一章 平等民主党
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一九六二年の一〇月半ば。インネレシュタット市。
第二次大戦後に分断を免れたドイツの東隣に位置する、小国シュヴァルツ共和国の一都市だ。
その都市の中でも商店が多く連なる広い路地を、秋晴れの空の下で二人の男女が紙束を抱えて歩いていた。
「次はここだね」
男性の方、ロスラフ・シュラーが大量に抱えた紙束越しに路地の掲示板を顎で示した。
まだ青年といっても通じる容貌に鳶色の髪が波打ち、灰色のブルゾンにジーンズの恰好をしている。
ロスラフは紙束から上の一枚を取り、掲示板の数ある枠に押し付けた。
紙束が重いせいか掲示板に押し付けた紙は斜めになってしまっている。
「もう、無理しないのロスフラ」
青年よりも大分枚数の少ない紙束を抱えた女性、フリッカ・ラーマンが世話が焼けるというように掲示板に押しつけた紙の一端を手で触れた。
ふわりとしたブルネットの髪にチェック柄のブラウスにウールのスカート。目鼻立ちに愛嬌のあるロスラフと同い年の若い女性だ。
ロスラフが紙から手を離す。
「ごめんフリッカ。代わりに貼ってくれる?」
「もとからそのつもりよ」
フリッカは呆れた声で返し、紙束を脇に抱え掲示板の紙を真っすぐに貼った。
紙にはロスラフの似顔絵らしきイラストと、『ぜひ我が党に清き一票を』という文句が書かれてある。どうやら選挙ポスターのようだ。
「よし、これでロスラフがカッコよく見えるでしょ?」
フリッカは真っすぐに貼り終えた選挙ポスターに満足してロスラフを伺う。
当のロスラフは苦笑いした。
「別に見栄えよくしなくても大丈夫だよ。興味ない人には見向きもしないポスターだから」
「ダメよ。ポスターの貼り方まで注意しないと。ロスラフは党首なんだから、ポスター見た人に好印象を与えないと」
「わかったよ」
苦言を呈するフリッカに、ロスラフは素直に頷いた。
ロスラフは人民の権利平等を目指す小政党『平等民主党』訳して『平民党』の党首だ。
この若さで政党の党首を担うのは稀なことだが,五年前彼の今は亡き父ジルベルト・シュラーから党首の座を受け継いだのだ。
掲示板にポスターを貼り終えて、二人は次の掲示板がある場所へ歩き始める。
「選挙期間はだいたい一か月後までよね」
フリッカがわざと考えを漏らすように呟いた。
隣を歩くロスラフは紙束を重そうに抱えながら訊き返す。
「それがどうかしたの?」
「私たち、今度の選挙こそ議席取れるかな」
都市であるインネレシュタットでは、一年に一回地区ごとに選出される国政議員の席が三席用意されている。平民党はそのうちの一席もここ十年間は獲得できていないのである。
不安げに言うフリッカにロスラフは微笑みかけた。
「やる前から取れないなんて思ってないよ」
「先週のインネレシュタットの支持率予測。有社党が九〇パーセントだったでしょ」
有社党とは正式名称『有権社会党』といい、有権者の便益を優先する政策を活動主体にし、インネレシュタットだけでなく他の都市でも最も多くの支持率を誇り、現在の国家最政権を担っている政党だ。
ロスラフ率いる平民党とは党員数も知名度も雲泥の差だ。
「……厳しいことはわかってるよ。それでも、やれることをやるしかない」
「それもそうね。選挙活動は出来ることも限られてるけど、支持率が少しでも上がるように頑張りましょ」
「とにかく今日は陽が暮れる前にポスターを貼り終えよう」
未だ大量のポスターを抱えてロスラフは意気込む。
フリッカはふと意気込むロスラフを見て首を傾げた。
「ねえ、ロスラフ」
「うん。なに?」
「党首であるあなたがポスター貼りをする必要ってあるの?」
今更ではあるが当然の質問が飛び出た。
選挙ポスター貼りは、本来党首がやるべき仕事ではない。
ロスラフはなんだそんなことかと能天気な顔になる。
「僕がポスター貼りをする必要は確かにないよ」
「じゃあ、どうして。ポスター貼りなら私一人でもできるのに」
「理由があるんだよ」
「どういう?」
「皆に顔を覚えてもらいたいから。少しでも平民党のロスラフ・シュラーが知られれば支持してくれる人が増えるかもしれないし、フリッカ一人任せるのは忍びないだろ」
ロスラフの答えに、フリッカは嬉しそうに微笑んだ。
「そんなこと言える党首他にいないわよ、ロスラフ」
「そうかな?」
「でもそこがロスラフの良さでもあるけど。さ、私も平民党の党員である以上、できる限りのことはやるわ。急ぎましょ」
「うん。急ごう」
二人はわずかに足を早めた。
少しでも多くポスターを貼っておきたい。
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