4-2

 ロスラフがヨッドと学校と呼ばれている件の更地を訪れると、更地を囲む木の柵に修道服にオペラマスクの強く記憶に残る恰好をした少女が腰掛けていた。

 姿を見つけてロスラフとヨッドが歩み寄るも、リアンは柵から降りようとはせずにオペラマスクの内側にある瞳で真っすぐにロスラフを見つめる。


「来たか。ロスラフ・シュラー」

「僕の事はついでだよね。はい、パン」


 ちょっと不貞腐れた声でロスラフがパンを差し出す。

 リアンは無言で受け取ると、仮面を取ってすぐに食べ始めるわけでなく手に持ったままパンを子細に眺め回した。


「汚れてなくて美味しそうだな」

「完全に疑るような動きじゃなかった?」

「新品が珍しいだけだ。残飯として出された食いかけのパンしか手に入らないからな」


 そう言うと、パンを調べる動作をやめてヨッドに顔を向ける。


「お前はもう帰っていいぞ」

「わかった先生。でも一つだけ聞いていい?」


 ヨッドは素直に頷きつつも遠慮がちに窺った。


「……なんだ?」

「どうしてそんなところに座ってるの?」

「……私の自由だ」

「僕たちには折れるといけないから座るなって言うくせに」

「私は座ることを許されている」

「そんなのズルいよ」

「質問は一つだけだ。帰っていいと言ったのだから帰れ」

「なんだよー。もういい帰る」


 ヨッドは納得いかない様子で踵を返し、来た道を走り去っていった。


「生徒なのにあんな対応でよかったの?」


 ロスラフが気を遣った口調で尋ねた。

 構わん、とリアンは答える。


「少々詮索が過ぎた。当然の措置だ」

「どうして柵に座っているのかを訊いただけだよね」

「私にとっては大問題なんだ」

「どこがどう大問題なのか、さっぱりわかんない」

「わからないなら訊かないでおけ」


 これ以上の質問は許さない口調だった。

 ロスラフからしてもリアンが柵に座っていることに別段気になるところもないので、話題をパンの事に移す。


「そのパン。実は僕の知り合いが作ってるんだ。美味しいから食べてみてよ」

「今ここで食べろと?」

「もしかして食欲ない?」


 リアンが反発的な態度にも関わらず、ロスラフは心配そうに尋ねた。

 的外れの気遣いにリアンは肩を竦める。


「食欲がないわけではない。お前に素顔を見られたくないだけだ」

「ああ、なるほど。気が付かなくてごめん」


 ロスラフは即座に謝る。

 目の前のロスラフに不甲斐なさを覚えたように、リアンがあえて聞こえる溜息を吐いた。


「お前は誰にでもそういう接し方なのか?」

「そういう接し方って、どんな?」

「今さっき食欲ないのって訊いてきただろう。誰にでもそういう気遣いをしているのかどうか、だ」

「意識したことないなぁ。でも平民党の党首として差別は極力しないようにしているよ」

「よくお人好しって言われるだろ?」

「えっ。どうしてわかったの?」

「言動を見ていれば分かる」


 間違いないという口ぶりで断言した。

 そんなに僕お人好しの雰囲気出してるかな、とロスラフは腑に落ちない様子でぼやく。

 リアンが警戒感を強めたように目を鋭く細めた。

パンの先を指示棒のようにしてロスラフの後方へ向ける。


「どうしたの?」


 ロスラフが出し抜けな行動するリアンを不思議そうに見つめた。

 彼の意識を指示棒の示す方へ向けさせようとリアンがパンをさらに突き出す。


「あそこでお前のことを見ている女は何者だ?」

「女?」


 指示棒を指し示す先を追って後ろを振り返る。

 ロスラフが通ってきた狭い路地にフリッカがぽつねんと立っていた。

 フリッカは怪訝な表情でロスラフとリアンを眺めている。


「どうしてここにフリッカがいるんだい?」


 ロスラフが尋ねるとフリッカは遅れた反応で愁眉を開いた。

 問いかけを理解するのに一呼吸ぐらいの時間を要して声を出す。


「ロスラフがどこに行ったのか気になったから、後を着いてきたの」

「そうなんだ。ごめんね心配かけた?」


 柔らかい声質で返したが内心は冷や汗ものだ。

 誰が見ても白い仮面である少女の存在をどう説明しようか?

