5-5

 開票日から三日後の夜。

 インネレシュタットの市長宅で議席所有者の任命式が行われた。

 市長による任命と証書の受け渡しが済むと、あとは自由参加の懇親会となった。

自由参加とはいえ他の議席所有者の目があるので、初参加のロスラフは挨拶回りに骨を折る羽目になり、有社党の党員ばかりの会場で形ばかりの自己紹介をして回っていた。

 わずか一厘の差で議席を獲得したロスラフへの風当たりは決して生温いものではなかったが、この場にいた有社党の長であるヨーゼフ・クローゼの神通力か、あからさまな敵意を示す者はいなかったのは幸いだった。

 挨拶回りが一通り終わると、取り巻きと歓談していたヨーゼフ・クローゼに近づいた。

 ロスラフに気が付いてビアグラスを持ったまま振り向くヨーゼフに、物腰低く口元を緩ませて会釈する。


「こんばんは。ヨーゼフ・クローゼさん」

「うむ、こんばんは。ロスラフ・シュラー君」


 頷きながら挨拶を返したヨーゼフが、ロスラフの顔を見たまま満足そうに微笑む。


「良い顔つきだ」

「そうですか?」

「議席獲得おめでとう」

「ありがとうございます」


 悪意のない祝辞に他人行儀に頭を下げた。

 ヨーゼフはビアグラスを覗く動作で間を取ってから切り出す。


「議席を取れなかったら平民党を吸収するという約束だったかな?」

「ええ。でも僕たちは議席を獲得しました。平民党はなくなりません」

「ははは、言い逃れ出来ないぐらいにうちの負けだ。平民党を吸収しようなどとは金輪際言わないことにするかな」

「しかし無効票がなければ僕たちの負けでした。運が良かっただけです」

「運も実力のうちではないかな。それに運だけであそこまで票は伸ばせるものではないよ。やはりロスラフ君はうちに欲しいな」


 そう言うと呵々と笑った。

 ロスラフは謙遜するように苦笑いする。


「僕は引き抜きされるほど優秀な人間じゃありませんよ。すでに熱されていた父の後釜に座っただけです」


 言ってからロスラフの脳裏でスラム街での活動が思い出される。

 平民党が議席を獲得できたのは父がスラム街の住人に残してくれた信頼と、スラム街の皆の応援のおかげだ。

 決して自分の実力ではない、とロスラフは痛感する。


「惜しいな。有社党の一員として君を正式に迎え入れたかった」

「すみません。僕は平民党のロスラフ・シュラーなんです」

「致し方ない。潔く手を引くとしよう」


 ヨーゼフは自身へ言い聞かせるように強く頷いた。


「これからは同じ議席所有者としてお世話になります。クローゼさん」

「改めてよろしく。ロスラフ君」


 立場が同等となり和解を示す。が、すぐにヨーゼフが困ったように眉を顰めた。

 どうしたのかと目顔で問いかけるロスラフに向かって、気掛かりのある顔で話し出す。


「約束通りゆかずラーマンさんには悪い事をしたな、とちょっと後ろめたくてな」

「ラーマンさんってユルゲンさんのことですか?」


 フリッカとヨーゼフは面識がないだろうと推測してロスラフは問い掛けた。

 ヨーゼフは頷いて肯定し、話を続ける。


「平民党を吸収するという話を最初に提案したのはラーマンさんだ。俺は前々からジルベルトの息子としてロスラフ君の事を買ってはいたが、引き抜こうという考えはなかった」

「……どうしてユルゲンさんが平民党の吸収を持ち掛けたんですか?」


 ロスラフはヨーゼフの話にしばし絶句してから絞り出すように尋ねた。

 たちまち重苦しい雰囲気に変わりそうなのを、ヨーゼフは快活な笑顔で吹き飛ばす。


「ロスラフ君。別に暗い話ではないんだ」

「そうなんですか?」


 ユルゲンさんが平民党を売ろうとしていた、という信じがたい裏切りを想像してしまっていたロスラフは呆けた顔で訊き返した。

 彼の反応を当然のように見ながらヨーゼフが笑顔をさらに濃くする。


「ラーマンさんはロスラフ君の事を心配していたんだ。支持者の少ない平民党で才能を埋もれさせてしまうのは勿体ない、と言ってね」

「勿体ないも何も、僕は好きで平民党の党首やってただけですよ」

「あの人が一番ロスラフ君の政治家としての腕を買っていた。だからこそ国政を担う有社党の俺に平民党の吸収を持ち掛けて来たんだ。平民党を吸収すれば他の政党から反感を買うことなくロスラフ君を有社党へ迎え入れられるだろう?」

