第66話 喫茶の理容師
その理容師さんはやたらとおしゃべりが好きなようで、初めて来店した僕に色々な世間話や身の上話を訊いたり語ったりしてきた。僕は嵐が通り過ぎるのを待つような気持ちでそれに耐えていた。
すると、他の店員に呼ばれてその理容師はどこかへと席を外した。
束の間の安寧が僕にもたらされる……と思いきや。
「それで爪切りをどこやったのーって一晩中問いただすことになっちゃって」
鏡の向こうに残ったスタイリストが、そのまま世間話を続けた。
僕は目をつむり、相槌とも独り言とも取れる言葉で、答えているとも答えていないともとれる仕草をしてしのいだ。
◆
待ち合わせの時間まであと四十分。
集合場所の現代アートが見える喫茶店に入って、その女性は暇を潰すことにした。席に鞄を置き、スマートフォンから注文しておいたラテを受け取って戻る。背の高い椅子に腰かけ、読みかけの電子書籍を開く。ワイヤレスイヤホンを取り出して耳にはめて、流行りの曲が集められたプレイリストをランダム再生した。
耳心地良い音がイヤホンから跳ねる。ラテから香ばしい湯気が立ち上る。それらが集中の深まりとともに世界の隅に追いやられて、時はどんどん加速していく。
気が付けば、待ち合わせ五分前という頃合い。
女性はイヤホンとスマートフォンをバッグにしまう。空になった容器を持って席を立った。
その瞬間。女性は肩から首筋にかけて、異様な寒気を覚えた。
なんだろうと振り返ってみると、店内の客と店員みんなが自分を見つめていた。驚きの眼差しの者もあれば、しかめっ面の者もある。不安げな顔の者もあれば、青ざめた者もある。
何が起こっているのかさっぱりわからない女性は、向けられた目玉の数々に息を呑み、逃げるように店を後にした。
あれは一体なんだったのだろう。
早歩きで集合場所の前に待つ友人の元へ向かう女性。頭の中はついさっきの出来事でいっぱいだったが、不気味であるし、そうそうに忘れるのが良いだろうと思って、もやもやを振り払うような明るい声で友人に声をかけた。
しかし、友人は女性を一瞥したあと、すぐに目を逸らす。
そしてまたすぐに女性を見て、大きな驚嘆の声を上げた。
「ええっ!?誰かと思った!」
友人の意味不明な言葉に混乱する女性。彼女のそんな様子に戸惑う友人。こんなことを訊いてきた。
「バッサリ切ったねー。失恋でもしたの?」
肩より下まで伸びていた女性の長い髪。
それはいつのまにやら、首の真ん中辺りまで短くされていた。
◆
「なんて迷惑な霊障なんだろう」
「その一言に尽きるね、これは」
屋根裏部屋の怪異が語り終え、僕は感嘆と共にそんな感想をもらした。
女性が待ち合わせまでの時間を喫茶店で潰していたら、気が付かないうちに髪を切られていた。まとめてしまえばこんなところか。
人間にもできそうな怪事ではあるが、客の注目が集まっていてなお止められなかったということは、少なくともこの話においては人間の仕業ではなかったということであろう。
だが、気になる点もいくつかある。
「なんで店にいた人たちは女性を見てたの?」
「さあ。なんでかな」
天井からの声はまるで知りませんという調子。一度語り終えたあとは周辺情報の一切すら僕の想像に委ねられているらしい。もう慣れてきた。
僕は聞きながら想像していたいくつかの展開や要素を頭の中で捏ね上げてから、拙い語りでそれを披露する。
「店内の視線が女性に集中していたのは、きっとこういう訳だと思う」
◆
窓際の席に座りPCで仕事の資料に目を通していた男性は、奇妙な音を耳にした。
チャキッ、チャキッ、チャキッ。
どこかで聞いたことのある音だ。だが、喫茶店で聞く音ではない。飲食店で、運ばれる皿と皿がぶつかる音に似ていたが、それに濁りの加わったような音が混じっていた。
チャキッ、チャッチャッチャッチャッ、ジャキッジャキッ。
一際大きな音で、それがどこから聞こえるのかわかった。
自然とその方向を見てしまったことを、男性はすぐに後悔した。
首から上のない人間が、鋏を使って女性の髪をカットしている。
後から調べてわかったのは、何年も前そこには小さな理髪店が開かれていたということ。それだけだった。
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