第5話 命をかけて助けた女

 その日、昨日夫婦の契りを結んだ動揺か、王賀は忘れ物をして出かけていった。

 愛用の剣だ。

 これは絶対に届けなければならない代物だと私は思う。

 しかし、どこへ行ったものか皆目見当がつかない。

 出かける準備だけはしながら、どうしたものかと考えていると、戸口を叩くものがあった。

 小窓から覗くと、尋ねてきたのは若い女性だった。

 美しく化粧をして、瀟洒な簪が揺れている。

 目鼻の造作も秀でている。愛らしく、けれど美しく、文句のつけようのない美女だ。

「哥哥?居るの?」

と、女性は尋ねた。王賀のことだろう。

 私は戸を開けて応対した。

「すみません、夫は先ほど出かけてしまって……」

 女性は冷たい声で言った。

「あなただれ?」

「私ですか。王賀の家内ですが……」

「うそ、うそうそうそ!」

女性は地団駄を踏んだ。見た目よりもずっと子どもっぽい仕草だった。

「絶対に認めないから!だって私が居るのに!哥哥が結婚なんて!」

 王賀を哥哥お兄ちゃんと呼んでいるということは、妹だろうか。

 そうすると言動に整合が付かない。

「あの、どちら様でしょうか」

 私は正直に尋ねた。

「私は楊梅玉!王賀が命がけで助けてくれた女よ。あんた、何者!?」

「叶彩英。あなたと違って王賀のせいで死んだ女です」

 間違ってはいない。正直なところ、取り殺されたといっても良いのに随分マイルドな表現に抑えたものだ。

 梅玉は顔色を変えた。

「さては、脅迫したのね!」

「違います」

「哥哥の優しさにつけ込んで!」

「違います」

 何を言おうが聞く耳さえ持ってくれない。

「あの、私は夫に届け物がありまして、もう出かけなければいけないのですが」

 話を切り上げようと、私がそう告げると

「私も一緒に行くわ。哥哥に本当のところを聞かないと!」

 梅玉は衣を翻して、先に立って歩き始めた。

 いろいろとトラブルになりそうで不本意だが、これで忘れ物を届けるという重要な任務だけは達成できそうだ。

 私は大きな剣を抱えて彼女の後を付いていった。

 王賀が持っているとそうは見えないが、私がこうして抱えると剣は重く長大で、彼はこんなにも背が高くて力が強いんだな、とそんなことに思いを馳せた。

 梅玉に着いていくと、向こうに立派な建物が見えてきた。

 どうやらあれが冥府らしい。

 二階建ての楼門の下には門番がいる。

 門番の前で、梅玉は止まって、私に向かって嫌そうな顔をしながら「ほら」と促した。

「すみません、わたくしここに務めております王賀の妻の叶彩英と申します。夫の忘れ物を届けに参りました」

 門番は「しばしまて」というと、詰め所の中に入っていって、壁掛け電話機でどこかに電話をかけ始めた。

 私の目は、壁掛け電話機に釘付けになった。

「通って良いぞ。まっすぐ行け。途中まで迎えに来るそうだ」

 門番が言う。

 私の注意はまだ壁掛け電話機に注がれていたが、

「ほら、行くわよ!」

 梅玉に引きずられるようにして、その場を後にした。

「むかつく。私一人の時は通して貰えないのに」

 私を引っ張りながら、梅玉はそう独り言をいった。

 そこから五分も歩かなかったと思う。

 通路の向こうから王賀が駆けてきて「彩々!」と私を呼んだ。

「どうしたんです?こんなところに」

「忘れ物を届けようと思って」

 剣を差し出すと、王賀は焦り驚き、真っ赤になって恥じ入った。

「面目次第もない……」

「いえ、あの後、顔を合わせた時から狼狽えてたから然もあらんというか」

「あっ……、その。うん……」

 指摘すると、王賀はさらに茹で上がった。

「そ、そういえば、どうして小妹シャオメイが一緒に?」

