6-2

 配給活動を終えた平民党は、祝宴を開くから主役として参加して欲しいというドナイティの誘いに応じ、街で唯一の客人用の木賃宿に貸し切りで泊まることになった。

 インネレシュタット都市部の一人部屋賃貸よりも文明の遅れた木賃宿ではあるが、ロスラフは住人たちの心遣いそのものに感謝し、設備の劣悪さなど気にしてはいない。

 三時間ほどに渡る祝宴がドナイティの音頭でお開きとなると、祝宴に参加したスラム街の有力者と言ってもいい初老の男女四人が千鳥足で宿の出入り口に群がった。

 酔っ払った参加者の介添えをすることになったドナイティが、スラム街の有力者四人とともに宿を出る間際にロスラフへ頭を下げる。


「それではシュラーさん。夜遅くまでお付き合いいただきありがとうございました」

「いえいえ、こちらこそ。こんな楽しい場を開いてもらって光栄です。僕も皆さんを家まで送るのを手伝いましょうか?」


 ドナイティに肩を借りているへべれけの男性を見て、ロスラフは親切心で申し出た。

 遠慮の意でドナイティは手を顔の前で振る。


「それには及びません。宴だからといって羽目を外して飲み過ぎるのが悪いのですから」

「ドナイティさん一人で四人を送っていくのは大変でしょう?」

「なんのなんの。酔ってはいますがみんな自力で歩けます。それよりもシュラーさんはご友人の介抱に当たった方がよろしいのではありませんか?」


 そう促すドナイティの目が、ロスラフ越しにテーブルへ突っ伏すフリッカに向かった。

 ドナイティの言うご友人が誰の事なのか思い当たっているロスラフは苦笑を返す。


「すみません、フリッカも飲み過ぎたみたいで。僕が止められれば良かったんですが」

「フリッカさんでしたか? 彼女はあまりお酒には強くないようですね」

「周囲の空気に流されやすいので、つい量が増えてしまったみたいなんです」

「くれぐれもお酒は控えめにするようシュラーさんの方から言ってあげてください」

「そうします」

「では、自分はこれで。明日の演説楽しみにしてますよ」


 宴会の最中に急遽決定した明日の演説へ応援の言葉を贈ると、ドナイティは有力者四人を連れて宿を後にした。

 ロスラフはドナイティがトタン板の家屋が並ぶ方角へ進んでいくのを見届けると、フリッカの突っ伏すテーブルまで戻った。

 近寄っても身じろぎすらしないフリッカを案じ、彼女の身体を軽く揺する。


「フリッカ?」

「ふわー。おっきなカエルが降ってくるぅ」

「どんな夢見てるんだよ」


 フリッカの場面を想像しがたい寝言に、思わず身体を揺らす手を止めた。


「ロスラフがぁ、カエルに踏みつぶされちゃうー」

「それはマズいな」


 相変わらずフリッカの見ている夢の内容が想像つかなかったが、夢の中で踏みつぶされるのを避けるために再度フリッカを起こしにかかった。

 先程より強く揺らすと、フリッカが自ら身動ぎする。

 テーブルから顔を上げたフリッカが眠そうな目でロスラフを見つめた。


「ロスラフ?」

「僕だよ。結構酔ってるみたいだけど大丈夫?」

「お酒弱いの忘れてた。頭がジンジンするわ」

「周りに合わせて飲み過ぎるからだよ」

「ごめんなさい。ロスラフ」


 ロスラフに迷惑をかけたのが申し訳ないのか、フリッカはしゅんとして肩をすぼめた。

 気にしないでいいよ、と返しながらロスラフは彼女の対面の席に腰掛ける。


「眠いならベッド行きなよ。こんなところで寝たら風邪引いちゃうからさ」

「じゃあ、もう寝るわ……ふぁ、ロスラフは?」


 小さく欠伸をしてから特に意味もなさそうに尋ねた。

 ロスラフは微笑み返す。


「僕は明日の演説内容を考えてから寝るよ。急に頼まれちゃったからね」

「私は考えなくていいの?」

「今のフリッカに手伝いはさせられないよ。ユルゲンさんがまだ起きてるからユルゲンさんに意見を貰うことにするよ」

「不甲斐ないわね、私」

「そんなことないよ。凄く頼りにしてる」

「ありがとうロスラフ……寝るわ」


 フリッカは酔いのせいか頬を紅潮させたまま席を立ち、寝室へ歩いていった。

 酔ってるわりには口調がしっかりしてたな、とロスラフはフリッカの酒気帯びの姿に意外の感を覚えながら、スーツの内ポケットから手帳とボールペンを取り出した。

 手帳は常に携帯しているため、整然と文字や数字で埋められたページばかりだ。

一冊の半分ほど捲ってようやく空きページを見つける。

 演説でどんなことを話そうか思案してページの上を繰り返しペン先で叩く。

 その時、出入り口のドアが開いた。


「あの方達はもう帰ったようだね。ロスラフ君」


 謝辞からかな、と考えたところで酔い醒ましに外へ出ていたユルゲンが戻ってきた。

 ロスラフが顔を上げて目を向けると、ユルゲンは不思議そうに部屋の中を見回す。


「フリッカはどこに行ったのかね?」

「寝室に行きましたよ。ちょっと酔ってたから疲れが一気に湧いてきたんですよ」


 苦笑いしながらフリッカの行方を答えた。

 そうかね、とユルゲンは納得し、ロスラフの持っている手帳を見つめる。


