幕間1 邂逅
窓の外がいつもより騒がしい。
少女がそう思ったのは特別何もない昼日中に、祖母から貰い受けた厚い冒険小説を寝室で読んでいた時だった。
小説の世界から現実世界へ摘まみ出される感覚に陥り、窓の外の喧騒に腹が立った。
静かな読書時間を邪魔する正体を確かめようと、少女は本を祖母のベッドに置いて自分の背ぐらいの窓の前まで歩み寄った。
近くにあった木椅子を窓の下まで引きずり、椅子の上に乗るとようやく窓から外を見下ろせる高さになる。
片方だけ残った鎧戸と蝶番が軋む硝子窓を開けると、外から吹き込んだぬるい微風が少女の一点の汚れもない絹のような長い銀髪を一瞬だけたなびかせた。
銀髪が元の位置に戻ってから少女は窓枠に手をついて窓の下を覗き込む。
他のアパートに住む人々の多くが窓の下の道路端に出てきていた。
「えー、自分は平民党のジルベルト・シュラー。ジルベルト・シュラー。スラム街の味方である平民党のジルベルト・シュラー」
一本道の右方向から祖父母の口からも教えてもらったことのない人物名を連呼する野太く大きな声が響いてきた。
喧騒の原因はこれかな、と少女は声のする方に首を向ける。
アパートで挟まれた一本道をこの街では目立つ白に近い肌の色をしたがっしりとした身体つきの男が神経質そうな眼鏡の男性を従えてゆったりと歩いて来ていた。
「自分はジルベルト・シュラー。スラム街の願いを叶える平民党のジルベルト・シュラー」
ジルベルト・シュラーというのはさっきから大声で叫ぶ男自身の名前らしい。
通りに出てきたスラム街の住人達の奇異な目線を浴びながら、男は少女の住むアパートの窓下まで来る。
「そんなところで何をしてるの?」
不意に背後から親しんでいる声を掛けられて少女は振り向く。
椅子の後ろに優しく問う目をした祖母が立っていた。
「窓から何か見えるの?」
「知らない男が叫んでる」
「知らない男。どなたかしら?」
祖母が少女の乗る椅子の傍から窓の下の道路を覗き込む。
盛んに叫ぶ男は丁度アパートの下を通りかかるところで、祖母にも男の姿が目に入った。
「ほんと。知らない男性ね」
「どうしてあの男は叫んでるの?」
「気になる?」
好奇心を促すような微笑みを向けてきた。
少女が頷くと、窓の下にいる男へ視線を移す。
「見てくるといいわよ」
「見に行っていいの?」
「遠くまではいかないようにね」
「わかった」
祖母の言いつけを胸に落とし込むと少女は椅子から降りて寝室を後にし、一階のダイニングで新聞を読んでいる祖父の傍を通り過ぎて外に出た。
曲がりくねった狭い路地を歩いていくと、男の声がより一層声が大きく聞こえてくる開けた通りまで着いた。
「ジルベルト・シュラー。平民党のジルベルト・シュラー」
男は度々の大声でも喉を枯らさずに叫び続ける。
道路に出てきた住民たちも相変わらず奇異の目を注いでいた。
何しに来たんだお前、という痺れを切らしたような野次が人垣から放たれる。
すると男は足を止めて野次の飛んできた方向に人の良い笑顔を向けた。
「ご質問ありがとうございます。自分は黒人の権利含めてはスラム街の情勢改善を目的として参りました」
途端に野次が止んだ。
住民たちのほとんどが意味を解しかねたように隣の人と顔を見合わせる。
少女は珍奇な事を口走った男を間近に見ようと人垣の隙間から身体を出した。
周囲からの視線が奇異な目から疑心の目に変わっても、男は人の良い笑みを引っ込めずに再び歩き始める。
少女の傍を通りかかる寸前、男は行き過ぎるかと思いきや気さくな笑みに微かな驚きを混じらせた。
少女と視線がかち合うと、またすぐに人の良い笑みを満面に戻す。
その時に少女は男の左胸に輝く天秤の形をしたバッヂを目にした。
胸飾りの男――
少女の中で男の形容が不意に思い浮かぶ。
「平民党は黒人の権利を改善させ、肌の色を越えた人間の絆を作り上げてみせる!」
男は今まで以上に高らかに宣言した。
しかし周囲の住民達の顔は皆同様に疑問符を浮かべており、男の言葉を真に受けている者はいないようだった。
少女も胸飾りの男を気宇壮大な妄想家ぐらいしにか思っていなかった。
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