1-3
邸宅の正門を潜ると、噴水やガゼボなど設けた豪華な造りの前庭があり、ロスラフとカールよりも一等良質なスーツを着た者たちが邸宅の階段状になった入口へ入っていく。
「高級役人ばっかじゃねーか」
カールは若干気後れする。
周囲の人の動きを眺めていたロスラフは、背筋を正してスーツのネクタイを締め直した。
「畏まる必要はない。礼儀さえ失しない限り堂々と振舞っていいんだ」
「お前ほんと、いざとなると肝据わってるよな」
普段は温厚で自信なくフリッカに苦言ばかり戴いている人物の台詞とは思えず、カールは感心と呆れ両方で言った。
ロスラフの目元はきりりと引き締まっている。
「行こうカール」
「ああ」
カールは促されるままにロスラフの隣に付いて歩いた。
二人で前庭を横切り、入り口を抜ける。
邸宅の中に足を踏み入れると、左右に明るい篝火を模した電灯を等間隔に配した廊下が伸び、深紅の絨毯が突き当りの客人のために開かれた豪奢な両開きの扉まで続いていた。
絨毯を踏みしめて廊下を進み、扉を通りすぎる。
扉を抜けた会場内ではサテンの白いクロスを敷いた丸テーブルがいつくも並び、それぞれの卓で上質なスーツを着た壮年の男たちが歓談していた。
空いている席を探してロスラフが首を回しかけた時、会場の中央にあるテーブルにいた骨太の男性が彼に向って手を挙げた。
ロスラフは挙手した人物とその取り巻きへ億劫そうに目を移す。
上背があり黒い顎髭を手入れされた森のように生やした男が、含みのある聡明な双眼でロスラフを見つめていた。
「あの真ん中にいるのって、ヨーゼフ・クローゼか?」
カールが確かめるようにロスラフへ尋ねた。
ヨーゼフ・クローゼ。有社党の党首であり国政議会の議長である。
ああ、とロスラフは肯定し、ヨーゼフに真っすぐ目線を返し歩み寄った。
「あっ、おい待て」
戸惑いながらカールがロスラフの後に続いた。
ロスラフはカールを気には掛けずヨーゼフの一歩手前まで近づく。
意識的に口元を緩ませた。
「こんばんは。ヨーゼフ・クローゼさん」
「うむ、こんばんは。ロスラフ・シュラー君」
感情を窺わせない挨拶を返し、ヨーゼフも口元を緩ませた。
カールが理解の追い付かない間抜け面で、友人と政権の長を交互に見る。
ヨーゼフの取り巻き達はロスラフのことを意に介さず、手元のビアグラスを覗くなり他のテーブルに視線を向けるなりしていた。
「ついに今年が最後だね、ロスラフ・シュラー君」
「ええ、最終年です」
「約束のことをしっかり覚えているようで何よりだ」
「忘れませんよ。あなたの勧誘を断ってまでも成立させた約束ですから」
「おい、ロスラフ。約束ってなんだよ?」
話についていけないカールが軽い口調で説明を求めた。
ロスラフは政敵と目を逸らさぬまま答える。
「今年で議席を取れなかったら有社党が平民党を吸収するっていう話」
「あー、そういうことか」
カールは納得してヨーゼフを振り向き、急に愕然とした表情でロスラフに向き直った。
「聞いてねぇぞ、そんな話!」
「党員にしか言ってなかったからね」
「……いつから、その話が出てた?」
「五年前」
カールは五年前へ記憶を遡った。
当時一九歳。大学の工学部に所属し、休日は街中でナンパ成功十人を目標にし、ことごとく失敗していた――
うぅ、とカールの目から苦い涙が落ちた。
「そんな大事な約束交わされた時期に、俺は何やってたんだろう……」
「ロスラフ・シュラ―君。君の友人はさておいて」
カールの存在を憚ることなく、ヨーゼフは話を続ける。
「約束はあくまで吸収だ。君の父が創立した平民党が消滅するわけじゃない。それに現在の国の政権である有社党の中で意見が通せるかもしれない、悪い話じゃないだろう?」
「つまり、どうして欲しいんです?」
「争うのをやめて、うちに来たまえ。選挙をしたところで平民党は議席すら取れない。うちに入れば君の分の議席を用意してあげよう」
「そうですか」
肯定とも否定ともつかない言葉をロスラフは返した。
左胸に付けられた方円の中に天秤を象った金色のバッジを、右手で優しくつまむ。
「僕は平民党を辞めるつもりはありません。父の願いが成就するまで僕は闘い続けます」
「契約書にサインしたからには、約束は守ってもらうよ」
「ええ、いいでしょう。けど、最後の最後まで僕は諦めませんからね」
「まあ、せいぜい頑張りたまえ」
ヨーゼフは無念を含んだ声音で言い、ロスラフに背を向けた。
ロスラフの方も踵を返し、入り口に近いテーブルの方へ歩き出す。
「空いてる席に行こう、カール」
「あ、ああ」
突然に終わった党首同士の対決に、カールは困惑しながらもロスラフの後についていく。
丁度空いていた出入り口近くのテーブルを二人で陣取る。
ロスラフはテーブル上に用意されていた未使用のビアグラスを手に取り、水差しの冷や水を半ばまで注いだ。
首を反り返してグラスを一気に呷る。
「ふぅ……」
「お前、水なんて飲んでどうしたんだよ。飲水趣味でもあったのか?」
苛立ちを飲みくだそうとするロスラフに、カールはわざと軽口のように話しかけた。
ロスラフは真顔になる。
「もう大丈夫」
「無理すんなよ。愚痴くらいならいくらでも聞いてやるから」
「ほんとうに大丈夫だよ」
そう返して友人に微苦笑を浮かべた。
しかし続く言葉は出てこなかった。
ロスラフが無言になったところで、カールもグラスに手を伸ばす。
水差しから冷や水を注ぎ、目線はグラスに向けたまま問いかける。
「もしも議席取れなかったらどうするんだよ?」
「どうするって?」
ロスラフの方から視線を投げた。
それでもカールの目線はグラスに向かっている。
「平民党が吸収されたら公約なんて絶対に叶わないじゃんか。平民党を信じて支持してくれる黒人は差別から解放されないままだ」
「心配ないよ。平民党が吸収されたとしても、僕と同じ考えの人がいなくなるわけじゃないんだ。いずれ平民党の意思を受け継いだ政党が誕生するよ」
「だとしても、それってただの先延ばしじゃんか」
「でも仕方ないこと……」
「お前がそれで納得できるのかよ?」
「それは……」
いつもの剽軽とは違うカールの口調にロスラフは押し黙った。
カールはなおも詰問を重ねる。
「納得できないんだろ。認めろよ」
「そうだね、ごめん。でも……」
「でも、なんだよ?」
ロスラフの顔に覚悟が宿る。
「認めたところで現状は変わらないよ。なんとか手を打たないと」
決意を新たにした友人の姿にカールの顔に剽軽さが戻った。
「出来ることがあったら言えよ、協力するぜ。なんなら小っちゃくて可愛い子がご奉仕してくれる風俗店にだって付き合ってやる」
「それは一人で行ってくれ」
ロスラフのマジトーンでの返答に、カールは冗談じゃんかよ、と言い返した。
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