四章 配給活動をします

4-1

 平民党の慈善活動として、スラム街でパンの配給を実施することになった。

 事前準備であるパン作りに発案者であるロスラフも無償で参加し、カールが工場内で募集した有志五人も加わった。

 フリッカはスラム街に入ってはいけないという叔父からの忠告を理由に最初は慈善活動に良い顔をしなかったが、ロスラフの熱意に説得されて結局は手伝うことに決めた。

 そういった経緯により、パンを詰めた紙袋を抱えた一行が中央広場へ向かった。

 道中、一行の中でただ一人パン屋の従業員であるジユンゴというスラム街出身の青年がフリッカと喋っているロスラフへ気さくに話しかける。


「シュラーさん」

「なに。君はええと……」


 ロスラフはパン屋に出入りはしていたものの主に工房が職場の青年とは本日まで面識がなく、咄嗟に名前が出てこなかった。

 けれども青年は機嫌悪くすることなく笑顔で再度の自己紹介をする。


「おいらジユンゴっす。シュラーさんの話は店長から幾度も聞いてやす」

「ジユンゴさんだね。ごめん、まだ名前が覚えきらなくて」

「さん付けしなくていいっす。店長はおいらの事をジユンゴって名前で呼ぶっすからね」

「そうなんだ」


 いきなり距離感近いの苦手なんだよな、と思いながらロスラフは相槌を打った。

 ジユンゴはロスラフの心情など露知らず話を続ける。


「店長とシュラーさんはどういう関係なんすか?」

「父さんが事務所を開いた時から贔屓にしている店で、僕やフリッカもよくパンを買うから気に掛けてくれてるんだよ」


 ロスラフが答えると、ジユンゴは不思議そうな顔になる。


「昔からの知り合いなんすか。それにしては店長の評価が突き放した言い方だったんすけどねぇ」

「店長さん、僕の事なんて言ってたの?」

「優柔不断の政治家らしくないお人好しって評価だったっす。褒めてるんすかね?」

「優柔不断で政治家らしくない、か。ちょっと傷つくな」


 ロスラフは苦笑いする。

 ふふっ、とロスラフの隣を歩くフリッカが笑い声を零した。

 ロスラフとジユンゴの目線が向くと嬉しそうに告げる。


「店長さんの評価は正しいわ。ロスラフは優柔不断で政治家っぽくないお人好しだもの」

「直接言われると、確かに褒められてる気はしないっすね」


 ジユンゴの感想にロスラフは残念ながらも同意した。

 だけど、とフリッカが言葉を繋げる。


「ロスラフはすっごく幸せ者よ」

「どういうことフリッカ?」

「店長さんみたいな美人と関係を持ってるんだもの。世の男性は羨むでしょうね」

「関係を持ってるって言うなよ。まるでそれじゃ……」

「それじゃ、何?」


 ロスラフが言葉に詰まると、フリッカが悪戯っぽい笑みを向けた。

 いつ間にか彼らの談話を盗み聞きしていた有志五人が、口元を下品に緩めて耳に手を押し当てた一語も聞き逃さない姿勢になっている。


「まるでそれじゃ……」

「なあに?」

「えっと…に、身体の関係があるみたいじゃないか」

「うわおっ。はっきり言っちゃったわね」


 自分から答えを誘導しておいてフリッカはこの言い草である。

 ロスラフは恥ずかしさのあまり顔中に血が流れるのを感じた。


「わざと自重したのに、言わせるなよ」

「気にしなくていいのよ。私たち子どもじゃないんだから」

「子どもじゃないけど政治家としての印象っていうのがあるだろ?」

「むしろ親近感湧くかもしれないわ」

「親近感湧くかなぁ?」


 不信さを口に出して、確かめるように周囲の男性陣に目を遣った。

 ジユンゴと有志の五人が共感の笑顔を返してくる。

 政治家としての印象はもう保てないと悟った。


「落ち込むことないっすよ」


 ジユンゴが慰めの言葉をかける。


「おいらの鼠を二十匹見た話を聞けば、場の空気も和らぐっす」

「鼠を二十匹?」


 デジャヴのような感覚で、ロスラフは青年の言葉が記憶の片隅に引っかかる。

 ロスラフ以外は特に気にする様子もなく話を促した。

 ロスラフが記憶を思い起こす前にジユンゴは話し出す。


「おいらは以前スラム街のボロアパートに住んでやして、そこでは夜毎に鼠が人間の居住空間に侵入してきて物を齧ったり眠りを妨げたりの悪さをしていたんす」


 どうして子どもに聞かせる昔話みたいな喋り方なんだろう。

 ロスラフはどうでもいい疑問を持ちながら、ジユンゴの話に頭を捻る。


「ある日おいらは鼠を捕獲するために罠を作ろうと考えたんす。貧乏なもんですから罠の数は出来り限り少なく抑えたいと思い、居着いている鼠の数を知ろうと夜を明かして鼠を数えることにしたんす」

