第23話 見覚えのない物
家の中で少し奇妙なことがあった。
床に髪の毛が落ちていたのだ。
長い長い白色の毛が一本。家族の誰のものより長く、家族の誰もその色ではない髪の毛。
なんだろう、これは。そう思って、幼かった僕がしゃがんで手を伸ばす。
すると髪の毛は素早く床を滑り、壁を斜めに登って、隅っこで壁紙の下に逃げ込んだ。
家の中で見覚えのない物には、とりわけそれが不可解なものの場合には、注意が必要である。
僕はその教訓を思い出した。
それは僕が眠れない夜、屋根裏部屋に住む何かが語る怪談から得たものだった。
◇
今日から夏休みだ!
終業式の学校を後にした仲良しの少年たちは、海へ行こうか山へ行こうか、集まって一日ゲームをするのもいいぞと、元気いっぱいに騒ぎながら帰る。
飛んだり跳ねたりはしゃぎながら歩くこと十数分。住宅街の十字路に来て、残念、一人が別れて自分だけの家路に着く。
さらに次の十字路で、二人がそれぞれの家路に着く。
その次の十字路で一人、その次の十字路で一人別れて、最後の一人になる。
最後の一人である
なにせ今日から夏休み。友達と別れた後の微妙な寂寥感など、取るに足りないこと。
彼は帰ったら何をするか考えた。手を洗って、お菓子の袋を開けて、テレビをつけてアニメを見て、ゲームをして、ちょこっと宿題もして、夜ご飯とデザートを食べて……。楽しい事ばかりが浮かんできて、少年は舞い上がるような気分だった。
誰も見ていないことを少し見回して確認してから、スキップをして家に帰った。陽光に照らされた玄関の扉に鍵を差しこみ、手際よく回して家に入り、虫が入らないようすぐに扉を閉めて鍵もかけた。
さっそく手を洗いお菓子の袋を取ってきてソファに飛び込む少年。テレビをつけてアニメの視聴を開始した。スナック菓子を食べ終えて、アニメも三本目といったところでうとうととし始め、そのまま横になりすやすやと眠る。
「大智!ちょっと来なさい!大智!」
母親の怒鳴る声でびくりと体を震わせる大智少年。
慌てて声のした玄関へ飛んでいくと、怒りに染まった表情の母親がいた。
母親は不愉快そうに眉根を曲げて、開ききって血走った目を少年に向けて言った。
「どこでこんなもの拾ってきたの!!早く元の場所に戻してきなさい!!」
大智少年にはさっぱり意味がわからない。
彼はぽかんと口を開けてから、気づいて母親が指を指している物に視線を移す。
それは汚れて擦り切れた、古くて小さなベビーシューズだった。
当然、大智少年が拾ってきたものではない。彼が帰ってきた時には玄関になかったはずのものだった。
◇
「少年は知らないと必死に訴えたが母親は聞かない。彼にその靴を外に捨ててこさせた」
気味の悪い話ではあるが、なんだか物足りない。
怪談を聞かされ慣れていた幼い僕はそう感じていた。
屋根裏部屋の語り手は天井越しにそれを見抜いたのか、ふぅっと息をついてから、こう聞いてきた。
「さて。ではこの後、何が起こったでしょう」
「えっ?」
玄関にいつの間にかあった、拾った覚えなどないベビーシューズ。それを外に捨てて来た大智少年の身に、あるいはその一家に起こったこととはなんでしょう。
怪異はそう問うていた。
僕は戸惑った。この後の展開を自分で考えること自体は自然頭の中で行うことではあったが、それをこのように語り手から問われて答えるのはこの時が初めてだった。
子供の僕は考える。これまで聞いてきたいくつもの怪談から、こういった流れの場合、この後はなにが起こるのか。少年の身に降りかかる恐ろしいこととは何か。
考えた末、僕は答えた。
「大智くんは靴を川に放り捨てた。そしたら、友達と川に遊びに行った時、川の中から何かに足を掴まれて溺れて、死んじゃった…………とか」
天井の向こうは沈黙している。僕の答えを採点しているのか、何かを考えるような微妙な間が夜の部屋を静謐に保つ。
「ふむ」
屋根裏から短く声がして、採点結果が発表された。
心底感心したといった様子で、かつ予想通りでがっかりしたという声色で。
「それも良いね」
実際に起こったのは、その日以降家の中を誰かが這いまわる音が聞こえるようになったという程度の霊障だったらしい。
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