真倉まどかの放課後推理日誌

鷲田大ニ

人形はなぜ落とされる

第1話 真倉まどかの災難

 六時限目終了のチャイムが鳴っても、教師の仕事は終わらない。


 なにも授業をするだけが仕事ではないのだ。教材研究やプリントの作成など次回の授業の準備。提出物の確認やテストの採点。会議があれば、その資料の作成。ひっきりなしに電話は鳴るし、部活動を持っていれば、その指導もある。


 この時間、職員室に人はまばらだが、しばらくすれば慌ただしさが漂ってくるだろう。

確かにてんてこまいの毎日だが、真倉まくらまどかにとって高校教師は憧れの職業だった。


「真倉先生、顔がうっとりされてますけど、どうかされました?」

「ふぇっ⁉」

 

 知らぬ間に隣で、同僚の進藤しんどう先生が微笑んでいた。

腑抜けた顔を見られたのではないか、と真倉はバラ色の脳内から意識を引き戻し、慌てて手で顔を覆った。


と同時に机の上に置いたお気に入りのコーヒーカップをひっかけてしまう。あっと声をあげる間もなく、乳白色の液体が机に広がっていく。


「うああっ、まずい。ええっと…」

 まずは採点途中の小テストを机の端に避難させる。コーヒーの香りのするテスト用紙を生徒に返すわけにはいかない。


確かポケットティッシュが入っていたはずだと思い、真倉は足元のカバンの中をごそごそと探った。


早いうちに拭かないと今度は床に垂れてしまう。床を汚せば掃除をしなければならない。無駄な仕事が増える、それだけはなんとしても避けたかった。


「あった!」


 ティッシュを見つけ、大喜びで起き上がった瞬間、今度は頭を机に強く打ちつけた。


「大丈夫ですか?」


 真倉の慌てぶりを面白がるような進藤の声と同時に、さらに何かがぐらりと机から落ちる気配がした。その何かは床へ落ち、無情にもガラスの割れる音がした。


 お気に入りのコーヒーカップ。

 頭が痛い。


「いやあ、真倉先生は見ていて飽きないですね。相変わらずそそっかしい。まあ、そんな真倉先生だから良いんでしょうけど」


 こんな状況で言われてもね、と真倉はあたり一面に広がる自分のコーヒーカップの残骸を見渡しながら思った。


進藤はいつの間にかほうきとちりとりを持ってきてくれていた。

少し年上の進藤を、真倉は頼りにしているところがあった。


「正直羨ましいですよ。真倉先生は生徒との距離も近いですし、失敗してもかわいいで済むけど、僕が同じことをやったら面目丸つぶれ。生徒たちにコケにされちゃいますからね」


「いえ、そんな——。わたしだって毎度しでかすたびに笑われてます。しっかりしなくちゃ、とは思うんですけど。なかなか直らなくて」


「直さなくていいんですよ。それが真倉先生の良いところなんだから」

進藤は励ましているつもりなのだろう。しかし真倉はさっきよりも頭の痛みが強くなった気がした。

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