侵食

「やっぱり、面白くなかったかな、映画」

先輩は曖昧な笑顔で言う。

映画というのは、さっき二人で見たホラー映画のことかな。展開にちょっと無茶な所はあったけどそれなりに面白かった。……どうして今そんなことを訊くんだろう。

「いや、ほら……。サーヤちゃん、さっきから横海よこみ君のことばっか話してるからさ」

先輩が靄の掛かったような笑顔で言う。……あたしが、横海のことを?

「……もしかして、気づいてなかったの?映画館出てからずっとだよ。あのシーンで横海君のこんな話を思い出して~とか、あの流れは横海君がしてたこんな話と似てて~って。……横海君の怪談の事をずっと話してたんだよ、サーヤちゃん」

言われて思い返してみれば、さっきまでそんなことを話していた気がする。

……どうして?

喫茶店の窓際の席。あたしたちは暖かな陽光に照らされているのに、先輩の笑顔は凍てついていて、あたしの指は震えていた。

どうして、横海の怪談なんて語っていたの?わからない。わからないわからないわからない。

「よっぽど好きなんだね。横海君のこと」

先輩はついに微笑みを崩して言った。

あたしには意味がわからない。

「そんなに好きなら、どうして俺の告白受けてくれたの?もしかして当てつけに使われちゃったのかな」

先輩が顔を逸らすと、深い陰が差して顔色が見えなくなった。

あたしはその言葉を否定しようと、なんとか言葉を紡ごうとする。

けれど世界から空気がなくなったかのように息苦しくて、ミイラのように干からびたかのように喉が痛くて、どうにも言葉が出てこなかった。

先輩は席を立ち、あたしを見下ろしてこう言った。


「……それでも君が好きだ」

先輩はそれ以上何も言わず、あたしの分までお金を払って出ていってしまった。

あたしだって先輩が好きだ。……と思う。今までまとわりついて来た子供っぽい男子たちとは違う、大人びた笑顔や物腰とかが、ほんとに。

だから、そんな先輩からあんなことを言われたのがショックだった。

   「よっぽど好きなんだね。横海君のこと」

「あんなやつ……大っ嫌い…………」

そのはずなのに。どうしてあたしの口は、あんなに楽しそうに横海の怪談を先輩に語ったのだろう。

どうして、どうして。どうしてどうしてどうしてどうして。



「怖い話して」

次の月曜の放課後、あたしは横海を捕まえて、怖い話をするようせがんだ。

確かめたかったのだ。

あたしは心から怖いものが嫌いなのだと、怖い話を嬉々として聞かせる横海が嫌いなのだと、確信したかった。その確信がなければ先輩とはこれ以上進めない。そう思ったからだ。

「別にいいけど……」

渋々語り始めた横海。そのかおが、徐々に違う生き物へと変わっていく。しっとりと流れる瞳が不穏の影を捉え、滔々と歌われる言葉がまじないを施し、日常に滲みだした恐怖がべっとりとあたしを塗りつぶす。

それは、いじめられてトイレに逃げ隠れた少女が、自分をタネとした噂の怪人に襲われ発狂する物語だった。



「先輩、この間はごめんなさい。先輩の事傷つけるような真似しちゃって」

その日の夜、先輩に電話した。先輩は三コールもしないうちに出た。

「でもあたし、先輩が嫌いなわけでも、横海が好きなわけでもないです」

先輩は黙って聞いている。耳に当てた薄板から聞こえるのは幽かなホワイトノイズと、呼吸らしき空気の流れる音だけ。

…………気味の悪い想像をしてしまった。

「ただ、怖いものが苦手で……」

今、あたしが話している相手、電話の向こうにいる相手が、先輩じゃなかったら。

「怖いものを見たり聞いたりすると、あたしがあたしじゃなくなっちゃうっていうか……」

電話口から突然、先輩ではない何かの恨めしそうに低い声が何事か呟いてきたら。

「あの……、上手く言えないんですけど……」




「へへっ、えへへへへへへへへへ。えへへへっ。あはっ、あはははははっ!あははははははははははははははははははははははっ」




誰かが笑う声が聞こえる。

先輩……?どうしたんだろう、どうして急に笑い出すんだろう。

まさか、本当に。


『……サーヤちゃん?なんで笑ってるの?』

「あははっ、へへへっ、えへへへへへへへっ」


違う。


笑っているのはあたしだ。


あたしはどうして笑っているんだろう?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る