第69話 トウモロコシ畑の少女
近所で秋祭りが開かれているらしい。家の中から遠くを眺めると、夕闇の中、さほど離れていない場所にある小さな神社に煌々と明かりが灯っているのが見えた。
しかし、秋祭りなんて初めて見るな。今年から始めたんだろうか。
気になった僕は、スマートフォンを起動してカメラのズーム機能を使い、祭りの様子を見てみることにした。
参道の真ん中に立つ男の子が、満面の笑みで両手をこちらに振っている。
◆
真っ青な空に燦燦と太陽が燃え盛る夏。少年は母方の祖父母の実家へ帰省していた。
彼の妹は「田舎にはなんにもない」といって嫌がるが、少年は母の故郷が好きだった。見渡す限りの広い原、広い野、広い山。そして遮る物のない広い空。何もかもが都会よりも広大な世界を走り回るのが無性に楽しかった。
その中でも、特に少年が気に入ったのは、祖父母が管理している広大なトウモロコシ畑だ。背の高い穂が幾重にも連なる畑の中に入ると、世界はたちまちトウモロコシ迷宮へと変わる。そこへ挑む冒険者になり縦横無尽にひたすら駆けるのが、彼にとって夏最大のイベントの一つだったのだ。
その日も例年のようにトウモロコシ畑を駆けていた。頭の中では岩の球が後ろから転がってくる音が聞こえ、骸骨亡者がそこらから湧き出る路地が見えている。
しかし、ふと足を止めた。
意識は現実へ確と着地し、
トウモロコシの隙間から見えるのは、白いワンピースを着て、つばの広い麦わら帽子を被った彼女の後姿だけ。妹ではないようだ。歳は自分と同じくらいに見えるが、自分以外の子供がこの畑で遊んでいるのは初めて見る。彼はなんとなく興味を惹かれた。
少女がふらりと歩き出す。
少年はトウモロコシの壁を隔てたまま並走し、後をつける。せっかくだから突然壁の向こうから現れてビックリさせてやろう。そんな魂胆だった。
右にカーブする畑道。だんだん早足になる少女を、少年も早足になって追う。
やや下りになった畑道。ついに走り出した少女を、少年も全力で走って追う。
しかしなぜか少年は追いつくことができず、息を切らしてへたりこんでしまい、少女を見失った。
あの子は一体、誰だったのだろう。
熱を含む土の上、寝転がって青空を眺めながらそんなことを考えていると、頭上からトタトタという音が聞こえてくる。
起き上がって振り返る。音がするのは少年が走ってきた方だ。
やがてその音は勢いを増し、バタバタとこちらへ全力で走ってくる音へと変わる。
誰かが少年を捕えんと物凄い勢いで迫っていた。
◆
「わあ……。今回はちゃんとオチのある怖い話だったね」
「おや、そうかな。ずいぶん投げっぱなしな終わり方だと私は思うんだけれど」
屋根裏部屋の怪異はどこか不思議そうに言う。確かに、はっきりとした結末があったとは言い難いかもしれない。
祖父母のトウモロコシ畑を妄想しながら駆けまわるのが好きだった少年が、畑の中で見知らぬ少女を見つける。彼は謎の少女の後を追ってみるが追いつけず、置いて行かれてしまった。寝っ転がっていると、突然後ろから走ってくる音が聞こえる。それは少年を捕まえようとしているかのような勢いがあって……と、まとめるとこんな感じだろうか。
「一応確認しておくけど、それは少年が最初にやっていたような妄想遊びの一環……ではないんだよね。少年が意図して聞いたものではなさそうだし」
「うん、私もそう思うよ。その足音は実際にその場に鳴り響いていたのだろう」
ふむ……。追いかけっこの追う側だったのが、突然得体の知れない何かに追われる立場になる。それだけで十分怖いオチとして成立していると僕は思う。ここに化物が姿を現す展開や少年がただ走り逃げる展開を続けるのは、無粋になるかもしれない。
なら。
◆
その後、両親と祖父母が待つ家へとどうやって帰ったのか、少年の記憶にはない。命からがら逃げきった気もするし、何かとても恐ろしいものを見て気を失った気もする。思い出そうとしても、記憶は白昼夢を見るような朧さで判然としない。
確かに覚えているのは、トウモロコシ畑で遊んでいたら白いワンピースの少女を見たということ。それだけだった。
少年はその話を、みんなが集まる食事の席で話した。
ただ一人、悲しそうに目を伏せた祖母だけが口を開いた。
「おばあちゃんね、実は妹がいたのよ。トウモロコシ畑を駆け回るのが大好きな、明るくて元気な妹だった。
でも、ある日突然いなくなっちゃったの。
神隠しって言うのかしらね、トウモロコシ畑に遊びに行くって行ったきり、帰らなかったのよ。おばあちゃんのお父さんもお母さんも、村のみんなも探してくれたんだけど、結局見つからなかった。
ちょうど、シュウちゃんと同じくらいの歳のときだった。お父さんに買ってもらった白いワンピースと、おばあちゃんにもらったつばの広い麦わら帽子を被って出ていく後ろ姿を、今でも覚えているわ。
シュウちゃんが見たのはもしかしたら、今もトウモロコシ畑で遊んでるあの子だったのかもしれないわね……」
少年は戦慄した。
だとしたら、あの時聞こえた足音の主は、自分を異界へ連れ去ろうとしていたのではないか……と。
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