六章 配給活動を続ける。祝宴を催される。
6-1
平民党のロスラフ・シュラーは、見事インネレシュタット市で一議席を獲得した。
通例であれば協力者などを招待した祝いの席を設けるのだが、彼は違った。
正式に国政の議席所有者に任命された日から五日後の朝時、ロスラフの姿はスラム街の中央広場にある。
祝いの席になけなしの資金を費やさず、当選以前から実施しているスラム街での配給活動の真っ最中だ。
「ねえロスラフ?」
子連れの女性にパンを手渡したばかりのフリッカが、彼女の後ろで紙袋からパンを取り出しているロスラフに振り向いて話しかけた。
「当選したのはロスラフなんだから自信持って前に出たらどう?」
「やっぱり堂々としていないとダメかな?」
「これから国政に関わっていくのよ。こんなところで尻込みしてて大丈夫かしら?」
「皆の祝ってくれる言葉がくすぐったくて、つい遠慮しちゃうんだ」
幼馴染の背中を叩くような苦言に照れ笑いを返した。
フリッカは呆れた目でロスラフを見る。
「ほんとに政治家らしくないわね」
「ごめん。政治家らしくあるよう努力するよ」
「ロスラフ君。フリッカの言うことは最もだと思うがね」
フリッカの肩を持つ初老の声が割り込んだ。
副党首のユルゲンがパンの補充ついでにロスラフへ諫めの視線を向ける。
「ロスラフ君はまだインネレシュタット市民の三分の一の期待を背負っている自覚が足りてないかな。これから先も弱気のままでは来年にはすぐに新政党に呑まれてしまうよ」
「ご忠告ありがとうございます」
「これではフリッカの方が人目についてしまっている」
ほんと叔父さんの言う通り、とフリッカが同意してちょっぴり頬を膨らませた。
ロスラフは検討するように目を伏せてから、自分へ言い聞かせるかのように強く頷く。
「確かに僕は小心が過ぎるかもしれない。逃げちゃダメですよね」
「そうだね」
「ロスラフ。じゃあ私と代わって」
フリッカが先程まで立っていた場所にロスラフを促す。
「代わるよフリッカ。後は僕に任せて」
ロスラフは請け合い、配給所に並ぶ住人達の列の前に勇姿を晒した。
住人達の表情はどれも新しいリーダーの登場に明るくなっている。
この日も配給活動はつつがなく終わった。
ロスラフ達一行が配給活動をしている一方で、白い仮面の恰好をしたリアンは廃棄物用の網籠の陰に身を隠して一人の男の背後を取っていた。
彼女は配給活動が行われる度に中央広場へ抜ける狭い路地を虱潰しに歩き、一通り巡回が済むと更地の柵に腰掛けて見張りにつく。
十年前の悲劇を二度と惹き起こさないために彼女が一人で出来る予防策だった。
今まで巡回を試みて不審者を見かけたことはなかったが、この日は配給所の斜め前の狭い路地から見覚えのない細身の浅黒い肌をした男が中央広場の様子を無言で眺めていた。
リアンの頭の中には街の住人の顔が網羅されており、男の顔はその羅列に入っていない。
怪しい行動や得物を取り扱えば即刻に問い詰めるつもりで、リアンはじっと浅黒い男の監視を続けている。
男は始終にわたって動きがなかったが、配給終了が告げられ住人達が帰路に着いた頃、外套の内側から銀色に光る刃物を取り出して状態を確認するように指でつつき始めた。
廃棄物の籠の陰からリアンは男の持つ刃物を覗き見る。
人を殺すには充分な長さと鋭利さのペティナイフだと見定めた瞬間、後先も考えずにその場で立ち上がっていた。
「おい。貴様!」
突発的なリアンの声に、男は警戒の感じられないゆっくりとした動作で振り向いた。
リアンは立ち上がってから気付いた男との身長差に後ろ足を引きそうになりながらも、仁王立ちで対峙する。
「貴様はそのナイフで何をする気だ!」
「……?」
男は無言で不思議がっている目を返してくる。
「答えろ。そのナイフで何をする気だ!」