「それで数えたら二十匹もいたのね」


 フリッカが先んじて結末を予想した。

 ジユンゴは小さく首を横に振る。


「そんな単純な話じゃないっす。ちゃんとオチがあるんす」


 鼠を二十匹見た話、誰かから聞いたんだよな。

 ジユンゴの声は意識の半分で耳に入れ、ロスラフはモヤモヤした記憶を探る。

 誰から聞いたんだろう、とぼんやりとしたシルエットを頭に浮かべていると、はっとして思い出した。


 白い仮面――リアン・フォステさんだ。


 ロスラフは滔々と話すジユンゴの顔を驚きとともに見つめる。

 ということは、ジユンゴさんは彼女の……


「ジユンゴさん、もしかしてリアン・フォステさんの教え子ですか?」

「カサカサ、カサカサ、と……ほえ?」


 不気味な擬音語を口真似していたジユンゴが、予期しない唐突な問いかけに間抜けな顔でロスラフを振り向いた。

 質問をゆっくり三秒ほどかけて理解すると、ロスラフに向ける目を意外そうに見開く。


「シュラーさん、リアン先生知ってるんすか?」

「うん。この前来た時に案内してもらったから」

「珍しいっすね。必要以上は外に出ないって聞いてるんすけど」

「ねえロスラフ。リアン先生って誰?」


 一行の中で唯一スラム街に一度も入ったことのないフリッカが、突如話題に挙がったリアン先生なる人物に疑問を抱いた。


「リアン先生? ええと、その人は……」


 白い仮面の正体とは言えないからなんと説明したものか、とロスラフが言い淀んでいる間に、ジユンゴが明るい笑顔でフリッカへ言葉を返す。


「リアン・フォステ先生。またの名を白い仮、っふ」


 ジユンゴの軽い口をロスラフが手で塞き止めた。

 疑問符を浮かべた顔のフリッカへ振り返って苦笑する。


「スラム街にそういう教師がいるんだよ。平民党である僕を街中案内してくれたんだ」

「へえ、ロスラフの事を知ってたのね。どんな教師なのかしら会ってみたいわ」


 そう言って、新しい楽しみが出来たように笑った。

 ロスラフは内心でほっとすると、ジユンゴの肩に手を回して耳打ちする。


「リアンさんの正体が白い仮面ってことは言わないでほしいな」

「どうせ、会えばバレるっすよ」

「インネレシュタットで彼女は怪盗みたいな扱いをされて敵視されてるんだよ。フリ

ッカがそれを聞いた時の衝撃は計り知れないよ」

「そうっすか。わかりやした」


 ジユンゴは説得を受け入れた。

 フリッカが白い仮面の正体を知ることはおそらく無いだろう、とロスラフは根拠もなく予測して、隠し事をする自分を納得させた。

 一行は街の住人から温かい目を注がれながら談笑混じりに中央広場へと向かった。


 中央広場でロスラフ達がパンの配給を始めると、急設の配給所には話を聞きつけた住人達で瞬く間に長蛇の列が出来た。

 用意した半数ほどを配った頃、パンの残数を確認しているロスラフにパンを片手に持った短髪の少年が近づいた。

 ロスラフが振り向くと、少年が笑顔で話しかける。

「シュラーさん」

「あっ。ヨッド君、久しぶりだね」

 話しかけてきたのは、ロスラフが初めてスラム街を訪れた時に出会ったドナイティの息子のヨッドだった。

 何か用かな、と柔らかい面差しでロスラフが促すと、パンを見せるようにして口を開く。

「このパン、ありがとう」

「どういたしまして」

 パンを手渡す度に感謝されたロスラフは、照れもなくヨッドのお礼に快く笑顔を返した。

 ヨッドがパンを持っていない方の手を出して人差し指を立てる。

「もう一個欲しい」

「ごめんね。一人一個までなんだ」

「リアン先生に貰ってこいって言われた」

「ああ、彼女にか」

 ヨッドがリアンの開校する学校の生徒であったことを思い出す。

 彼女も人の子。パンを欲しがるのだな、とロスラフは本人が聞いたら癇に障りそうなことを考える。

「ついでにシュラーさんも呼んで来いって言ってた」

「パンが目的で僕はついでなのか」

「無理なら無理って伝えるよ?」

「いや、大丈夫。パンを持っていけばいいんだね?」

「うん」

「それじゃ、ちょっと待っててね」

 ロスラフは配給所でパンを手渡しているフリッカに少し場を離れる旨を伝えてから、紙袋からパンを一つ掴んでヨッドと共に学校のある方角へ向かった。

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