第10話 真珠の涙

 あの後、私は捕らえられていた人たちが心配で、途中で王賀と別れた。

 部屋を覗くと、皆自由になり、ほっとして座り込んでいた。

 衛生官が何人か来て世話を焼いているが、最初に殴られた官吏以外は、皆無傷で済んだという。

 梅玉にお礼が言いたかったから、部屋を見渡したけど、彼女はこの部屋にはいないようだった。

「もう帰っちゃったのかな」

 次に、中庭に行った。

 井戸の回りで柳が穏やかに揺れているだけで、彼女の姿はなかった。

 食堂にもいなかった。

 仕方なく、王賀たちの執務室に帰る。

「ただいま戻りました」

 部屋には誰もいない。

 机の上にあったはずの書類が、床に散乱していて、二人が慌ててここを出て行ったことが見て取れた。

「心配掛けてごめんね」

と、呟くと「まったくよ」と可憐な声で返事があった。

 ふり返ると、楊梅玉が後ろに立っていた。

「哥哥はまだ帰らないの?」

「多分もう少し掛かるんじゃないかな」

「そう。ちょうど良いわ。二人だけで行っておきたいことがあったの」

 そういうと、梅玉は、私との距離を詰めた。

「あんた、馬鹿なんじゃないの?自分から人質になったりして」

「そ、そうかもしれない。ご心配お掛けして申し訳ありません」

「ふん、その馬鹿さ加減が哥哥とお似合いだわ」

 梅玉は、私の鼻先をぎゅっと抓んだ。

「哥哥はね、周りの人が「死んでしまうからやめとけ」と言うのに私を助けるために川に飛びこんだの。馬鹿でしょ。お人好しなの。あなたも同類ね」

 好かれたのわかるわ、と言って、梅玉は私の鼻から手を離した。

「私、婚礼の晩に殺されたの。でも、すぐに冥土に来たわけじゃない。苦しくて、つらくて、恨めしくて、たくさんの人を祟ったわ。孤魂野鬼になってしまったの。そんな私を探し出して、こっちに連れてきてくれたのも哥哥だった」

 梅玉の大きくて美しい目から、ぽろりと涙がこぼれた。

 ひとしずくが真珠の玉のようだった。

「私、あの人と一緒になりたかったけど。私じゃ、あの人にふさわしくない。今回の件で、そう思ったの。今まで意地悪なこと言ってごめんなさい」

「気にしないで」

と、私は手を振った。

「今日は王賀に知らせてくれてありがとう。おかげで助かりました」

「私こそ、ありがとう。あのまま人質になっていたら、私どうなっていたか……」

「ともかく、二人とも無事で良かった。もし良かったらなんだけど、この後、二人が部屋に帰ってくるまで、ここでお茶でもしない?この前ちょっと良いお茶とお菓子を貰ったから。ほら。ここに掛けて」

 梅玉は涙を拭って頷いた。

 二人だけのお茶会は小一時間ほど続いて、その後、王賀と黄仁が帰ってきて、お酒のない祝勝会に変化した。

 帰り際、梅玉は転生することにしたと、王賀に言い残して去って行った。


 一週間が経ち、梅玉の転生の日がやって来た。

 見送りに行くという王賀を私は一人で送り出した。

「一緒に来ないの?」

「うん、二人だけの方が良いと思って。よろしく伝えて」

 転生してしまえば、もう今の記憶を覚えてはいられない。

 けれど、あったものがなかったことになるわけでは無いと思う。

「大切な時間にしてね」

 その後、二人がどんな風にして過ごしたのか、私は知らない。

 けれど帰ってきた王賀は、張り詰めた表情をしていて、私の顔を見るなり、声を上げて泣き始めた。

 私は黙ってその背中をさすった。

 彼女が、彼の生前を知る最後の人物だったのだ。その喪失感たるや幾許だろうか。

「娘が死んでしまったかのような心持ちがする」

 必死で涙を拭いながら、彼は言った。

「大丈夫、新しい命として幸せになれるよ」

 明け方の空に優しい色の雲がたなびいている。

 夜明けの光が、彼女の輝く命のように思えて、私は空に向かって微笑んだ。

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