「……?」
「答えろと言っている!」
「……お嬢ちゃん」
小さな身体で精一杯に詰問するリアンに向かって、男はまるで幼児に対するような口調で呼びかけた。
リアンが詰問を繰り返そうとオペラマスクの下で口を動かす寸前、余裕さえ窺える侮蔑の笑みを浮かべる。
「その恰好は白い仮面の真似かな?」
男の見下す態度にリアンは奥歯を噛みしめたくなるほどに腹を立てる。
「いいから質問に答えろ。そのナイフで何をする気だ!」
「店屋で研いでもらった帰りなんだ」
答えてから嘲るように笑いの声を出した。
リアンは仇を見る心持ちで男を睨み上げる。
「この街に刃物研ぎをやる店などない。本当は何をしに来た?」
「……おいメスガキ。お前はこの街に住んでるのか?」
問いかける男の口調に煩わしさが混じる。
リアンが無言を返すと、男は手にしているペティナイフに目を落とした。
「まったく面倒だな。標的以外の人殺しはしたくなかったんだ」
「殺しが目的だな?」
果たし状を突き付けるように問い詰めた。
男は黙り込んでリアンを睥睨する。
睥睨する目には開き直ったような殺意が湧いていた。
「殺しが目的か、と訊いてる。答えろ!」
「そうだ。殺しが目的だ」
肯定すると、一歩だけふらりとリアンへ歩み寄った。
リアンは咄嗟に廃棄籠の傍に落ちていたガラス片を掴む。
「口封じしないと、な」
男が呟きながらナイフの先端をリアンに向けて接近する。
荒事になるのは避けられないとリアンは覚悟し、小さな身体を支える脚とガラス片を持つ手に力を入れた。
地面を蹴り、廃棄物用の籠の縁に片足をかける。
「メスガキ。逃げる気か?」
リアンは籠の上に立つと目線が男と同じ高さになる。
そのまま籠を踏み台に跳び上がった。
男は特に身構えることもなくリアンの姿を目で追う。
「何がしたいんだ。メスガキ?」
「……許さん」
リアンは静かに声を漏らすと、路地の壁を蹴って神速の如く男の背後を横断した。
反対側の壁に片手と片足をつけて衝撃を減らしてから着地する。
男が癪に感じた素振りでリアンを振り返った。
青筋を浮き立たせた脅しの表情で睨み下ろす。
「ちょこまか動くなメスガキが。刺し殺すぞ」
「……私はお前の蛮行を許さん」
「あ?」
男は難しい問いをされたように顔を顰めた。
それでもリアンは物怖じせずに男と向かい合う。
「二度と悲劇は起こさせないぞ」
「あ? あ……」
男はまた顔を顰めてから、急に違和感を覚えた様子で左手を首の後ろに触れた。
べっとりとした感触に愕然として首に触れた手を見る。
男の手は男自身の血で赤く染まっていた。
数瞬の間に何をされたのか理解し、頭に血を上らせてリアンを睨みつける。
「おいメスガキ。何しやがった」
「当然のむく、ふぐっ……」
答えかけたところで、男の太い腕がリアンに細首に向かって伸ばされた。
細首を掴むと容赦なく絞め付ける。
「死ね。メスガキ!」
「んっ――んっ――」
抑制無しの膂力に締め上げられ、リアンの手から息苦しさのあまりガラス片が落ちた。
悶えるリアンの身体が軽々と男によって持ち上げられる。
手足をじたばたさせても、男は一切の痛痒を感じていない憤怒の形相でリアンの首を絞めていく。
リアンの視界が急速に眩んでゆく。
「っ――」
「クソっ!」
リアンは意識を切らしかけた刹那、廃棄物用の籠に叩きつけられた。
鉄網の揺動する音と彼女の呻き声が重なる。
叩きつけられた時に頭を打ったのか、唐突にリアンの意識は朦朧としてきた。
また私は悲劇を防げないのか――
薄れていく意識でリアンが見たのは、首の後ろを手で押さえながら中央広場から遠ざかる方向へふらふらと歩いていく男の姿だった。
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