幕間2 予感

 少女が胸飾りの男を見るのはこれで六回目だった。


「皆さん。困り事はありませんかな!」


 スラム街への来訪六回目にして胸飾りの男は中央広場で周辺一帯に響く声を出した。

 少女は水の枯れた噴水の縁に腰掛けて祖父から借りた数学の本を読むフリをして胸飾りの男を見ていたが、初めて訪れた時には奇異の目を向けていた住人達が、六回目の来訪ともなると男自身の人柄の良さもあるのか信頼した様子で話しかけるようになっていた。


「なに。屋根の雨漏りがひどい? まかせろ、俺が直してやる」


 子どもの多い家庭の主婦の悩み事に胸飾りの男は軽々しく請け合った。隣の眼鏡の男がメモ帳に何かを書き記す。


「なに。レンガ塀が崩れた? よおし、俺も片付け手伝うぞ」


 手助けを申し出るとスーツの袖を捲って力瘤を見せた。眼鏡の男はメモ帳に書き記す。


「なに。子ども同士が喧嘩したまま? 俺が仲直りに協力するぞ」


 やんちゃな子どもを持つ親の悩みに仲裁役を買って出る。眼鏡の男は面倒になったのかメモ帳の上でのペンを止めた。

 何でも頼み事を引き受ける胸飾りの男に、周囲にいた住民達が寄り集まって色々と悩みを打ち明け始めた。

 さすがに処理しきれないと感じたのか胸飾りの男が困惑を見せる。


「ちょっと待て、いっせいに言わないでくれ。全て一度に解決するのは無理だぞ、すまないが順番に、な?」


 胸飾りの男の周りに集まっていた住民達は途端に静かになり、申し合わせたように挙手制で懸案事項を話すようになった。

 ひとくさり住民達の話を聞くと鷹揚に頷く。


「わかった。それじゃ一つずつ解決していこうか」


 そう宣すると、子どもの多い家庭の主婦と連れ立ってどこかへ歩いていった。



 日が暮れかかって少女が本を読みにくいと感じ始めた頃、胸飾りの男が若干に疲労を滲ませた足取りで中央広場に戻ってきた。

 本から顔を上げてちらりと胸飾りの男を見ると、一瞬目が合った気がしたがすぐにスーツの胸ポケットから紙片を取り出した。

 その紙片が眼鏡の男が書いていたメモ帳の一ページだと少女がわかる間もなく、胸飾りの男は紙片を眺めて検討するように視線を斜め上に振り向ける。

 次の瞬間には、よおし、と口を動かして決然たる動作で紙片を胸ポケットに仕舞った。


「皆さん。聞いてください!」


 一帯に響く声で周囲へ傾聴を促した。

 どれほどの住民が聞いているか定かではないのに胸飾りの男は大きく息を吸って告げる。


「次に来るときはこの広場でパンの配給活動をやります!」


 ――――――

 ――――

 ――周辺のアパートから返事はなかった。

 広場に居合わせ足を止めて聞いていた住人さえも、あまりの突飛な宣言に呆気に取られて声を出せないでいた。

 さしたる反応がなくても胸飾りの男は声を張り上げて続ける。


「資金が乏しいので数は多く用意できないが、資金の限り用意するので欲しい人はぜひとも来てくれ! 一人一個までだがな」


 言いたいことだけ叫ぶと、予定があるのか腕時計で時刻を気にしながら中央広場を駆け足で去っていった。

 本を閉じて遠ざかっていく胸飾りの男の後ろ姿を眺める。


 胸飾りの男は本気でこの街を変えようとしているのではないか?


 少女は良い方向への転機が訪れそうな予感を覚え始めていた。

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