1-2
シュヴァルツ共和国の主要産業は加工や製造などの第二次産業であり、インネレシュタットにも多くの工場が建っている。
夕暮れまでフリッカと選挙ポスター貼りをして回ったロスラフは、途中でフリッカと別れインネレシュタットでも有数の黒人雇用者を誇る大工場を訪れた。
煙突がありながらも煤煙を噴き出していない工場の敷地へトラックが出入りする門の端から入って、事前に話を通していた黒人の門衛と一言二言交わす。
しばらくすると工場敷地内の右手にある開発棟から痩せ気味の身体つきに空色のつなぎを着た男性が出てきた。
男性は門衛所のところにロスラフの姿を見つけ、気さくな笑顔で駆け寄ってくる。
「予定より遅いぞ、カール」
ロスラフはつなぎの男性を軽く咎めた。
つなぎの男性カール・スナイダーは短い黒髪の下の顔をヘラヘラと緩ませる。
「わりぃロスラフ。人事の会議が意外と長引いてな」
「開発部なのに人事に参加するんだな」
気の毒そうな目で言うロスラフに、カールは溜息つきたい顔になった。
「ロスラフだってわかってんだろ。俺が人事に参加する理由」
「ああ、わかってるよ。ヘタレだから上の人の頼みを断れないんだろ」
「ちげぇよ!」
理解した表情で言葉を返したロスラフに大声で否定した。
疲れたようにカールは天を仰ぐ。
「俺はヘタレじゃないって言ってんだろ。いい加減、ヘタレって言うのやめてくれ。大学時代からの親友だろ」
ロスラフとカールは大学時代から何故か馬の合う仲である。
「え、親友?」
「……その驚きっぷり、どういうことだよ?」
意外そうな顔をするロスラフに、カールは不得要領に眉をしかめる。
当然と言いたげにロスラフは答えた。
「都合のいい下僕くらいに思ってたんだけど」
「ううっ」
あまりの言い草にカールは呻きとともに涙を落とした。
そのまま泣き出すかと思いきや、カールは目尻を吊り上げロスラフを睨みつける。
「それでもお前、人民の平等を訴える平民党の党首だろ。下僕なんて言葉使うなよ」
ロスラフが党首を務める平民党の公約は、カールの言う通り『人民の平等を民主で叶える』なのである。
しかしロスラフの本当の公約はもっと具体的だ。
それは『黒人の自由と人権を確立し、差別を根絶する』である。未だに白人至上主義が多数を占めるシュヴァルツ共和国では大っぴらに標榜しにくいが。
「工場の方針で平民党の支持を推進し、黒人の採用に積極的に取り組んでいるのを誰だと思ってるんだよ。今日参加した人事だって、新しく採用する黒人の所属部署を決めるためのものだったんだぞ」
この工場の開発部長であるカールは有名大学の出という経歴もあって工場長を兼ねており、工場の従業員に平民党への支持を薦めることで支持率維持の一助になっている。
「うん、ありがとう。カールには感謝してる」
ロスラフの淡白な礼の言葉に、カールは満足そうにニンマリと笑んだ。
「そうだ、そうだ、感謝しろ……って、俺チョロいな」
「カール。ほんとにお前って扱いやすいよな」
「うるせぇよ!」
カールは声を張り上げながらも険を含めてはおらず、すぐに気さくな元の顔に戻った。
「さっさと行こうぜ。定例会に遅れると面倒だからよ」
「そうだね。面倒だもんね」
互いに笑い合いながら、ロスラフとカールは工場を後にした。
工場を出た二人はカールのマンションで正装に着替えると、定例会の会場である市長の邸宅まで歩き出した。
空は宵闇の暗紫色に染まり、西に傾いた太陽が広い道路の反対側に建てられた高いレンガ塀の中に沈みかけていた。
ロスラフは歩きながらレンガ塀を眺める。
「何か気になるのか?」
隣を歩くカールが不思議そうにロスラフを見遣った。
ロスラフと同じ方に視線を向け、友人が何を見ているのか理解する。
「スラム街か?」
「うん」
ロスラフが眺めるレンガ塀の向こう側、そこには低所得と差別ゆえに窮乏に耐え忍ぶ黒人達のスラム街が形成されている。
一見栄える都市のように見えるインネレシュタットにも、文明から隔絶され放逐された人達が存在する。その放逐された人達が住むのがレンガ塀の内側のスラム街だ。
