五章 投票間近、演説を行う

5-1

 投票日まで残り一週間と迫った日の事。

 ロスラフは事務机に座って選挙活動期間の大詰めとなる一週間の予定を練っていた。

 投票日前日まで予定を埋めたところで、選挙情報を集めるために新聞を読んでいたフリッカが満面の笑みで新聞を手にしたままロスラフの席に歩み寄ってくる。

ちなみにもう一人の党員であるユルゲンは、有社党の活動地域を把握するために外出している。


「ねえロスラフ」

「随分と嬉しそうな顔して、どうしたのフリッカ」

 普段から愛嬌あるフリッカがいつにも増した喜色を浮かべているのを不思議に感じながら尋ねる。

 フリッカは手に持っていた新聞をロスラフの眼前に広げ、左隅に人差し指を添える。


「ここに私たちの活動が載ってるのよ」

「ほんとに、どれどれ?」


 中間辺りのページの左隅にある見逃しそうなほどの小さな枠。

 短い文章で平民党の配給活動の事が書かれてあった。

 記事を読み終えたロスラフは嬉々としているフリッカに目を戻す。


「こんな小さい記事、誰も読まないんじゃないかな」

「でも、今まで新聞に載ったことなかったわ。徐々に知名度を上げつつある平民党が

台風の目になるかもしれないって書いてあるでしょ」

「読者を楽しませるための表現だよ。台風の目じゃなくて、せいぜい木枯らしぐらい」

「なんで党首であるロスラフが喜んでくれないのよ」


 新聞記事に舞い上がる自分が恥ずかしくなったようにフリッカが詰った。

 ごめんごめん、とロスラフは苦笑いで謝る。


「僕は常に冷静であろうと努めてるんだよ。投票結果が出るまでは気を抜けないからね」

「そうだけど、もうちょっと喜んでもいいじゃない」

「嬉しい事には嬉しいよ。けどこれから一週間はもっと忙しくなるからね」


 前置きのように言って、予定を書き込んでいた手帳のページをフリッカに見せる。

 うわ、とフリッカがたじろいだ声を出す。


「今日は明日の街頭演説の準備に使って、明日は一日中街頭演説、明後日はスラム街で配給活動と時間あり次第スラム街でも演説、その後の日は……」

「一週間びっしりね」


 長くなりそうな党首の解説をフリッカは簡潔な一言で遮った。

 スケジュール解説の口を止めてロスラフは話頭を進展させる。


「だから今日はとにかく明日に備えて簡単な分析と支度に力を注ごう」

「分析って何をやるの?」

「ユルゲンさんは自ら申し出て始めてくれたけど、他の政党の演説している地域の特定をしたり、他の政党の演説内容をもとにこちらの演説内容を見直したり、いろいろとやることがあるんだよ」

