4-5
二回目の慈善活動の前日。
準備に追われて日中までパン屋に出向いていたロスラフが夕方事務所に戻ってくると、ユルゲンが一人でキャビネットから出してきた書類を選別していた。
ロスラフは忠告を破ってスラム街で活動する後ろめたさから、副党首であり目付け役のユルゲンの傍を何も言わずに通り過ぎようとした。
「ロスラフ君」
ユルゲンが厳かな声で呼び留めた。
配給活動の事をいつ咎められるかビクビクしていたロスラフは、あえて微笑を浮かべてゆっくりとユルゲンを振り向く。
「何ですか。ユルゲンさん」
「フリッカから話は聞いてるよ」
ついに来た、という思いでロスラフは言葉を待つ。
ユルゲンは険しい表情で口を動かした。
「スラム街に出入りしているそうだね?」
「ああ……まあ」
ロスラフはユルゲンが鎌掛けなどをする人とは思えなかった。
歯切れ悪いロスラフを追い詰めるようにユルゲンは説教を重ねる。
「危ないからスラム街に入ってはいけない、と注意したのに。父の悲劇を忘れたのか?」
「忘れるなんて、そんなことはありません」
「では何故。私の忠告を無視してまでスラム街で慈善活動を始めたのかね?」
――自分のやることに細かい口出しして来なかったユルゲンさんが、本気で問い詰めてきている。
ユルゲンの纏う今までにないほど厳格な雰囲気に、ロスラフは誤魔化しなど利かないだろうと悟った。
慈善活動の意味を自分なりに解釈して返答する。
「僕はスラム街の人々を少しでも楽にさせたい、そう思って慈善活動をしているんです」
「ジルベルトみたいに襲われたいのかい?」
ロスラフの強い意思に対して過去という証拠を盾にして尋問する。
前言撤回はできないな、とロスラフは覚悟を決めてユルゲンの目を見返した。
「父さんのやったことは間違っていません。スラム街の人達と交流を持つようになった今ならわかります」
「どうして断言できるのだね?」
「スラム街の人達は父さんのことを物凄く慕っていました。一〇年前に平民党が議席を獲得することが出来たのは、スラム街の人達が父さんに願いを託して投票してくれたからだと思うんです。僕が父さんと同じくスラム街で活動することには大きな意味があります」
「後継者とはいえ、危険を冒してまで慈善活動をすることはないだろう」
「後継者であることよりも、自分がやりたいと思ったからやってるんです」
「ジルベルトのようになっては救いようがない。それでもかい?」
「大丈夫ですよ」
なおも不安視するユルゲンに、ロスラフは迷いなく言い切った。
ユルゲンを安心させるように口元を緩める。
「スラム街の人から当時のことを聞きました。父さんを襲ったのはスラム街の住人じゃないらしいですね」
「……そうなのかい?」
ユルゲンが驚き露わに眼を大きく開いた。
ええ、とロスラフは自信を持って頷く。
「父さんが襲われた時、襲撃者の姿を見てスラム街の住人ではないと確信したそうです」
「ロスラフ君に誰からそんな話を聞いたのだね?」
自分の知り得ぬ話にユルゲンが詮索の眼差しを送る。
「誰って、ええと……」
ロスラフは俄かに言い淀む。
白い仮面とはもちろん明かせず、リアン先生と告げてもおそらく会ってみたいと顔合わせを乞うだろう。
長い言い淀みにユルゲンが怪訝そうな表情を浮かべたところで、ロスラフは間を繋ぐために微苦笑を返した。
「誰ってわけじゃないんですよ。スラム街ではそういう認識になってるんです」
「それでは信憑性が低いのでは?」
「十年前ですから覚えている人も多いですし、あの出来事はスラム街の人々の間では大きな事件として言い伝わっていますから」
よしホントらしい話を作れた、とロスラフは腹の内で喉を鳴らす。
「自らが救済しようとした人達に覚えてもらえているなら、ジルベルトも浮かばれるな」
感に堪えたようにユルゲンは天井を見上げた。
自分への詮索を逸らすためにロスラフは不可解そうな表情を作って言う。
「一〇年以上たった今もスラム街の外の人間という以外の目途は立っていないんです。父さんを襲ったのは誰なんですかね?」
「自分が知りたいくらいだよ」
「ユルゲンさんは父さんが襲われた時、配給活動を手伝っていたんですよね?」
「そうだが、とても助けられる状況ではなかった。パンを貰いに来た人の反応で気が付いたからね。その時にはもう襲った人間は姿を消していた」
「当時を知るユルゲンさんがわからないとなると、犯人を見つけ出すのは難しいですね」
物思いに沈んだ口調で言った。
ユルゲンが厳めしく細めた目でロスラフを見る。
「ロスラフ君」
「あ、はい」
正面からユルゲンの叱るような目つきとかち合って自然と背筋が伸びた。
「君のすべきことは犯人探しではないだろう。平民党の党首としてインネレシュタットの議席を獲得することだ」
「はい、すみません。ユルゲンさんの言う通りです」
長老夫婦にも同じ事で忠言されたな、と思い出しながらユルゲンの言葉に納得する。
父のことが絡むと、つい憎しみが先走ってしまう。
犯人捜しよりも優先すべきことがロスラフにはある。
「恨む気持ちはわかるが順序があるだろう?」
「僕は探偵ではなく平民党の党首ですから」
「その意気なら心配はなさそうだね」
ユルゲンは信頼をこめて大きく頷いた。
いえいえ、とロスラフは謙遜する。
「ユルゲンさんが心配してくれなくなると、僕が悪い判断をしそうな時に止めてくれる人がいなくなります。今後もご指導ご鞭撻をお願いします」
「そう言うなら、これからも厳しくさせてもらおう」
ロスラフの言葉にユルゲンが表情を引き締め直した。
しかしすぐに優しさに温められたように表情がほぐれる。
「だが今回の慈善活動については差し出がましい事を言うのをやめるよ」
「僕としてはありがたいですけど、どうしてですか?」
「ジルベルトを襲ったのはスラム街の人ではないのだろう。ならばスラム街に入るのを恐れる必要はもうないのではないかね」
「そうですね。スラム街に住む人たちは襲ってくることはありませんから」
「では、私も手伝おうかね」
「えっ?」
ロスラフは露骨に驚く声を出す。
お目付け役の急な心変わりに理解が追い付かない。
「聞こえなかったかね。手伝おうと言ったんだが」
「聞こえてますけど、反対の立場からいきなり協力側に回ったからびっくりしちゃって」
「自分も平民党の党員である以上、党首の意向に賛成するならば手を貸すのはおかしなことではない」
副党首のユルゲンの断固とした口ぶり。
ロスラフは一呼吸ほどの間を取ってから首肯した。
「わかりました。とてもありがたい申し出です」
「良い顔してるね。ロスラフ君」
きりりと真剣さを纏ったロスラフの表情を、ユルゲンは嫌味のない年輩者面で称えた。
「あ、ありがとうございます」
苦言ばかりだったユルゲンからの褒め言葉にロスラフは照れ臭く破顔した。
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