「何を書いているのかね?」

「明日行う演説の内容を考えています。急に頼まれたので何も決めてなくて」

「そこまで真剣に考えるものではないと思うがね。選挙活動は終わったのだし、演説と言ってもロスラフ君の話を聴きたいだけだろう」

「話って何を話せばいいんですかね?」

「私に助言を求めないで欲しいな。君はもう国政を担う立派な政治家だ」


 ロスラフの予想に反してユルゲンは冷淡とさえ言える声音で言った。


「でも、ユルゲンさんの方が……」

「それよりも大事な話があるんだがね」


 経験豊富で、と続けようとしたロスラフの声に被せるようにしてユルゲンが切り出した。


「大事な話……ですか?」


 とりあえずユルゲンさんの話を聞くためにロスラフは自分から問い返した。

 ユルゲンの瞳に憂いの色を浮かぶ。


「ジルベルトの事なんだがね」

「父さんですか?」


 ユルゲンの目に浮かんだ憂いの意味がロスラフには分からない。

 ロスラフの焦慮に答えるようにユルゲンは滔々と話し出す。


「息子である君にだけは、ジルベルトが襲われた事件の真相を話しておこうと思ってね」

「真相ですか。どうして今になって?」

「今だからこそだ。ロスラフ君が議席を獲得したら話すつもりでいた」

「それで真相というのは?」


 逸る思いで問いかけた。

 ユルゲンはロスラフの気早を遮るように片手を突き出す。


「ここでは差し障りがある。ジルベルトが襲われる理由となった場所まで行こう」

「そこに行けば父さんが襲われた理由がわかるんですね?」

「そうだ。もちろん見たいだろう?」

「はい」


 ロスラフは迷いなく頷いた。

 ユルゲンがフリッカの居る寝室に目を向ける。


「念のためにフリッカに二人で出ていくと伝えておいてくれないかね。ロスラフ君がいないと捜してしまうかも知れない」

「そうですね。伝えておきます」


 同意したロスラフはすぐにフリッカの寝室へ足を運んだ。

 ユルゲンはコートを着直して、先に外で待つことにした。


 

 すっかり日暮れた時頃、リアンは意識の外から耳慣れた少年の声を聞いた。


「先生。起きて。リアン先生」


 少年に呼び掛けられ、揺さぶられた。

 脳が揺れる不快な感覚によりリアンは一瞬で覚醒する。


「揺するな!」

「うわぁ!」


 びっくりした少年がリアンに負けない声量で叫んだ。

目を開いたリアンの眼前でヨッドが腰を抜かして座り込んでいる。

 リアンはオペラマスク越しにヨッドを見据えた。


「なんだヨッドか。先生を驚かすな」

「こっちのセリフだよ先生! せっかく起こしてあげたのに大声出すなんてあんまりだ」

「先生の国宝並みに優秀な頭脳を揺らすからだ。もっと大切に扱え」

「先生、ゴミ籠の中で寝てたから威厳ないよ」

「うるさい。生徒は先生の言うことを素直に聞くものだ」

「横暴だ」


 ヨッドの抗議を聞き流しながら、リアンは廃棄物用の鉄籠から上体を起こした。この時ようやく日暮れて周囲が暗くなっていることに気が付いた。

 念入りに修道服についた塵を手で払ってからヨッドに尋ねる。


「ヨッド。見覚えのない男を見なかったか?」

「藪から棒に何なのさ?」

「見覚えのない男を見なかったと訊いている」

「知らない。見てないよ」


 ヨッドは首を横に振った。

 そうか、とリアンは相槌を返し、しばし思案の間を置いてから話題を切り替える。


「ロスラフ・シュラーは生きてるか?」

「頭おかしくなったの先生?」

「次の授業で出す宿題百倍だな。で、ロスラフ・シュラーは生きてるか?」

「シュラーさん生きてるよ。というか、宿題百倍はやめて!」


 短く答えてからヨッドは哀願した。

 承知したように頷いてからリアンは質問を続ける。


「これに答えたら宿題五十倍まで減らす。ロスラフ・シュラーは今どこにいる?」

「答えてもまだ五十倍か……シュラーさんはお客さん用の宿にいるよ」

「あいつは泊りか。何かあったのか?」

「それに答えたら宿題の量を元に戻してくれる?」

「十倍だ。で、ロスラフ・シュラーはどうして宿に泊まってるんだ?」

「シュラーさんのお祝いをするんだって。おとっちゃんもお祝いに参加してて、僕は家に一人になっちゃうから友達の家に遊びに来てたんだ」

「そうか。では行かなくては」


 宣言するように言ってリアンは立ち上がった。

 鉄籠から出るとヨッドに人差し指を向ける。


「あまり夜遅くまで遊ぶんじゃないぞ」

「わかった」


 ヨッドが頷くと、リアンは身を翻す。


「ロスラフ・シュラーの身が危ないから行ってくる」

「それはどうか知らないけど、宿題の量がまだ十……」


 ヨッドが言い切る前にリアンは駆け出し、あっという間に路地から通りへ闇に溶け込むように姿を消した。


「宿題十倍は嫌だよぉぉぉぉ!」


 狭い路地に残されたヨッドの悲痛な叫びが侘しく反響した。


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