「市長の家でご馳走に与かる俺達には、胸が痛いよ」
カールが慮るように言った。
ロスラフは相槌を打つでもなくレンガ塀の透かすようにして見つめている。
黒人の権利平等を願う平民党の党首としてだけでなく、ロスラフにはスラム街に別の思いも馳せていた。
彼の父ジルベルト・シュラーがスラム街の住人にパンを配給する慈善活動中に、スラム街の黒人に襲われ死んでいるのだ。
悲劇の地でもあるスラム街にロスラフの感情は千々に乱れる。
「いつか、無くなる時が来るのかね」
カールは何がとは言わずに呟いた。
ロスラフは無言でレンガ塀に目を留めている。
「党首であるお前が、どうにかするのか?」
「どうだろう。僕に出来るかな」
レンガ塀から目を離し、カールに振り向いた。
ちょっと弱気を滲ませた笑みを浮かべる。
「僕は父さんほど人望がないし、理想だけを掲げても信頼は勝ち取れないよ」
「確かに理想だわな。差別をなくそうって言うのは」
カールは悟ったように言葉を返した。
大通りの路地へ入る角を曲がると、レンガ塀は建物の陰に隠れて見えなくなった。
役人が乗るような高級車が歩道を歩く二人の横を通り過ぎる。
「そういや、あれ知ってるか?」
カールが高級車を見て思い出したように口を開いた。
ロスラフはなんのこと、と話を促す。
「近頃、不気味な怪盗が出没してるっていう話」
「うん。確かにカールの回答は不気味だね」
「そっちの回答じゃねーよ。というか俺の回答不気味じゃねーし」
「冗談だよ。冗談。盗む方の怪盗でしょ」
「わかってんなら話の腰を折るなよ」
煩わしそうに顔をしかめながらも一拍置いて話を続ける。
「不気味な怪盗についてだが、今度は有社党の党員の家に侵入したらしいぜ。被害額は大したことなかったらしいが、警備兵が一人撃たれたって」
「その話は僕も新聞で読んだよ。白い仮面でしょ」
深夜の邸宅に忍び込んで金品を盗むとされている『白い仮面』の話題は、昨今インネレシュタット市内で騒ぎになっている。
被害者は比較的金のある家に限られているが、都市部であるインネレシュタットでは白人のほとんどが不足ない生活を送れている故に、誰しもが対象になりうる。
「そうそう。修道服にオペラマスクのあの白い仮面だ」
「カールの工場も気を付けた方がいいんじゃないか?」
「まあそうだけどよ。ロスラフの党事務所だって危ないだろ」
平民党は小さい党とはいえ頑丈な造りをした住宅一軒ほどの事務所を持っている。
ロスラフは途端に不安な表情になった。
「言われてみれば心配になってくる。党の資金を無防備に置いてあるわけじゃないけど、ただでさえ少ない資金に手をつけられたら生活自体が火の車だよ。国から資金をもらえる有社党とはわけが違うからね」
「せいぜい戸締りだけでも確実にしておくんだな。警備を雇うほど余裕があるわけじゃなしな」
「そうするよ。忠告ありがとう」
自身の工場よりも党の運営を心配してくれる友人に、ロスラフは素直に感謝した。
白い仮面について喋っているうちに、市長の邸宅の裏門前まで来ていた。
カールが邸宅の門越しに広大な駐車場を見遣る。
ゲッ、とあからさまに悪感情を示した。
駐車場には黒塗りのボディの横面に『有権社会党』とシール張りされた高級車が数台並んで停まっている。
「デカデカと政党名を書いてんじゃねーよ」
「毎年のことじゃないか。僕はいい加減見慣れたよ」
諦観という言葉が合う顔でロスラフはぼやく。
カールは不満そうにロスラフを振り向いた。
「お前はあれを見て悔しくないのか?」
「少しは悔しいけど、実際に有社党はこの国の政権握ってるからね。どの地区でも票数九割越えだって聞くし」
「まあ、そうだけどよ。平民党を支持している身としてはあまり公然としないでほしいぜ」
「あれも選挙活動の一環だよ。さあ中入ろう」
敵政党の派手な車両に納得いっていないカールを促し、邸宅の正門を目指して歩き出す。
カールは渋々駐車場から視線を離し、ロスラフの隣に追いついた。
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