第25話 公園の首吊りロープ
この国には八百万の神々がいると言われる。
国を生んだ神様から、お米の神様、鍬の神様、厠の神様。現代ではきっと、スマホやパソコンにも神様がいることになるのだろう。
それはこの世の万物に神様が宿っているとする考え方だ。生きている物も生きていない物も、物は大切にせねばならず、大事に使えば主人に恩を返して、粗末に扱えば障りをもたらす。大昔にはそう考えている人も多かった。
しかしながら、物の方にとって何が恩で何が仇なのかは、わからないものである。
幼かった僕が眠れない夜に、屋根裏部屋に棲んでいる何かが語った怪談にこんな話があった。
◇
あるおばあさんが買い物から帰る途中、近所で子供がよく遊んでいる公園のそばを通りがかった時のことだ。
子供たちがなにやら公園の奥の方で木を囲んでいるのが目についた。この公園は小高い丘にまばらに樹の生えた部分と、整備されたグラウンドの部分とで別れている。そのため小丘で鬼ごっこをする子供たちとグラウンドでスポーツをする子供たちとで別れているのが普段の光景だ。
だがその時は皆、丘の入り口にあたる平坦な場所に立って、中の木の一本を見ながら話しているようだった。
どうしたのだろうと不思議に思ったおばあさんは、公園に入って、子供たちに聞いた。
「君たちどうしたの?丘ん中になんかある?」
振り返った子供たちの表情は読めない。訝しむような、悲しいような、驚いているような、不思議なような、無表情に近い薄い表情をしていた。それに誰も、何も答えない。
おばあさんは丘を見上げた。
先を丸く結わえた縄が、子供たちの見つめる先にはあった。
それはテレビでしか見ないような、いわゆる首吊り用に結ばれた縄。子どもたちが黙って見ていた木から垂れたそれは、風に揺られて小さく左右に揺れていた。
幸い、その縄は誰の首も捕えていない。
その後おばあさんは近所の友人に片っ端から声を掛けた。みんなで丘の中を捜索し、本当に遺体はないのかを念のため確認した。そして騒動に気づいたおじいさんと、おじいさんに呼ばれた公園の管理会社の男性とで木から縄を外して、使われた形跡がないかどうかも確かめた。縄はつい最近ホームセンターで購入されたような、新品同然の状態だったという。
結局、縄はただそこに掛けられただけ。誰もそれを使ってこの世を旅立ってはいない、あるいは未練があって思いとどまったのだろう。そういう話になった。
しかし、話はそこで終わらなかった。
井戸端会議でその話をしていたおばあさんに、通りがかった一人暮らしのおじいさんがこう言って話しかけてきた。
「それをやったんは俺だよ。俺。俺があの木に縄掛けてやったんだ」
おばあさんと彼女の友人たちは目を憐みの色に変えて、なんといったらいいか……と話しづらそうに互いを見た。その様子を見て、近所では偏屈だということで有名でもあったそのおじいさんは笑った。腹の底から大きな声でけたたましく笑って、それから言う。
「俺が寂しくて自殺しようとしたと思ってんのか!馬鹿な奴らだなまったく!俺はただな、あん小山で遊んでるガキどもが気に入らねんで、ちょっとビビらしてやろうと思ったのよ!」
げらげらと笑いながら言う爺に、おばあさんたちはすぐに憤激した。何を考えているの?怖くて遊べなくなった子たちもいるのよ?大人として恥ずかしくないの?おばあさんたちが口々に非難したが、偏屈な老人はものともしない。お前たちは何もわかっていないと反論をしてくる。
「あのガキどもな、いっつも木に登って悪さしてんのよ!上で水鉄砲撃ち合ったり、ぶら下がって枝ぁ揺さぶったり!あぶねえし、木がかわいそうだろって俺が叱ってやったら、権利がどうだの親に言うだのうざったく言い返して水かけてきよってな!じゃからああやって、おどかしてやったんよ!」
そう怒鳴って主張する爺に、おばあさんたちは呆れるほかなくなった。なんと心が狭いのだろう、なんと大人げないのだろうとひそひそと互いに言って、再び目の前の老人に憐みの目を向ける。
おじいさんはその視線に狼狽した。なんだなんだ、どうせお前らにはわからんのだ。そんなことを早口で怒鳴り立てながらそそくさと去っていく老人。おばあさんとその友達はこのことを素早く町に言い広め、彼を要注意人物とするよう促した。
あのおじいさんの首吊り死体が見つかった。
ある朝、おじいさんが子どもを怖がらせるために縄をかけた、あの木の下で。
◇
「そんなに……意地になること、ないのにね……」
おじいさんは自殺した。町から仲間外れにされ、寂しさも極まってしまったのだろうか。その公園の木で首を吊ったのは、自らの行いの正しさを訴えたかったからなのだろうか。
当時の幼い僕には、どうしておじいさんが命を捨てるほど頑なになってしまったのか、理解できなかった。
屋根裏部屋の怪はそんな僕の様子を天井越しに察したのか、こう言った。
「この話には続きがあるんだ。
おじいさんが首を吊っていたその木の周り。道具が置かれていなかった。遺体を下ろすために脚立を持ってきた公園の管理人が気づいたんだ。あれ、おかしいぞ?このご老体はまさか、自分で木に登って縄をくくりつけ、そこから落ちるようにして首を吊ったのか?ってね」
その丘に生える樹はどれも太い幹で背も高い。慣れている小さな子供ならともかく、孤独な老人が夜中に道具も無しで登れるはずがないそうだ。
「誰かが、自殺を手伝ったとか?」
「自殺を手伝うのはれっきとした犯罪だ。罪を犯してまで彼の自殺に協力してくれるような人は、その町には一人もいなかったよ」
「実は殺されて、それを隠すために自殺みたいに見せたとか」
「現代人にとって殺すという行為は、自分の社会生活を終わらせる危険が伴う。その危険を冒すほど彼を殺したいと思っていた人も、その町にはいなかった」
だとしたら……。 彼はどうやって死んだのだろうか。
「仮に、君が殺したいほど憎んでいる相手を、その人がどこかに逃がしたとしたら。
君はその人を殺したくなるんじゃないかな」
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