第59話 鬼火の山とリレー怪談

家に帰り、脱衣所の洗面台で手を洗って。

手をタオルで拭こうと顔を上げると、鏡に自分が映っていなかった。


代わりに見えたのは、後ろのテーブルの横に鹿島才華が立っている姿だった。



夏休み。暇を持て余した子供たちが「鬼火捕獲作戦連合」を結成した。


電波が届かずインターネットから隔絶されたその地域では、子供の遊びといえば専ら山遊びだった。川に入ってカニを捕まえたり、落ちている棒で戦ったり。ただの鬼ごっこでさえ山の複雑な地形の中では楽しかった。

しかし、子供たちみんなが気になっていることがある。山へ遊びに行くのを親に言うと必ず言われること、「鬼火が出る前に帰りなさい」についてだ。

「鬼火って見たことある?」

木に登って一休みしていた四人の子供のうちの一人郷瑠さとるが、橙色に焼け始める空を見上げながら訊いた。

「みたことなーい!」

四人のうち最も小さい少女の雛子が元気に言った。

「兄貴は昔見たって言ってたよ。街の塾から帰るときに山に火が灯ってたって」

四人のうち最も頭がいい少年の英史が言った。

「えぇ~。嘘だあ~。ほんとだったら今頃お山は火事で禿げあがってるよ」

四人のうち最も疑り深い少女の眞浪まなみが言った。

三人の言を聞いて郷瑠が呟く。

「じゃあ大人はどうして鬼火が出る前に帰ってこいって言うんだろね」

「わかんない!」

「夜の山は危ないからだろ。足元見えなくて坂とかでこけたら結構怪我するだろうし」

「う~ん、だったらそう言えばいい話だよね~。怪我するから暗くなる前に帰れって。なんで鬼火なんだろ~」

「実は本当に鬼火が出るとか。鬼の火って言うくらいだし、子供を食べる火の妖怪だったりして」

「やだ!こわーい!」

「ばーか。鬼火は正体や出どころのわからない火の球を昔の人がそう呼んだものだよ。昔はよくわからないものは全部オニっていうよくわからないもののせいにしてたからな」

「わたしは何か他の理由だと思うな~。あ、鬼火が出るって方ね。何か子供に言えない見せたくないものが出るから、鬼火っていう怖いものを持ち出しておどしてるんじゃないかなあ~」

「じゃあ、確かめてみない?」

郷瑠の言葉に三人が振り向く。木の枝に座った郷瑠は茜を滲ませた夕方の空を見上げていた。

「実は僕、来年はここにいられないんだ。遠くの方に引っ越さなきゃいけないらしくて。だからこの夏は、なんかみんなと思い出に残ることしたいなって」

三人は互いに目を合わせる。にやりと笑いながら頷いた。

「いーよ!鬼火つかまえちゃおー!」

「えっ、捕まえんの!?まあ、鬼火の正体が何か確かめてみたいのはあるから、賛成だけどさ」

「へへ~、捕まえられるといいねえ~。わたしは見つけたら一生忘れられないようなえぐ~いものが正体だと思うなあ~」

「雛子、英史、眞浪……!」

かくして、考えは違えど目的を同じくした僕たちは鬼火捕獲作戦連合を結成。一旦家に戻って懐中電灯や虫取り網などの装備を整えると、藍色の混じる空の下、薄暗くなった山の中に一同は再集結した。とはいっても探す当てはないので、四人はいつも遊んでいるいくつかの場所を巡り歩くことにした。

「みんなで何度も通った道だし、目を瞑ってても歩けるくらいだから足元なんか気にしなくて大丈夫ってわけ」

「やっぱり英史は頼りになるなあ」

「ひなちゃん虫取り網じゃ火は捕まえられないんじゃなあい?」

「いけるよ!ホタルはいけたし!」

和気藹々と会話に興じる一行。

薄闇で視界のぼやけた山はいつもとは違ったおそろしい一面を覗かせる。虫のさえずりと遠くで鳴く動物の声がいやに不気味に感じるのは、それ以外何の音もしないからか。自分という異物を山が凝視しているかのように、体がこわばって一挙手一投足に緊張と不安を抱く。夜の山とはそういうものだ。

だから彼らはちっとも怖くなかった。隣には見慣れた笑顔の親友がいて、途切れることのない歓談が騒がしく響き、山という異界の中に彼らだけの世界を作り出していた。

楽しい。怖さがもたらすどきどきを、親友といることのわくわくが塗り替えていく。気持ちがいい。みんなとの間に結んだ強固な絆が、大人が自分たちに言い聞かせた鬼火の恐怖を押しつぶしていく。それは間違いなく、郷瑠にとって忘れられない夏の思い出になるだろうと思われた。たとえこのあと、鬼火を見つけられなくたって――


「あっ、こんにちは!」


雛子が突然虚空に向かって挨拶をした。そこは数時間前に登って休みながら雑談を楽しんでいた木々の広間だ。

「ひな、夜なんだからこんばんはだろ」

「そこ~?こんな夜の山に一人でいることを突っ込むべきでは~?」

「えっ、ちょ、ちょっとみんな?」

郷瑠には何が起きているのかわからない。雛子、英史、眞浪の三人が当然のように視線を投げかけ言葉を向ける先には、誰もいないはずだった。少なくとも、郷瑠の目には何も映らない。

「誰と話してるの?えっ、なんかの冗談?や、やめてよそんな突然……」

三人はきょとんとした顔で郷瑠を見る。彼らもまた、郷瑠が何を言っているのかわからないという顔だった。


◆◆■

■■■■■■

   ◆■■

「……ふぅ。疲れた」

屋根裏部屋の怪異は突然語りを中断して、そんなことを言った。


は?