「去年よりもだいぶ仕事が多くないかしら?」


 フリッカが首を傾げると、ロスラフは共感するように頷く。


「前回までは演説云々で票を稼げるところまでいけなかったから。でも今回は知名度が上がって手応えも感じてる。それに平民党として活動できるのも今年で最後かも知れない」

「へ、最後?」


 ロスラフの流れるような言葉遣いに潜んだ通告に、フリッカは聞き間違いかと疑い尋ね返した。

 そういえば言ってなかったね、とロスラフは小さなヘマをしてしまった子どものような微苦笑を浮かべる。


「実はね。今年までに議席を獲得できなかったら平民党を吸収する話が成立してるんだよ」

「吸収? 他の党が平民党を取り込むってこと?」

「有社党のヨーゼフ・クローゼさんから持ち掛けられてね。五年のうちに議席を取れなければ、っていう条件で今年がその五年目なんだよ」

「だから、最後なの?」

「そう。最後だからより一層力を入れることにするんだ」

「……」


 フリッカはあまりの衝撃で言葉を失った。

 押し黙る幼馴染へロスラフは努めて励ましの籠った明るい笑顔を見せる。


「悲観すべきことじゃない。クローゼさんは有社党内で僕の立場をきちんと用意してくれるそうだから、有社党内で今まで通りの主張をさせてもらうつもりだよ」

 ――そりゃ僕だって平民党のまま活動を続けたいよ。

 ロスラフは胸の中で臍を噛みつつも、フリッカにはなんでもない素振りで言い聞かせる。


「最後だからやれるだけの事を……」

「ロスラフは卑怯よ!」


 日頃はロスラフに歯向かわないフリッカが、二重瞼の下の瞳に憤りを宿して非難した。

 予想と違う反応に戸惑うロスラフへ激越に吐露する。


「私の事を引っ張ってくれるロスラフに付いていたいの。危機感のない場所から言いたいこと言ってるだけのロスラフなら一緒にいる気はないわ」

「……一旦落ち着こう、フリッカ」


 ロスラフは机から立ち上がり、慣れない憤懣をぶちまけて肩を上下させるフリッカの気を鎮ませようと両手を下げる動作をした。

 フリッカの肩が上下しなくなってから言葉を重ねる。


「卑怯なのは認める。なら僕にどうして欲しいの?」

「……わかんない」


 答えてからフリッカは首を横に振った。


「わかんない、か。僕だって叶うなら平民党のロスラフ・シュラーでいたいよ」

「とにかく。私はリーダーとして引っ張ってくれるロスラフが良い」


 少女のワガママみたいに言った。

 ロスラフは困ったように頬を掻く。


「今回の選挙で負けたらフリッカを秘書にして有社党で働こうと思ってたから、他の道は何も考えてないや」

「私だって平民党としての自分以外思いつかないわよ」

「今から負けた後の事を想像しても仕方ないかも。何をするかはその時になったら考えよう。それでいい?」

「……そうね」


 フリッカは検討する間を置いてから肯定を伝えた。

 そしてすぐに気合を入れたように握りこぶしを作る。


「私に出来ることをもっと探してみるわ」

「ありがとう。フリッカ」


 問題を先送りにしただけだが、ロスラフとフリッカはお互いにそれでいいと思った。



「で。フリッカが出来ることとして探したのがそれなの?」


 翌日、ロスラフとフリッカは演説活動を行うために、比較的人通りの多い豚の銅像の前で待ち合わせた。

 ロスラフは喉の具合を確認したり日和による演説内容の修正をしたりして、演説台代わりの木箱に登壇せずにフリッカを待った。

 いざフリッカが待ち合わせ場所にやって来ると、ロスラフは彼女の服装を理解しかねた。


「どういう意図でそういう恰好してるの?」

「応援といえばこれよ」


 フリッカは臍の見えるキャミソールにミニスカートのチアガール姿で、手に持ったポンポンを揺すりながら言った。

 少し動くとスカートの中が見えそうになり目のやり場に困ったロスラフは、フリッカの顔だけを視界に入れて問いかける。


「その服、どこから持ってきたの?」

「大学時代の知り合いから借りたの。今日中には返すわ」


 訊かれてもいない返却予定日を答えて、上半身を小さく左右に捻る。

 彼女の動きに倣って揺れるプリーツスカートにロスラフは目を奪われそうになるのを懸命に抑制してフリッカの顔だけに視線を向ける。


「もしかして、その恰好で演説に参加するの?」

「私が傍で応援してあげる。ロスラフ頑張って」


 微妙にズレた返答をすると、笑顔でポンポンを上下に揺すった。

 ロスラフは無意識にポンポンを目で追い、ついでのように臍辺りの露わになった下腹部を覗いてから真面目な顔を作る。


「目立つからやめて」

「目立った方がいいんじゃないの?」

「……まあそうだけど。フリッカのは悪目立ちって言うんだよ」

「だってロスラフって地味じゃない」

「……ひどいよ。自分でも冴えないのは自覚してるけど、人から言われるのは傷つく」

「どんな手を使っても関心を向けさせればいいのよ。けれどロスラフに変な服着せたら平民党が変な党だと思われちゃうじゃない。だから私が一役買うの」

「でも、そんな恰好することないよ」


 僕自身が目のやり場に困るから、とロスラフはけっして言えない。

 フリッカはふふっと楽しそうに笑みを漏らした。


「すでに関心を集めてるわよ」

「え?」


 フリッカの言葉が引っかかってロスラフが周囲を見回すと、通行人の何人かがフリッカに興味を示して立ち止まっていた。特に男性が。


「人が集まっちゃってる」

「もう手遅れね」


 試合終了を告げるようにフリッカが満面に笑顔を広げる。

 フリッカはもっと胸があれば満点なんだけどな、とロスラフは開き直り胸中で評価を下してから即席の演説台の木箱に登壇した。


 

 フリッカの応援のおかげかどうか定かはでないが、演説活動の結果は新聞効果も相まって平民党は風の噂で聞いたことある程度に知名度を向上させた。

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