二章 選挙活動をしよう

2-1

 市長宅での定例集会が行われた翌日の朝。

 ロスラフは銃殺による死を覚悟しかけた影響なのか、若干に寝足りない状態で平民党事務所を訪れた。


 党員の三人しかいない事務所の中は水を打ったように静かだが、ロスラフの席の右側に置かれた事務机には初老の男性党員が一人座って新聞を読んでいた。

 初老の党員はぽつぽつと白髪の生えた頭を上げて、入り口から党首専用の席へ近づいてくるロスラフに度の強い眼鏡越しの視線を向けてくる。


「おはよう。ロスラフ君」

「おはようございます、ユルゲンさん」


 男性の名はユルゲン・ラーマンといい、フリッカの叔父でありロスラフの父が存命だったころから平民党の副党首を務めるベテラン党員だ。

 ユルゲンはロスラフの顔を見て思い出したように口を開く。


「市長宅での集会はどうだった。何か変更点などあったかね?」

「例年通りですよ。選挙期間の規則や違反活動などについての説明でした」

「そうかね」


 ユルゲンは納得して新聞に目を落とすが、すぐ気掛かりな顔でロスラフに目を戻した。


「そういえば。昨夜市長宅で有社党員の宣伝車が車上荒らしにあったそうだね。近くで白い仮面も目撃されたらしいが、そんな騒ぎがあったのかね?」


 ユルゲンの問いかけにロスラフは背筋が冷えた。

 昨晩、白い仮面から銃口を向けられた恐怖がまざまざと思い出す。

 幸い凶弾に倒れずに済んだが、あの時の場景は今でも身が竦んでしまう。


「ロスラフ君。何かあった顔だね」


 苦々しげに押し黙るロスラフを見て、ユルゲンは目敏く白状を促す。

 年の功で見透かされたロスラフは、恐怖心を紛らわすために苦笑いを浮かべた。


「ええ、ありましたよ。白い仮面の逃げ道を塞ごうとしたら拳銃を向けられまして、死ぬかと思いました」

「なるほど」


 ロスラフの打ち明けにユルゲンは鷹揚に頷いた。

 だが、すぐさま表情を厳しく気張らせる。


「白い仮面に立ち向かったのか。ジルベルトのように勇敢なのは感心するが、自分の身は大事にしないといけない。ジルベルトの遺志を継ぐために党首をしているんだろう?」

「いささか出しゃばり過ぎですよね。すみません」


 カールの都合よすぎる目論見に付き合っただけだが、無視しようと思えば出来たことを考えれば反論の余地もなかった。

 ロスラフが自省の思いでいると、ユルゲンは表情から厳しさを無くして話を振る。


「これからフリッカと選挙活動だったかな?」

「あ、はい」


 忠言が終わったと見てロスラフは気を取り直して答えた

 そして付け足すように申し出る。


「事務所の留守番お願いできますか?」

「いつものことだね。こちらこそフリッカは任せたよ」


 慣れた口調で返して新聞に目を戻した。

 ロスラフは選挙活動に必要な書類をまとめた封筒を机の引き出しから取り出して腕に抱えた。出入り口へ歩きかけてユルゲンを振り返る。


「では、いってきます」


 短く告げて事務所を後にした。 



 事務所を出たロスラフはフリッカと待ち合わせをしている黄金豚の銅像前まで来た。

 インネレシュタット市では一九世紀中頃に産業革命の影響で製造業が流入してくるまで住人のほとんどが畜産に従事していた。

 現在は都市となっている同市だが、かつては家族経営の養豚場が乱立していた牧畜地帯だったのだ。

 そのためインネレシュタット市周辺では豚が開拓の象徴となっており、こうして銅像が建てられるほどに人々から崇められている。


「あれ、フリッカまだ来てないのかな」


 銅像の前まで来たはいいが、肝心のフリッカの姿が見えなかった。

 ロスラフは銅像の前に立ったまま辺りに目を走らせる。

 彼の見知ったブルネットの髪の女性はどこにいるのか。

 銅像の前を離れて人の流れの中でフリッカを探す。


「いつも僕より先に来てるのに」


 ロスラフー。


 近辺で所で呼ぶ声がしたが、ロスラフ本人は気が付かず銅像の周囲を歩き始める。


 ロスラフー?


 彼を呼ぶ声が後を追う。

 背後を気に掛けず前方と左右ばかりに視線を動かしながらロスラフは探し歩く。


 ロスラフー、ここよー。


 先ほどから彼を呼ぶ声が焦れたように手を挙げて存在を主張する。

 それでもロスラフは存在に気付かずに銅像の前に戻ってきた。顎に手を添えて考える仕草になる。

 ロスラフからは死角になっている銅像の側面にいるフリッカが不機嫌に唇を尖らせた。

 いい加減に見つけてよ、と言いたげだ。

 考え込み始めたロスラフに、フリッカはついに痺れを切らし背後から歩み寄った。


「ロスラフ!」


 顎に手を添えていたロスラフの肩がビクンと跳ねる。

 振り返ると作ったような怒り顔のフリッカがいた。


「探したよ。いつの間に来てたんだい?」

「さっきから近くにいたわよ。ロスラフは鈍すぎる」


 フリッカの言い分はもっともだ。

 ロスラフは頭が上がらず申し訳ない顔つきになる。


「ごめんよ。全然気が付かなかった」

「私たち、かくれんぼするために来たんじゃないのよ」


 フリッカは不機嫌な顔でそう言ってから、すぐに表情に笑みを戻した。

 幼馴染の怒りが解けた様子にロスラフはほっと胸を撫でおろし、抱えていた紙封筒をフリッカへ見せるように掲げる。


「きちんと党の紹介資料持ってきたよ」

「準備してもらって悪いけど、お店に入っていきなり宣伝しないでよ」

「党の認知度を広めるための活動じゃないのかい?」

「党の紹介なんて最後、それに短くていいの。買い物客として振舞ってお店の人の印象を良くすることが大事。商品を買ってもくれない客の話なんてまともに聞いてくれないわ」

「確かに、そうかも」


 フリッカの言わんとすることに、ロスラフは目から鱗の思いで納得した。

 知名度や支持率ばかりに囚われている自分を見直す。


「目的も定まったし、選挙活動を始めるわよロスラフ」

「最初はどこの店に入るつもりだい?」

「そこまで決めなくていいわよ。気楽にいきましょ」


 呑気な声でロスラフを促すといそいそと歩き出した。

 やけに楽しそうだな、とロスラフは幼馴染の上機嫌を不思議に思いながらも、距離が空きすぎないように着いていくことにした。

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