「え、?疲れるとか……あるの?」

「それはあるとも。君は語る側の経験だってあるんだろう?じゃあわかると思うけどな。長々と喋っていると口は乾くし喉も痛むし……」

「喉とかあるの?口って乾くの?」

僕は大いに動揺していた。怪異なのに、そんなことがあるものなのか?というか、今まではそんなこと一度だってなかったのに。僕が物心ついてからずっと、そんなことは起きたことがないのに。

   また、人間みたいなことを言って。

「うん。隠すのも限界かな。実を言うと、私には今変化が訪れていてね。これからだんだん、怖い話を語り聞かせるのが難しくなっていくんだ」

天井の向こうの声はどこか寂しそうな声色でそう言った。僕は信じることができない。だって怪異でしょ?人じゃないんでしょ?どうしてそんな、別れとか、終わりとか、死とか、そんな人間みたいなものを、どうして……

「おいおい、何を涙ぐんでいるんだい?子供じゃないんだから、こんなことで泣かれては困るよ」

「でも……」

「大丈夫。くく、ちょっとおどかしちゃったかな。別に死滅するわけじゃないよ。もっとくだらない、情けない話。……ネタ切れなんだ」

「…………えぇ??」

考えてみれば、屋根裏部屋の語り手は僕が三歳くらいの頃から十六を過ぎる今にいたるまで、夥しい数の怪談を披露してきた。ちゃんと数えたことはなかったが、僕の寝つきが悪い夜は週の半分以上はあったから、少なく見積もっても十三年の半分で七年半、日数にすると……二千七百日以上。

怪異は一日一話を語ったから、その話数も二千七百話以上か。

「まあ………………………………………………………………ありうる、のかな」

「ありうってるだろう、今」

でも口調も以前に増して砕けてきている気がする。

「だからこれから先は、君にも語りを手伝ってほしいんだ。正式にね」

というと、つまり……。最近いつもやらされていた締めの部分の妄想語りをしっかり怪談の一部として創作しろ、とでも言うのだろうか。

「その通り。もう私が知っている怖い話は、どれもオチが弱かったり意味がわからないまま終わっていたり、正直君ほど怪談に慣れてしまった人には微妙なものばかりなんだ。だから他ならぬ君に、震えあがるような恐ろしい締めを考えてほしい」

声は真剣そのものだ。僕は戸惑う。今まではあくまで想像というか、提案というか、こんなのはどうかと語ってみるだけだった。そこに真剣さはなく、天井の向こうで聞いている怪異が怖がってくれるかなど、考えてもみなかった。

ただ自分が楽しめればいい。そういう気持ちで話していた。

「僕には……ちょっと……」

難しい。怖い。できそうもない。どれを言おうか迷っていると、

「ところで、この話はこのあと、どうなったんだろうか?」

怪異が遮って訊いてきた。幼い頃の僕がしていたように。無邪気な問いで更なる恐怖を語り手から掘り出そうとしている。


夜の山。鬼火が現れるというその山を探検する仲良し四人組の少年少女。しかし、思い出の場所を訪れると、郷瑠少年にだけ見えない誰かがいるようで……。


「……大人たちは、こう言ってた。鬼火が出る前に帰れ、と。

暗くなって危なくなる前に、じゃなく。鬼火が出る前に。それはつまり、子供たちにとって暗い夜の山はそれほど危なくないものだと思っていたんだ。四人が住む場所は山くらいしか遊ぶ場所が無い。そこで育つ子供なら、ちゃんとした装備を持っていけば事もなく帰れるだろうと」

「……鬼火が出る前なら?」

「そう。……ふ、そう、そうだね。そのとおり。

鬼火が出ると帰れなくなるんだ。どんなに山に慣れた子供でも」

「それはどうして?」




「連れ去られるから。


三人にだけ見える誰かはこう言った。

鬼火が見える場所を知ってるよ。君たちがよく遊んでいた沢を少し上ったところだ。でも暗いと滑って危ないから、灯りを持ってついて行くよ。

そう言うと赤色の強い光が突然現れた。郷瑠はそれこそが鬼火だと思ったが、雛子も英史も眞浪も気づかない。眩い赤の光に照らされた三人と、その足元に長く伸びたもう一人の影は、郷瑠を置いて山の奥へと消えていく。

郷瑠の足は動かない。気づけば声も出なかった。縛られたように身動きができず、ただただ、親友たちが異界の闇に呑まれていなくなるのを見送ることしかできなかった」

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