拝啓、某宛の懺悔

@isorisiru

男の懺悔

 懺悔を、します。

 他ならぬこれからの未来について。

 私はこの世界に天文学的な確率で生まれ落ち、「らしく」生きる義務が発生しておりますが、

 今、この時。私は一世紀生きる寿命をほっぽり出して小動物のような命の時間でこの人生の演劇に幕を閉じようとしています。

 私と言う男は何の変哲もない男でした。

男は幼稚でした。男は普遍でした。男は無個性でした。

青年特有の悪知恵の回り様も相まって、糞餓鬼は糞餓鬼たる行動に拍車をかけ、そこらの年頃の男と差して変わらない男に成っていました。

––––––しかし内面はまた違う世界を見ていました。

男は臆病でした。人間は生活に寄り添う存在でありながら恐怖の対象でありました。

男は根暗でありました。性根の腐った世界は酷く陰鬱で、色のないものでした。

男は哲学を齧りました。心の空虚を埋めようと縋った体裁は、無常にを打ち砕かれ、生活の隣りに「死」を連想させるようになりました。

 幸か不幸か、男は「生」に興味を示さなくなりました。

 吊って、飲んで、飛んで‥何だかんんだと言いましたが一通りやることはやってからこの懺悔に足を運んでおります。

 こう言うところもまた、つまらない人間らしい所の一角ではありますが。

男の最終選択に拍車をかけた哲学は、「苦」を避けるエゴの選択です。逃避に死の選択を用いる、エゴイズムの極地のような、そんな思考が男の人生を狂楽に変貌させました。

男は‥酷く身勝手な男です。自分が諦めて、誰かが励ましてくれると思っている。

 誰かが自分の死を阻んでくれると、あわよくば悲しんでくれると、傲慢にも思っています。

結局、男に必要なものは何だったのでしょうか。どこで間違えたのでしょうか。何が、正解だったのでしょうか。

現実と理想の過度な乖離に苛まれながらも生きるのが正解なのでしょうか。

まだまだ青二歳な男の思考哲学は残念ながらここで終わりです。

この先男が生きていたら、という幻想はこの世界には存在しません。

 男の心の内はもう何者にも現せない。そんなこの世界の条理に笑いを堪えられず、

大声で笑う男を、悲しい男を、許してやってください。

私の、下衆な思考を、訪れる未来を、懺悔します。

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