第22話 危険な住人
幼かったある日、家に帰ったら鍵が開いていた。
どうやらお母さんが出ていくときに慌てていたかなにかで、鍵を閉め忘れたらしい。
ただ僕は、空き巣が入っているんじゃないかと不安になって、傘立てから長い傘を一本取って家中を見て回った。
家の中に泥棒はいなかった。
だが、裏口の鍵が開いていた。
普段この戸口を使うことはないから、お母さんが鍵を開けたはずはない。空き巣に入られた可能性が上がる。今度は何か盗まれたものはないかと家中を見て回って、何の変化も見て取れないことを確かめた。
空き巣は何をしにこの家に入ったのだろう?
気になって眠れなかった僕に、屋根裏部屋の住人は怪談を語ってくれた。
空き巣に中毒になった男の話だ。
◇
男は窓ガラスに控えめな穴を空け、手を入れてロックを回した。
窓を開けて中に入り、ふと足元の床に散らばったガラスの破片を見て、またやっちまったなあ、と思う。
男は空き巣の常習犯だった。
昔どうしてもすぐに金が必要になったとき、ほんの出来心で行き当たりばったりの住居侵入を働いた。驚いたことにその家の住人は、寝室の引き出しの一番下に現金をたんまりとため込んでいた。どこにでもある普通の民家に忍び込んだ一文無しの男は、現金一千万円を全身に隠した金持ちの男になって出てきた。
泥棒にもビギナーズラックがあるのか。
そう思ったのを男は今も覚えている。
以来男は空き巣病の重症患者だった。住宅街を歩くと、ありふれた景色を構成するその家々の一つ一つが巨大な宝箱に見える。やめようやめようと何度も思うが、空き巣から得られるスリルと金銭の誘惑に抗えない。年に数回の頻度で男は盗みを繰り返していた。
その日入ったのは、駅から十分も歩けば見つかるどこにでもある住宅地の、大手住宅メーカーが量産した何の変哲もない戸建て住宅。
男は直感でその家を選び、車や自転車が止まっていないのを一応確認して忍び込んだ。
それは以前侵入した家と同じような間取りの家。男はまるで自分の家のように自信満々で歩く。銀行に行くのに通帳を忘れたかのように、黒いカラーリングのされたタンスと引き出しを漁り、いつもと違う鞄を持っていったら財布を忘れたかのごとく、煌びやかな黒の糸で緻密に編まれた高そうな鞄を探る。
しかし収穫はなかった。
いつもなら見切りをつけて出ていくところ。だが、その日の男は諦めない。
というのも、この家の住人は黒く艶のある調度や壁紙で内装を統一していた。高級感のある室内の様子から、この家にはまだ何かがあるはずだと感じたのだ。
髪の毛一本落ちていない廊下を通り、埃一つない階段を登って、男は二階廊下の一番奥の部屋に入る。こういった部屋はたいていが寝室か家主の部屋だ。
しかし、中の様子は男の想像とは違っていた。
その部屋にベッドはなく、仕事机と積まれた書類もない。
PCも、本も、棚も、ドレッサーも、箪笥も、なにもない。
真っ白なフローリングの真ん中に、どっさりと盛られている髪の毛以外は。
「なんだこれ……」
男は思わず言葉を漏らした。目の前の異様な光景が信じられず、ただ立ち尽くしていた。
すると後ろからドンドン!と何かを叩く音が響き、男は飛び上がらんばかりに驚く。
音の元は扉側から見て左隣りのスペースに設けられたウォークインクローゼット。再びドンドン!と音が鳴って、目の前のクローゼットの扉が小さく跳ねる。よく見ると外側から閂のように棒が差し込まれていた。
つまり、中に入れた何かを閉じ込めているらしかった。
ドンドン!とまたクローゼットのスライドドアが蹴られる。中の何かは外に出たがっているらしい。
男から血の気が引く。一刻も早くこの家から出なければ。そう思う。
そう思って、しかし、後ろ髪を引かれる思いがある。
この部屋の真ん中に置かれた髪は、誰かから切り取ったものなのだろうか。
もしその髪の主がこのスライドドアの向こうで扉を蹴っている者だとしたら。
こんなことを自分が言えた義理ではないのは百も承知で、男はこう思う。
良からぬ事件の匂いがする。俺はこの扉を開けてやるべきだ。
正義感に突き動かされた男は閂になっているプラスチックの白い棒を引き抜く。タイミングよくドアが蹴られて弾かれるようにスライドした。
中には誰もいない。
「ただいまー」
下の階から声が聞こえた。
ドアが開いた音はしなかったのに。
とす、とす、とす、とす、ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ。
音の主は、まっすぐ二階にやって来る。
◇
「……不気味だね」
最初に抱いた感想はそれだった。
ウォークインクローゼットにいたはずの何かと、ドアを使わずに家に入ってきた誰か。
どちらも常識では測れない存在なのは確かだ。
屋根裏部屋の怪は今日も天井から優し気に語り掛けてくる。
「君はどちらの方が気になる?閉じ込められていた何かと、閉じ込めていた誰か」
正直なところ、どっちも同じくらい気になるし、どっちも同じくらい触れたくなかった。どちらも怪異なのだろうことは、幼い僕でも流石に承知していたからだ。当時の僕は、それらの正体より空き巣常習犯がどうなってしまったかの方を気にした。生者が怪談から学ぶとすれば、もっとも価値を生むのはその部分なのだと幼いながらに学んでいた。
つまり、悪いことをすればどんなひどい目に遭うのか。
僕は質問を無視して、そのように訊いた。
「くつくつ。そっちに興味が出てきたか。いいよ、教えてあげる。
男はウォークインクローゼットの中で今も生きている。
まだ使えるからね」
◇
「ああ、あと昼間入った空き巣なら私が追い払っておいたよ」
「えっ?……………………どうやって?」
「あはは」
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