第9話 人質事件発生

 今日も今日とて冥府でお仕事である。

 書類仕事も板についてきて、トントン拍子に仕事は進んでいく。

 心地よい。爽快だ。

 私は、王賀に声を掛けた。

「参考にした書物を書庫に返しに行ってきますね」

 王賀と黄仁は、次の孤魂野鬼対策の打ち合わせ中だ。

「気をつけて」

 地図とにらめっこしながら王賀は言った。

 私は、書物を抱え上げると、書庫へと向かって歩き出した。

 この執務室は書庫からかなり距離がある。

 私は、広い廊下の柱を「何時代の何様式なんだろう」と眺めながら歩いて行った。

 すると、途中から何やら当たりが騒がしくなった。

 廊下に溜まっている獄卒の何人かに話しかける。

「何かあったんですか」

「亡者が逃げたらしくてな。今探してるんだ。気をつけなよ」

「分かりました。ありがとうございます」

 用心するに越したことはないなと思いながら、その場を後にする。

 しばらく行くと、転生を扱う部署の部屋の前に行き当たった。

 この角を右に曲がってまっすぐ行くと書庫だ。

 いつもは転生予定者で賑わっている事務室の中が何故か静まり返っている。

 これはおかしい。

 先ほど獄卒から聞いた亡者の脱走事件が頭を過ぎった。

 そっと部屋を覗いてみる。

 すると、部屋の中では、何人もの人が縄で縛り上げられ、人相の悪い大柄な男が華奢な娘さんを人質にとって睨みをきかせているところだった。手には獄卒から奪ったらしい鉄棒が握られている。

 私は足音を殺して、今来た道を引き返した。

 そして、行き会った獄卒に現状を伝えると、私は立てこもりの現場に取って返した。

 人質にされていたのが、あの楊梅玉だったからだ。

 私は、部屋の戸を開けて言った。

「その娘さんを離して。私はここの官吏の一人です。代わりに人質になります。だから彼女を離しなさい」

 犯人は、梅玉と私を見比べた。

 人質としての価値を推し量ったのだ。

 その結果、私の方が有用だと判断した。

「俺を生き返らせろ。現世に繋がるところへ連れていけ」

 そう言って、梅玉を柱に縛り、私の手に縄を掛けた。

「わかりました」

 私はそう頷いた。

 これから私がすべきことは、応援が駆けつけるまでの時間稼ぎだ。

「でも、いくつか聞かせて。あなたはどうやって死んだの。それによっては、現世に戻った途端にとんでもない苦痛を味わうことになる」

「酔っ払って寝て、吐瀉物を喉に詰まらせたのさ。どうって事無い」

「そう、わかった。例えば、現世に戻るにしても転生してやり直す方法もあるけど、それは考えなかったの?」

「俺は俺のままで良いさ」

「あなた、名前は?」

「郭剛」

「わかった。では、案内します」

 私は、できるだけ遠回りをしながら、歩いて行った。


 目的の部屋までの最後の渡り廊下が目前に来た。

 ここで停められなければ、犯人を取り逃がしてしまう。

 ここに来るまでに何人が獄卒が駆けつけてくれたが、郭剛がすべて返り討ちにしていた。

 夫の──王賀の顔が思い浮かんだ。

 用済みになった時、私はどうなるのだろうか。

 郭剛は、用心深く、私を先頭にして渡り廊下を進んだ。

 もうすぐ、廊下を渡りきってしまう。

 もうだめだ、と思ったその時、私の正面から、風のように走り込んできた人影があった。

 ぐっと腕を引かれ、背後に庇われる。

 その人は、現世と繋がっている御殿で待ち伏せていたのだ。

「彩々、待たせてすまなかった」

「王賀!」

 剣先を郭剛に向けながら、王賀は背筋を伸ばして立ちはだかっていた。

「冥土の木っ端役人風情が!」

 鉄棒を振りかぶる郭剛を軽くいなして、王賀は剣を突きつけた。

「郭剛よ、お前は長らく孤魂野鬼として彷徨っていた。現世に戻ろうと、その体は朽ち果てて既に無い。どうするつもりだ」

「それならば、また野鬼として暴れ回るまでよ!」

 郭剛は、鉄棒を大きく振り抜いた。

 挙動が大きいからか、王賀は難なくそれを躱す。

「離れていて」

 王賀は、私にそう告げると、剣を構えた。

「本気で行く。怪我をするぞ」

「抜かせ、優男!」

 決着は一瞬だった。

 私は目で追うことができなかった。

 王賀が郭剛との距離を一瞬で詰めた、と思った次の瞬間には、郭剛は地に倒れ伏していたのだ。

 王賀は、ふり返るとにっこりと笑った。

 それがあまりに格好良くて呆けてしまいそうになるのを、頭を振って正気を取り戻す。

 王賀は私の手から縄を解くと、今度はその縄で郭剛を縛った。

「無事で良かった。怪我は?」

「縄の擦り傷ぐらい」

 私がそう答えると、王賀は、私の手首に口づけをした。

 不思議な力で、すうと傷が消えていく。

「ありがとう」

「こちらこそ、ありがとう。小妹を助けてくれて」

「当然のことをしたまでです」

と、おどけてふんぞり返ってみせると、彼も相好を崩した。

「実は、小妹が獄卒に助けられた後で、君が身代わりになったと走って知らせに来てくれたんだ」

「そう。お礼を言わないといけないね」

「そうだね。さてと、先に、こいつを引き渡してくるよ」

 そういって気を失っている郭剛の巨体を担ぎ上げると、王賀は悠然と歩いて行った。

 私は慌ててその後を追いかけるのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る