 話を逸らすように、王賀は梅玉に話を向けた。墓穴を掘るとも知らずに。

「今?今なの?今気づいたの、哥哥!」

「そういう訳じゃ……」

「この女だれ!?」

「ああ、まだ紹介していなかったね。僕の妻の彩英だよ」

 女心が分からなさすぎて、少しの罪悪感もなく王賀は言い切った。

「こんな外国人の、私より可愛くないし美人でもないし、道も分からないような女のどこが良いの!」

 梅玉が捲し立てるが、暖簾に腕押しだ。

「彩々。こちらは、楊梅玉。前に話しただろう。河で溺れたところを助けたあの女の子だよ」

 王賀はマイペースに説明した。

 梅玉は、戦法を変えることに下らしい。今度は、王賀の腕に腕を絡めて、見下すような視線を私に寄越した。私は命がけで助けてもらった価値のある女よ、と。

「助かったんじゃなかったっけ?」

と、私は王賀に尋ねた。

「助けた当時は十歳くらいだったかな。あの後、生き延びて、娘盛りになった頃、裕福な商家の跡取りのところに嫁に行ったのだけれど、婚礼の晩に盗賊が押し入ってね。婚家ともども皆殺しにされてしまった」

「いいんですぅ。哥哥以外と結婚する気なんて無かったし。お父様が命令するから仕方なく嫁いだんだし」

 梅玉は、ぷうと頬を膨らませた。

「年が違いすぎるよ」

と、王賀は言った。

 私はそれにカチンときて「それじゃあ、年が同じだったら結婚した?」と尋ねた。

 王賀は、ぽかんとして、考えたこともなかったと言うような顔をした。

「ねえ、結婚したでしょう?今からでも、この人と別れて……」

 言いつのる梅玉を、王賀は制して告げた。

「小妹。たとえ同い年だったとしても、君の性格は幼すぎる。悪いけれど、君をそういう風には見られない」

 腕を振り払われ、梅玉の目には、みるみるうちに涙が溜まっていった。

「それにね、梅玉。あまり彼女にひどいことを言わないでおくれ。僕が一目惚れをして、まだ生きている彼女をその場で取り殺してしまったんだから」

 梅玉は泣きじゃくりながら「嘘だぁ」と言った。

「嘘も何も、私が夏のボーナスだから」

 私が言うと、梅玉の拒絶反応は一層強くなった。

「そうだよね。こんな話、到底受け入れられないよね。無茶苦茶だもの」

 私もそう思うもの。

「小妹。どうしたら納得してくれるんだい」

 王賀が困り果てていった。

 冥府の廊下でこんな痴話喧嘩をいつまでも続けるわけにも行くまい。

「……接吻キスしてくれたら許す」

 王賀はキョトンとした。

 この天下の冥府の建物の中で、この男にそんなことができるものかと足元を見ているのか。それとも、妻を前に他の女にキスする度胸などないと思われているのか。

 私は二人の挙動を固唾を呑んで見守っていた。

 そう、他人事のように。

 王賀は「わかった」というと、再び私に剣を預けた。

 そして、私を引き寄せると、私の唇に自分の唇を重ねた。

「なんで……!」

 梅玉が言った。

 私もそう思う。

「なんで私……」

「梅玉は誰にするかは言わなかった」

「普通、彼女でしょう!」

「……わかりました」

 王賀は溜息をつくと、梅玉の頬に軽く接吻した。

「もう、いい……」

 梅玉は、傷ついた顔をして駆け去って行った。

「あんな事して!嫌われたよ」

 私が言うと、王賀も幾分か傷ついた顔をして、こう話した。

「嫌われた方が良い。彼女には輪廻転生の話も出ているんだ。それなのに僕のせいで、話を蹴っている。嫌われた方が良いんです」

 私は、彼の剣を抱きかかえたまま、しばらく梅玉の駆け去って行った方をただただ眺めているしかなかった。

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