1-4
定例会が始まって半刻ほどすると、ロスラフは市長から選挙規約の説明を受け終えてカールの待つテーブルに戻った。
「選挙の説明、終わったのか?」
「ああ、終わった」
カールにグラス片手で尋ねられ、肩の力が抜けた気疲れの様子で頷いた。
カールは清々したという顔になる。
「用も済んだし、帰ろうぜ」
「お前は何しに来たんだ。ここに来てから何もしてないよね?」
「あ? 市の産業会の集まりに顔出すために決まってんだろ」
「顔出してないよね?」
「いいんだよ。どうせ俺が参加してないことは誰にもバレないだろうから。それより自宅のベットで寛いだ方がよっぽど有意義だぜ」
「カールがいいなら、無理に参加しろとは言わないけど」
「よっしゃ。じゃあ帰ろうぜ」
カールはロスラフの返事を待たずに身を翻し、出入り口を潜って会場の外へ歩みだした。
ロスラフとしても友人の怠慢を咎める気はなく、カールの後に続いて会場を出る。
絨毯敷きの廊下を二人は誰にも呼び止められることなく通過し、邸宅の正面出入り口から堂々と退出に成功した。
屋外に身を晒した瞬間、夜気がやたらに寒々しくスーツを貫通する。
「へへっ、外の空気が美味しいぜ」
「ちょっと冷えるね」
ロスラフは両腕で自身の肩を抱いてわざとらしく身震いする。
そうか? とカールが合点のいかぬ顔になった。
「人の多いところから出てきたから、余計に冷えて感じるだけだと思うぞ」
「そんなものかなぁ」
ロスラフは気抜けた微笑とともに合いの手を返した。
邸宅の外庭には市のお偉いさんや他の党員の目がないため、二人は不良学生のごとくズボンのポケットに手を突っ込んで来たときに通った門へ歩き出した。
庭の半ばまで進んだところで、ロスラフは目端に暗闇の中で明滅した光を捉えた。
足を止めて明滅のあった方へ顔ごと振り向く。見ている方向に駐車場があったことを思い出した。
「どうしたロスラフ?」
一歩多く進んだ場所でカールも足を止め、突然立ち止まったロスラフへ首を回した。
カールへ顔を戻し、顎先だけで光の瞬きがあった方を指し示す。
「確かそっちの方って駐車場だよな?」
「何かが光った気がする」
「光った?」
不可解そうにカールが問い返し、駐車場の方向へ目を凝らす。
数瞬して、カールの目にも怪し気な光が明滅するのが見えた。
「さっきの光がロスラフの見たやつか?」
「そう。カールはあの光をなんだと思う?」
「懐中電灯とかじゃねーの」
「だとすれば、頻繁に点けたり消したりしないよね?」
「確かにそうだな。じゃあなんなんだよ?」
カールの考えるのを諦めた問いに、ロスラフは俺も知らんとばかりに肩を竦めた。
しばらく駐車場の方向を二人で眺める。
再び光が現れた。しかも今度は僅かに揺れてから消えた。
「へへっ、今の見たか?」
途端にカールが興奮の声を上げた。
「光が揺れてたぜ。機械みたいな規則的な発光体じゃないな」
「僕も見たよ。揺れてたね」
「気になるな、見に行こうぜ」
人差し指を謎の発光があった方へ向け、面白半分にロスラフを誘う。
ロスラフは頷いて誘いに乗り、二人で子供じみた好奇心を起こして駐車場へ近づいた。
駐車場と外庭を隔てる背の低い草むらまで来ると、音を立てないようにして屈んで草むらから頭だけを出して駐車場を覗く。
謎の発光体は時々光っては高級車のボディを照らし、消えたと思ったら隣の高級車に移動していて同じくボディを照らす。
ロスラフは息を潜めてじっと光を追っていると、一瞬だけ逆光によってぼんやりと小柄な人間の姿を見た気がした。
発光体の正体を断定するよりも前に、ロスラフの耳にカールが口を寄せてくる。
「車上荒らしじゃね?」
「……ほんと?」
「ああ。だって車の側面とかサイドガラスに光を当ててるじゃん。車種を確認したり、内部に金があるか調べてんだと思うぜ」
