第2話 死者達の世界
こうして私は死に、無常の部下の冥府役人の妻となった。
役人と言っても木っ端役人なので、生活レベルは、私が大学で一人暮らししていた頃と大差ない。
未練はたくさん在るけれど、家族とお別れできなかったことは大問題だ。
それについては、夫としても申し訳なく思っているらしく、今度お別れに連れていってくれるらしい。ただし、生き返らせてくれる気は毛頭無いという。
私は腸を煮えくりかえらせながら、王賀の自宅の、二人きりになった室内で、机の脚を蹴った。
「それで!あんた誰なの!」
そう、新婚初日にも関わらず、私は夫の名前も知らないのである。
「ごめんね、僕は王賀。これからよろしくね。君のことは、彩々って呼ぶよ。僕のことは、ダーリンって呼んで欲しい。前に日本のアニメで見たんだ」
「馴れ馴れしい!ずうずうしい!それに突然結婚させられたのに、結婚式すら挙げていない!っていうか、今、何語で喋ってんの!?」
私は錯乱しながら捲し立てた。
「私だって一生に一度くらいは婚礼衣装を着てみたかったのに!」
「今は、仕事が立て込んでいて。落ち着いたら結婚式をするからね。でも、嬉しいなぁ。結婚式してくれるんだね」
王賀は、私の手を握ってにこにこ笑った。
「言葉は通じるから問題ないよ。ここは冥界だからね。通じ合わせる意思さえあれば言葉はどうでも良いんだ」
彼の手は冷たくて、大きくて、私は自分が死んだという実感を一層深めた。
「さあ、僕は仕事に行ってくるよ。勝手が分からないだろうから、今日は家でのんびりしてて」
足取りも軽く、王賀は家を出て行った。
この隙に逃げてやろうかと思ったが、扉はどこも、押そうが引こうが頑として開かない。
窓もダメだ。閉じ込められた。
私は、薄暗い天井を見上げて、これからの身の振り方に思いをはせた。
前途多難、お先真っ暗、良いことは期待できない。
「えっ、今夜が一番やばくない?」
だって今日は新婚初日。つまり今夜が新婚初夜だ。
「絶対に逃げなければ」
死んだのはともかく、まだ夫婦の契りを交わしたわけではない。
まだワンチャン逃げ切れるはずだ。
戸口がダメなら、別に出入口を作るしかない。
私は家捜しを始めた。
すると鉄製の鋤を見つけた。
「これこれ、こういうの待ってた!」
私は、鋤を振りかぶると床板めがけて振り下ろした。
名付けて、床下を通って逃げる作戦!
作戦は成功した。
私は蜘蛛の巣だらけになりながらも床下から這い出し、無事、王賀の家を逃げ出したのである。
「無常様がダメならその上司の土地神様にお願いしよう」
私は走りながらそう呟いた。
問題は、土地神様がどこにおられるかである。
逃げ出した外の様子は、随分古い時代の広州の町を模しているようだった。
「やっぱり、お廟のところかなぁ」
スマートホンは圏外でGPSも働かない。
私は履歴に残っていた地図を頼りに、現在地に当たりをつけた。
ともかく行動するしかない。
町は薄暗く、誰一人歩いていない。
死んだ町とでも形容すべき有様だった。
ところどころで鬼火が燃えていた。
ぞっと寒気が背筋を駆け上がっていった。
死んだ町で間違いない。ここは死者の町なのだから。
道教では世界は三つに分かれている。神々や神仙が住まう天界。人間達が暮らす人界。そして、死者達の鬼界。
ここは鬼界だ。
私は、本来はここに居てはいけない。
お廟を目指して、私はひたすら走った。
そして、あともう少しで、お廟に辿り着こうというところで、誰かが私の腕を強く引いた。
「離して!」
私はそう叫んだ。王賀だと思った。
でもそれは
「わめくな、小娘」
王賀ではなかった。
私は、頬を平手打ちされて、地面へと転がった。
痛みと驚きで声も出ない。
見上げると、顔は崩れ身体は膨れ上がって巨大になり頭から角の生えかかっている幽鬼がふたり、私を見下ろしていた。
