……」


 それは人間の首だった。

 いや、正確には人形。そう、理科室においてある人体模型の首だ。

 首だけではない。胴に腕、足もある。

割れたり砕けたりしてバラバラになった人体模型の各部が、辺り一面に転がっている。


「なんでこんなものがここに」


 国木田が興奮を抑えながらつぶやいた。

 周囲を見渡す。

駐車場は普段から人の往来の少ない場所だ。それに放課後といってもすでにホームルームが終わっているクラスは時間的に少ないはずだ。付近に人影どころか気配すらないのも、仕方のないことだった。


「とにかく破片を集めましょう、教頭先生。誰かが踏んで怪我でもしたら大変です」

「そ、そうね。まずはこれをなんとかしないと」


亀裂の入った無表情な顔と目が合い、真倉は背筋が冷たくなるのを感じた。

 真倉は本日二度目の破片拾いをしながら、無残に砕けた四肢を見つめる。模型とわかっていても、それが生身の人間を模していることもあってか、痛ましく薄気味悪い。


「先生! 今の音の原因はこれですか⁉」


 真倉たちが来たのと反対方向から男女二人の生徒が走って向かってくる。

 やはりあの音を聞きつけたのは真倉たちだけではなかったようだ。


「うわっ。これって理科室の人体模型? なんかきもちわる」


 そう言いつつも女子生徒は興味深そうに人体模型を観察し、その後ろの男子生徒はスマホで写真を撮っている。


「なんなのあなたたち」


 教頭が口をとがらせるのも無理はない。


「わたしは宇津木紗耶うつぎさや。二年一組で新聞部部長をしてます。こっちはカメラマンの松村まつむら


 紹介された松村はぺこりと会釈をすると、再びスマホを構え始めた。とんだジャーナリスト魂である。


「ひとたび事件が起きればいつでもどこでも現れる。それが我が新聞部なのです」


 そう得意気に言う宇津木に、真倉は内心ひやひやしていた。

 新聞部の噂は聞いたことがある。だが、あまり良い噂ではない。


相手の事情も考えずしつこくつけ回し、いつどんな時、どんな場所にも現れては、強引な取材を繰り返す。挙げ句の果てには偏見たっぷりの記事を校内に貼り出す部活だ。


だが一部には熱狂的なファンがいるらしく、また学校という限られたコミュニティの中ではそうした歯に衣着せぬ物言いが結構正しかったりする。


宇津木は、部活動だといえば多めに見てもらえると思っているのか。あるいは自分が話している相手が、我が城岡高校が誇るスーパーウーマンだと知らないでいるのだろうか。まったく悪びれる様子もない。


 なおも〝部活動〟を続ける二人を、真倉は横目に見ながら途方に暮れていると、またしても足音が近づいてきた。

さっきは着てなかった白衣を身にまとったその人は、真倉もよく知る人だった。


「進藤先生! どうしてここに?」

「真倉先生こそ。……それって人体模型ですよね?」


 先ほど真倉のコーヒーカップを片付けてくれた進藤だ。


「大きな音がしてきてみたら、ここに転がっていたんです」


 国木田教頭が簡潔に状況をまとめる。


「ああ。なんてことだ」


 進藤は青ざめた顔でつぶやいた。

彼は化学担当の教師。もちろん理科室でこの人体模型を毎日のように見ていたはずだ。砕けた人体模型を惜しむかのように次から次へと手に取っている。


「ねえ先生方。三階の窓があそこだけ開いてるけど。あそこから落とされたんじゃない?」


 おもしろがるような笑みを浮かべた宇津木がそう言いながら窓を指さした。

真倉たちのいるところのほぼ真上に位置するその窓は、宇津木の言う通り、確かに開いていた。ほかに開いている窓はないし、宇津木の言うことは正しそうに思えた。


「そうね。あの音からして、あそこから落とされたってことは考えられそうね」

「あそこは理科室のはずです。やっぱりそうだ、あそこから落ちたんだ」


 全員の視線が自然と理科室の窓に集まっていたまさにそのとき。ひょっこりとその窓から人の顔が現れた。


「だれ⁉」


 理科室からこちらを覗く顔は訝しげにこちらを見ている。顔つきからして男子生徒のようだ。


「い、行きましょう。きっとあの子が犯人だ。捕まえないと」


 進藤がいの一番に飛び出し、宇津木、松村と続いた。


「わたしはここに残って現場の保全と警備員への連絡をしますので」


 国木田はそう言うと携帯を取り出した。

 国木田と共にここに残るか。みんなを追いかけるかのどちらかだが、国木田と一緒にいるのは息が詰まってしまいそうだ。


「ちょっと、みんな。置いていかないでよ!」


 右手にはまだビニール袋が握られている。

捨てるタイミングなくしちゃったな、と真倉はため息をつきながら、みんなの後を追った。

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