「なるほど。言われてみれば」
改めて発光体の様子を観察する。カールの言う通りの箇所ばかりを照らしていた。
謎の発光体を目で追うロスラフに、カールは悪戯を目論んだような顔で話を振る。
「なあ。二人であの車上荒らし捕まえね?」
「はあ?」
「あいつを捕まえて警察に突き出せば、俺達お礼状を貰えるかもしれねえ。平民党の党首がお礼状を授与したとなれば政党の評判が一気に上がるぜ」
「車上荒らし捕まえたぐらいで貰えないでしょ」
「生憎お礼状を貰えなかったとしても、荒らしに遭っているのが有社党の車となれば、荒らしの犯人を捕まえて有社党の奴らに借りを作れるだろ?」
「そんな上手くいくかな?」
都合良すぎる展開を疑問視するが、カールはすでに中腰になって最早その気である。
「ロスラフは駐車場の入り口で待ち伏せしといてくれ。俺は近くの低い場所から降りて車上荒らしを追いかけるから」
「やめたほう……」
「じゃ、頼んだぞ」
カールはロスラフの制止を聞くことなく中腰姿勢のまま好位置への移動を始める。
溜息吐きたい思いを抱きながらも、ロスラフは指示された駐車場の入り口へ生垣に沿って歩き出した。
左右を漆喰塀に挟まれた駐車場の出口の一本道で、ロスラフは街灯の明かりを頭から注がれながらターゲットの車上荒らしを待ち伏せていた。
「ほんとにカールの言う通りになるかな?」
友人が立案した車上荒らし捕獲作戦に参加しながら、しきりに腕組んで首をかしげる。
――他人の乗用車に忍び込んで盗みを働くような人間が、律儀に駐車場のルールに従って出口から姿を現すだろうか?
カールが入り口を塞いだとしても逃げようは他にいくらでもあるだろうし、第一カールの身体能力が車上荒らしを上回っているとは限らない。
車上荒らしはカールを振り切って入口から逃れたかも――。
ロスラフの憶測が失敗の結果に終わったその時、彼の前方の薄闇からスカートのようなものを揺らしながら走ってくる人影が見えた。
「うん?」
思ったよりも軽快な走りで近づいてくる人影に目を凝らす。
途端に当てが外れたように残念な顔つきになった。
「本当にこっち来ちゃったよ」
駐車場で見た車上荒らしと姿形が似通っていた。
ロスラフが嘆いている間にも人影はどんどん距離を詰めており、ついには身なりを識別できるほどにまで接近した。
車上荒らしは珍しい姿をしている。闇に溶け込む黒い修道服は少女らしい身体の線を顕し、顔の位置には薄闇でも際立つ白のオペラマスク。
「よ、よし、こい!」
人影の身なりを上から下へ眺めつつ、腕を前に出してサッカーのゴールキーパーみたいな姿勢になる。
一拍空けてから、近づいてくる人影とロスラフの記憶が結びついた。
「修道服にオペラマスクって……白い仮面……あっ……」
予想外の登場に当惑している次の瞬間、ロスラフは顔が青ざめて背筋が凍る恐怖を抱く。
白い仮面が接近しながら、目にもとまらぬ速さで片手拳銃を抜いて両手で構えていた。
それもロスラフの胸元に銃口を向けながら。
「……――」
キーパーの姿勢のままでロスラフの脳裏に走馬灯が流れる。
父に背負われて出掛けたクリスマス市場、フリッカと揃いで買った勉強用ノート、街の歴史を教えてくれる父、十才の誕生日にフリッカが手作りしてくれたチーズケーキ、大学時代フリッカと受けた政治学の授業――などなど。
俺との思い出はないのかよ、とカールが悔し涙を流そうなラインナップの走馬灯。
刹那、ロスラフの目の前で修道服がビックリしたような気配をさせて足を止めた。慌てた様子で銃口を地面へ下ろす。
中々聞こえてこない発砲音に、ロスラフの意識は走馬灯から現実へ還ってきた。
「……あれ、撃たれてない?」
三歩と離れない距離で白い仮面がオペマスク越しに自分のことを見つめており、ロスラフは状況説明を求めたかった。