 ロスラフの心中を知らないフリッカは微笑して首を横に振る。


「本当に気になっただけよ。何事も無いならそれでいいの」

「パンが欲しいって言ってる人がいたから渡すために場を離れたんだ。今から戻るよ」

「ロスラフの事だからそんな理由だろうとは思ったけど……」


 けど、とフリッカは半端なところで言葉を切って柵に座っているリアンに目を据えた。

 リアンは泰然自若と顔を逸らすことなくフリッカを見返す。


「あなたは誰?」

「それはこちらの台詞だ。私がよほど気になるようだな?」

「だって、あなたの恰好はまるで白い仮面だもの」


 フリッカは臆せずに言い放った。

 ふっ、とリアンがおかしそうに鼻を鳴らす。


「まるで白い仮面、か。変なことを言うな?」

「変じゃないわ。修道服に白いオペラマスクと子供のような姿、新聞や噂で聞いた白い仮面の外見とそっくりだもの」

「じゃあ、私が白い仮面本人だとしたら?」

「……え?」


 不意打ちの問いにフリッカは動揺あらわに目を見開いた。

 穏当でない雰囲気にロスラフが耐えかねて口を挟む。


「二人だけで話を進めないでほしいな」

「ロスラフ?」

「……」


 フリッカの物問いたげな視線とリアンのオペラマスクの内側から放たれる感情を窺えない視線を同時に浴びて、ロスラフは継ぐべき言葉に頭を巡らせた。

 考えた末、まずはフリッカに身体を向ける。


「フリッカ。とりあえず僕の話を聞いて」

「わかったわ」


 フリッカが聴聞の姿勢になって頷いた。

 数々の事情を脳内で整理してからロスラフは打ち明ける。


「彼女の名はリアン・フォステといって正真正銘の白い仮面なんだ。でもインネレシュタットの都市部で聞くような悪い人間ではない。彼女が盗みを働いていたのは政情を乱したいがためだったんだ」

「けど、銃で人を撃って怪我をさせてるんでしょ。とても危険だわ」

「今は持ってないはずだから安心して。それに平民党の党員には手出ししないよ」

「手を出さない保証があるの?」

「彼女は平民党がこの街に来ることをずっと待ってたんだ。父さんが慈善活動をしていた十年前から今まで」

「ロスラフが庇うってことは白い仮面は私たちの味方なの?」

「そう思っていいよ。とにかく彼女は噂で聞くような悪人じゃないから心配はいらない」

「そう、なの」


 ロスラフの言葉を信じる様子でフリッカは納得した。

 フリッカが理解を示すと、次にリアンの方に向く。

 フリッカの事を説明するために口を開くよりも先に、リアンが説明不要と言いたげに掌を突き出した。


「大体の素性は掴めた。その女はフリッカといって平民党の一員なんだな」

「わかってもらえればいいよ。配給の手伝いとして一緒に来てくれたんだ」

「そうか。私を捕まえる気でいるなら逃げようかと思ってたが、その必要はなさそうだな」 


 リアンの言葉にロスラフはほっと胸を撫でおろす。

 どうにか和解を成し遂げられたようだ。


「でも、ロスラフ」


 フリッカが不意に腑に落ちない声で言った。

 目顔でロスラフが質問を促すと気掛かりの残った顔で切り出す。


「悪い人じゃないのはわかったけど、どういう人なのかはまだ教えてもらってないわ」

「そうだね。彼女はこの街の……」

「教師だ」


 リアン自ら素性を告げた。

 説明を遮られたロスラフには構わず、柵に座ったまま自慢するように上半身を反らす。


「私はこの街で最も優秀な教師リアン・フォステだ。皆は私の事をリアン先生と呼ぶ」

「……リアン先生?」


 フリッカが記憶を探るように首を傾けた。

 あっ、と思い出して声を上げる。


「ロスラフとジユンゴさんが話してたリアン先生ってあなたのこと?」

「話題に挙がるほど私の名前は浸透しているのか」


 ふんぞり返るように満足げな声。

 緊張がほぐれたようにフリッカが頬を緩める。


「先生って言うからもっと白髭を生やした威厳のある人かと思ってたわ。実際は小さい女の子だったのね」

「私は学校の創設者だぞ、子ども扱いするな。それに小さいとは失礼だぞ」

「背丈を誤魔化すためにそこへ座ってるんだろうと思ったんだけど、失礼だったわ。ごめんなさい」


 低姿勢ながらはっきりと物を言ってからフリッカは謝った。

 オペラマスクのせいで表情は窺えないが、ロスラフはリアンが腹を立てているのを容易に想像できた。


「失礼な女は嫌いだ。帰れ」

「思ったこと言ったまでじゃないの。そんな怒らないでほしいわ」

「帰れと言っている」

「わかったわよ。ロスラフ行きましょ」


 フリッカの方も苛立った声で告げ、身を翻して路地を引き返していった。

 そりの合わないリアンとフリッカ両名に負い目を感じたロスラフが、立ち去る間際にリアンに身体を向ける。


「ごめんねリアンさん。フリッカには僕の方から注意しておくから許してあげて」

「……ああ」


 声だけで不承不承とわかる受け答えを返した。

 ロスラフの姿が見えなくなってからリアンは柵を降りる。

 地に足が着くと途端に、リアンは身体の小ささをいやでも実感させられた。

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