「今回の選挙で議席を取れなかったら、政治家やめようかなって考えてたんですよ」

「ははは、そんなに有社党が嫌いか」

「どちらかといえば敵なので嫌いです」

「そういう実力者相手でも阿りの態度を取らないところも君の良さなんだよな」

「でもよく優柔不断って言われますよ。それにお人好しとも」

「誰にでも大きい態度で出る者は嫌われるだけだ」


 ははは、と笑ってロスラフの背中をバシバシ叩いた。

 ヨーゼフさんってこんな面倒な人だったのか、とロスラフは本人に聞こえたら落ち込みそうなことを思いながら話を戻す。


「勿体ないか否かは置いておいて、ユルゲンさんはどうして僕の事を買ってくれていたんですかね?」

「それはジルベルトの息子だからだろう。俺はそう思ってる」

「いや、それヨーゼフさんの意見じゃないですか」

「俺も聞いてない。まあ機会があればラーマンさんから聞けばいい」

「僕はユルゲンさんの優しさを裏切ったわけですよね。余計に聞き出しにくいです」


 ユルゲンが契約の発案者だというのは衝撃だったが、不甲斐ない自分を支えてくれた副党首に対してスラム街の出入りの事や独断専行による配給活動など反抗的な態度を取ってしまい、これ以上の迷惑を掛けたくないのが本音だった。



 平民党の議席獲得が決まった翌日から、副党首のユルゲンはほっとして気が抜けたと口実を設けて三日間の休暇を貰っていた。

 しかし休暇でも寛ぐわけでなく、とある目的のために暗黒街のビアホールを再び訪れた。

鬱屈した雰囲気の店内に入ると、隅のテーブル席に腰掛けていた頬に傷のある浅黒い男がユルゲンを見つけて手を挙げる。

 ユルゲンが気付いてテーブルに歩み寄ると、男はニヤリと野卑に笑った。


「よお、ラーマンさん。今日は支払いの日じゃないぜ?」


 ユルゲンは十年前のある事件をきっかけに、毎月この男に金銭を支払っている。


「ああ。わかっている」


 絡むような声の男へ淡白に答え、ユルゲンは正面の席に座りコートの内側に手を入れた。

 コートの内側から一葉の写真を取り出して男の前へ置く。

 何用だ、という目を男が返してくる。


「なんじゃこりゃ?」

「写真の青年を知ってるか?」


 訊かれた男はより詳しく写真を見た。

 写真には鳶色の髪と気弱そうな顔を引き締めたスーツ姿の青年が一人立っている。


「知ってる奴だ。因果だね」


 記憶に自信がある様子で男は言った。

 話が早い、とユルゲンが写真を指でつつく。


「この青年のことについて仕事がある。頼まれてくれるか?」

「仕事の内容は?」


 男の目に美味しい物を見つけたような執着が宿る。

 ユルゲンは飽きたように眦を下げた。


「前回と同じだ。言う前からわかっていただろ?」

「まあな。ラーマンさんの目的を知ってるのは俺ぐらいのものだからな」

「それなら言わせるな」

「で、実行日はいつだ?」


 些末な説明がまどろっこしく男は前のめりに尋ねた。

 男の逸る気に呆れたようにユルゲンは溜息を吐く。


「失敗できない計画だ。話をきちんと聞いてくれ」

「細かい事は気にしなくていいだろ。前回と同じなんだろ?」

「同じだが事前の準備が成功率を上げる」

「相変わらず理屈っぽいね」

「慎重なだけだ。この計画で私の人生が左右されるからな」

「そうかい。まあ俺は報酬さえくれれば文句は言わねえけど、もちろん前払いでな」

「実行前日までには用意する」


 前回に仕事を依頼した経験から相手の提示するであろう報酬金を大体予想できたユルゲンは、さしたる動揺を見せずに言い切った。

 男は我が意を得たりと口元を歪める。


「約束は守るラーマンさんだからな」

「払えない額は事前に払えないと教える。踏み倒すつもりはないから安心したまえ」

「それと一つ引き受ける条件を足してもいいか?」

「……なんだね?」


 ユルゲンが訊き返すと、男は面白い事を思いついた笑みで答える。


「俺には倅がいるんだが、この仕事を倅にやらせたい」

「どんな人間だ?」


 仕事を任せてもいい存在か確かめるため問い質す。

 犯罪者の子が犯罪者になる、という悪の連鎖は暗黒街では別段珍しいケースではない。この男と息子の関係も当てはまる。


「細身だが俺に似て肝は据わっててよ、それにこういう仕事にも慣れてる。実行者が変わるだけだから問題はねえだろ?」

「どうして息子に仕事をやらせようとする?」

「倅は次の仕事でこの稼業から足を洗うって言ってんだ。父親としても花道を飾ってやりたいのは当然だろ」

「私も姪がいるから気持ちはわかる。そういう理由なら構わない」


 姪のフリッカを思い浮かべながら承諾した。

 ユルゲンの返答に男は満足げに腕組をする。


「今日はとりあえず計画内容を詳しく教えてくれ、額は明日までには考えておくからよ」

「では計画の日取りと場所から説明する」


 ユルゲンは前置きもなく計画案の詳細を話し始める。

 平民党副党首と暗黒街の男の談合は、ビールがぬるくなるぐらいの時間続いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る