6-5
芦の海から出たロスラフは、僅かな月明かりの中で自分が林道の出口まで戻っていることに気が付いた。
振り返ると、芦の海の向こうで懐中電灯の光が探照灯のように激しく動いている。
今はまだ池の周辺を照らしているが、こちらまで接近するのも時間の問題だと思われた。
――リアンさんは大丈夫だろうか?
彼女を置き去りには出来ないと、ロスラフは夜目の利く限り近辺にリアンの姿を探した。
「ロスラフ・シュラー」
すぐ傍でリアンの小声が聞こえ、そちらに顔を向ける。
リアンはロスラフに背中を向けて、夜目にも判別できるほどの明るい銀髪を夜風に揺らしていた。
「お前はまだこんなところにいたのか」
「リアンさん、ここまで来るの早くない?」
僕やっとたどり着いたのに、とロスラフは競争に負けた気分で尋ねた。
鼻で笑うような息遣いが返ってくる。
「察しろ」
「背が小さいから屈む必要なかった?」
「わかってるなら口に出すな」
ちょっと怒った声で言った。
ロスラフは少し笑ってから、まだ油断はできないと思い直して夜の暗さのせいで明瞭には見えていない表情を引き締める。
「もしかして助けに来てくれたの?」
「お前があの男に着いていくのを見かけたからな。後を追ってきた」
「そっか。ありがとう」
「当然だ……逃げるぞ」
話している間に懐中電灯の光がこちらへと進み始めていた。
二人は示し合わせたように暗い林道へ入り、互い同士隣に気配を感じながら走り出す。
光の射さない林道で二人は互いの表情も足元も見えていなかったが、足取りに躊躇いはなかった。それぐらい逃げることに真剣だった。
「このまま真っすぐ行けば、森の外に出られるかな?」
「おそらく、な」
「出られなかったら、どうするの?」
「夜が明ければ道に迷うことはない」
「いきなり不安になってきたよ」
逃走しながらの会話にしては間が抜けている。
リアンの気配が僅かに後ろへ下がった。
ロスラフは速度を少しだけ緩める。
「はあはあ、大丈夫?」
「お前こそ大丈夫か。息が切れてかけているぞ」
「せっかく合わせてあげてるのに、はあふう」
「身体の小さい私に負けるのは恥ずかしいだろ、はあはあはあ」
「ほんとに大丈夫?」
「だいじょ……」
答えようとした時、脚がもたついたようにリアンの体勢が崩れた。
かろうじて体勢を立て直して転倒せずに済んだが、再び走り出そうとすると身を強張らせて脚を止めてしまった。
リアンの異常に気付いたロスラフが駆け足の勢いのまま戻ってくる。
「どうしたの?」
「……なんでもない。逃げるぞ」
「ああ、わかった」
頷きながらもロスラフは走り出さない。
徐々に暗さに慣れてきた目でリアンを見つめ、とある違和感を覚える。
「あれ、オペラマスクは?」
問いかけると、リアンは見られたくないように顔を逸らした。
背中の銀髪を手で掴んで鼻から下を隠す。
「オペラマスクはあの男の銃弾で砕かれた」
「そうなんだ。顔、怪我してない?」
「幸い掠り傷だ」
「よかった。でも森を出たら手当てしようね」
「私に気を遣ってる場合か、逃げるぞ」
「走れそう?」
「……走れる」
急に気弱な声が返ってきた。
「もしかして、足挫いたとか?」
「……」
図星なのかばつが悪そうにリアンは押し黙った。
彼女の沈黙を肯定と受けとり、ロスラフは彼女の足元に屈む。
「足、見せて」
断りを入れてからリアンの足を手に取り、利き始めた夜目で怪我の度合いを確かめる。
軽く捻るとリアンの口から呻きを抑え込むような息が漏れた。
「痛そうだね」
「……お前に心配されるのは忸怩たるものだな」
「そんなふうに言わない方が良いよ。誰にも心配してもらえなくなるよ?」
ロスラフは説教じみたことを言ってから、屈んだ姿勢のままリアンへ背中を向ける。
「走れないなら背負った方が早いよ。ほら」
「子どもじゃあるまいし」
「子どもとか大人とか関係ないよ。君を置いて僕だけで逃げられるもんか」
「……仕方がない奴だな」
ロスラフの我が儘に折れて、リアンは眼前の大きな背中に凭れかかった。
小さな身体の重みを肩と背中に感じながらロスラフはゆっくりと腰を上げる。
「逃げるよ。しっかり掴まってて」
「軽いだろ私」
「それ自分で言うかな。けど本当に心配になるぐらい軽いね」
「お前は背丈のわりに貧弱な身体つきだな」
「僕は普通だよ。父さんと比べるのはやめて」
軽口を叩き合いながら二人は同じ目線の高さになって林道を進んだ。
夜空は少しずつ白み、二人の視界にも段々と明るさが戻ってきた。
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