理解しがたい顔で佇むロスラフに対して、白い仮面はロスラフの胸元から視線を外さずに下ろしたままの銃の安全装置を掛けた。
予期していた鉄火場とは逆の光景に、ロスラフは呆然と白い仮面の動きを見る。
「撃たない……」
ロスラフが声を出すのと同時に、白い仮面が瞬発的に動いた。
一瞬でロスラフの左脇腹に迫り、背を屈ませてロスラフの腕の下を潜り込む。
「ちょっ、待て」
即座にロスラフが左手を出すが、白い仮面の身体はほとんど潜り抜けていた。
勢いのままロスラフを抜き去ろうとする白い仮面を、彼の左手が反射的に追いかける。
白い仮面の頭に被されたウィンプルの裾がなびいており、思わず手に掴んだ。
ウィンプルを掴まれたことに気付き、白い仮面は勢いを落とさずに走りながらウィンプルを手で押さえた。
ロスラフは身体ごと引っ張られ、白い仮面の頭からウィンプルが外れると支えを失って転倒した。
転倒の際にウィンプルを手から離したロスラフを気に掛けず、白い仮面は地面に落ちたウィンプルだけを拾うと被らずに走り去っていった。
うつ伏せのまま目を上げると、駆け去る白い仮面の後ろ姿に重なって絹のような銀髪がなびき舞い踊っていた。
「見たことない綺麗な髪色だ……」
あっという間に遠くなっていく銀の糸を引くような白い仮面の姿に、ロスラフは驚きとともに呟いた。
ゼエゼエ。
白い仮面の姿が夜の闇に消えて見えなくなった直後、地面に転ぶロスラフに乱れた呼吸音が接近した。
ロスラフが立ち上がって乱れた呼吸の聞こえる方を窺うと、白い仮面を追いかけて来たカールが息も絶え絶えに膝に手をついて立ち止まっていた。
「大丈夫か、カール」
「これが、ゼエ、大丈夫に、ゼエゼエ、見えるか?」
かろうじて答えるカールの顎先から汗が滴り落ちる。
ロスラフは平然と頷く。
「どうやら大丈夫そうだね」
「……ううっ」
気遣ってくれない友人にカールは悲しい目になった。
「車上荒らしは捕まえられなかったけど、カールの失策が原因ということで今日はここまでにしよう」
「……なんで俺が原因なんだよ?」
ようやく呼吸が整いだしたカールが反発する。
膝から手を離してロスラフに人差し指を突き出した。
「お前があっさり止められなかったのが悪いんだろ! 止めていれば挟み撃ちで捕獲できたのによ」
「いやだって、拳銃向けられたし」
「撃たれてでも止めろよ!」
「俺が撃たれた時点で作戦失敗するけどな。というか、命賭けてまでは止めたくないんだけど」
「それでも政党の党首か!」
「撃たれてでも小悪人を捕まえようとする党首って見たことないよ」
一本道の真ん中でロスラフとカールは禅問答を繰り返した。
やがてロスラフが拳銃を向けられてからの経緯を話すと、カールは同情の顔になる。
「進路を塞ぐ位置で身構えたら銃を向けられたんだよ」
「それを止めるのは無理があるな。あーあ、有社党に借りを作れる折角のチャンスだったのに、相手が手練れじゃーな」
カールは愚痴のように零す。
「借りを作るためだけに僕は死にたくないよ」
ロスラフはぼやき、死というワードを口にした。
銃口に捉えられた瞬間が脳裏に蘇り震えが走る。
銃殺されていたかもしれないのか、と恐怖し、同時にふとした疑問が湧きあがった。
――どうして撃たれなかったんだろう?
温情か気まぐれか、はたまた別のやむを得ない事情か。
白い仮面の後姿に映えた銀髪と重なり、ロスラフの思考は目的地もなく彷徨った。
しかしカールに帰ろうぜと促されると、思考は頭の片隅に追いやられ、命拾いした実感が強くなって胸を撫でおろした。
ぶつぶつと未練がましく呟くカールと連れたってロスラフは帰途に就いた。
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