第60話 タイムスリップ

夜。机に向かって宿題の問題集を解いていると、カタカタと部屋全体が小さく揺れるのを感じた。

「地震だ」

小刻みな振動が続く。カタカタと机の上のものが揺れ動かされる。

「長いな」

揺れはなかなか止まない。立てないほどでもないので、僕は部屋を出てお母さんの様子を見に行くことにした。


部屋を出ると揺れはピタリと止んだ。

一階のリビングに降りて、お母さんに地震があったか確認したが、黙って首を横に振るだけだった。



女性がオフィスでデータ入力の業務をしていると、時差出勤の先輩社員が扉を開けて入ってきた。

「おはよう佐原さん。私がいない間何か困ったことなかった?」

「おはようございます。大丈夫でしたよ。今のところ」

今のところ?と先輩が聞き返す。なんでもないですと言って女性はPCに向き直った。

画面に映し出されているファイルには、ついさっき入力したはずのデータが反映されていない。

またか……。

データを入力し直していると、時差出勤の先輩社員が扉を開けて入ってきた。

「おはよう佐原さん。私がいない間何か困ったことなかった?」

女性は少し苦い顔をしながらも、声だけは明るくして言った。

「おはようございます。大丈夫ですよ。いつもどおりです」

これが近頃の彼女の悩み。

彼女がオフィスで働いていると、時々彼女以外の時間が巻き戻ること。


最初にそれが起こったのは入社してから一ヶ月ほどが経った頃。一緒に残業してデータ処理に勤しんでいた先輩が、コーヒーを買ってくると言って席を離れたのだが、気がつくと先輩は隣の席に座っていた。

「あれ、先輩いつの間に戻ったんですか?」

「へ?なに?」

「さっきコーヒー買ってくるって……」

「え、え?確かにコーヒー買いに行こうかなって思ってたところだけど……声に出てた?」

疲れていて夢でも見たのかと思った。

しかし、この時間が巻き戻る現象はその後度々起こるようになる。

せっかく入力したデータは消え、補充したはずの印刷機は用紙切れを訴え、渡したはずの書類は自分の机に戻っている。たった数秒から数十秒が無かったことになるだけでも、頻発すると大きな苦痛となった。その度に仕事をやり直さなくてはならないし、会話中であれば話の流れを確認して飛んだ箇所を繰り返す必要がある。一度したはずの仕事が巻き戻りで消えたのに気づかず、後になってミスを怒られたこともあった。

女性は次第にやつれていった。心なしか一度に巻き戻る時間は徐々に長くなり、やり直す仕事量も増えた気がする。自分がした作業や報告を把握できず、周囲からは仕事ができないと思われ始めた。しかしタイムスリップの原因などさっぱりわからず、解決のしようもない。

そうして彼女は仕事への意欲を失い、次の春が来る頃には仕事を辞めてしまった。



「なんていうか、不思議な話だね」

具体的な恐怖の対象が存在しない、怪現象の話。以前までの屋根裏部屋の怪異ならあまり語らなかった類の怪談だ。

「でもある意味怖い話だろう?」

それは確かに。

職場で働いていると発作的にタイムスリップが起こり、数秒から数十秒の仕事がなかったことになる……。どんな仕事に就いている人でもそんなことになれば、間違いなくノイローゼになるだろう。

いや、日常のありとあらゆることが突発的に無かったことになってやり直さなくてはならないとなると、仕事に就いているとか関係なく、いずれ精神が崩壊して廃人になるかもしれない。

しかもその原因はわからず対処不能。そんな不幸が自分の身に降りかかるかもしれないと思うと、恐怖を禁じえなかった。

「ちなみにそれって、仕事を辞めた後も女性には続いていたの?」

「どうだろう。私が知っているのは本当にここまでなんだ。この先の全ては君の想像に委ねられているよ」

ということだったので、僕はこの不思議な話にまとまりのある締めを用意することになった。


そして僕が考え出したのが、こんな結末だ。


土地の力の流れというのがある。地脈とか霊脈とか竜脈とか、色々な呼ばれ方をしているもの。その流れが淀む場所というのは、古今東西理屈では説明できない不思議なことが起こる。

女性が勤めていたオフィスのあるビル、その下では、この力の流れに異常が起きていた。時間が巻き戻るという怪現象はその影響によるものだ。

しかし、どうして流れの異常は偶発的なタイムスリップとして現れたのかには、理由があった。




程なくしてその地域一帯で大地震が発生し、女性が勤めていたオフィスビルは割れた地面に基礎ごと飲み込まれた。


タイムスリップは、土地の霊がそこにいる人へ災害の発生を予知させるために起こしていたものだったのだ。



「……君は、……なんというか。

まだまだ甘いね。色々と」

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