「まだ温かいな。死んだばかりか」
「美味そうだな美味そうだな」
「若い女の魂は美味いぞ」
「小娘、静かに大人しくしていろ。そうしたら苦しまないうちに喰ってやるからな」
幽鬼は交互にそう言いながら、歯をガチャガチャ鳴らして私に迫ってきた。
「こっち来ないで!」
私は腕を振り回した。
「騒ぐなと言っただろう!」
幽鬼は大きな声を出して私を威嚇した。
思わずぎゅっと目を瞑った。
食べられる──。
けれど、覚悟したその瞬間は、やっては来なかった。
「彩々!」
王賀の声がした。
驚いて目を開けると、目の前で、私を平手打ちした幽鬼が真っ二つになるところだった。
幽鬼の残骸が地に伏したところで、私は遅れて認識した。
王賀の剣が幽鬼を切り裂いたことを。
そして彼は、その時にはもう次の幽鬼と対峙していた。私を背後に庇いながら。
勝負は一瞬だった。
幽鬼が長い爪を振り下ろそうとわずかな反応を見せた、その隙を突いて、王賀は剣を振り抜いた。
後には、上半身を失った幽鬼の哀れな下半身が立っているだけだ。
王賀はふうと息を吐いて辺りを見渡した。制圧したと確認すると剣を拭き、鞘へと戻した。
「無事ですか。怪我は?」
そう言いながら、王賀は私に駆け寄った。
打たれた頬が痛んだし、口の中も切れていた。倒れた時に擦り傷だって無数にできていた。
けれど、私には言えなかった。
私が逃げたから、こういう目に遭ったんだ。
それに、この人は私が逃げたんだと知ったらどんなに悲しんだだろうかと思うと言えなかった。
「怪我は、ない、です」
「うそつき」
王賀はそう言って、私の腫れ上がった頬にそっと指を滑らせた。
間近で見る王賀の顔は端正だった。それに、今はとても優しい顔をしている。
目つきの険しさもなくて、優しい眼差しが私に降り注がれていた。
濃くて綺麗に整った眉が少し下がっていて、私を心配しているということが見て取れた。
「ごめんなさい、勝手に外に出て」
「説明しなかった僕も悪かったんで。先ほどの化け物は、孤魂野鬼といって、成仏できずに彷徨っている悪霊です。こちらと現世を行き来して人に危害を加える者もいます。僕の仕事は、ああいった幽鬼を捕らえてこちらに連れてくるか、場合によってはその場で退治してしまうことです」
そう説明しておいて、王賀は私の顔をじっと見つめた。
「こんな時にこんなことを言うのはおかしいかもしれないけど、やっぱりあなたは綺麗だ。彩英と目が合ったあの瞬間に、あなたのことを好きになりました。勝手なことばかり言ってすまないけれど、それだけは知っていて欲しい」
そして王賀は、私の頬にそっと唇で触れた。
「こっちの方がもっと綺麗だ」
そう言って、王賀は微笑んだ。
不思議なことに頬の腫れは引き、口の中の怪我も治っていた。
「擦り傷の方は、さすがにちょっとまだそんな関係じゃないから、我慢してほしい」
「いいよ、大丈夫。ありがとう」
微笑みかけると、王賀の青白い頬に微かに朱が差した。
ああ、この人は本当に私のことを好きになってしまったんだ。
背の高い彼を見上げながら、そう思った。
胸がドキドキしていて、死んでいるからもう心臓止まっているはずなのになぁなんて考えては意識を逸らした。
あんな乱暴な目に遭ったから吊り橋効果でドキドキしているわけであって、まだ、好きになったわけじゃない。何度も自分にそう言い聞かせた。
王賀の家に帰ると、あの竹の寝台の代わりに、夫婦の寝室には新しい現代風のベッドが置かれていて、その日は、そのベッドで二人並んで寝た。
ベッドに入った当初は、彼の希望で手を繋いでいたが、その手も明け方には離れてしまっていた。
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