第21話 呼んでいない、呼ばれしもの

大通りを闊歩する裏社会の人間。他の通行人は決まって彼らから目を逸らす。

それで彼らがいなかったことになるわけではないのに、どうしてか。

それはもし彼らを見て、何らかの不利益を被ったら嫌だと思うからだ。

……では、目の見えない人も、同じように彼らから目を逸らすだろうか。

きっと同じようにするのだろう。

危険なのは見ることそれ自体ではない。認識していると相手に伝わることだ。

互いに互いを認識したら、彼らは同じ世界の住人となる。

彼らは互いに自分だけの人生と哲学を持つが、それでどちらかを傷つけることも多い。

この事は、物理的には別世界に住まう者たちとも起こりうるそうだ。

屋根裏部屋に住まう何かが、僕が眠れない夜に語った話によれば。



教授の頭は弥生時代から帰ってこれなくなった。

口さがない人たちがそう噂している。

その考古学者の研究スタイルは利発にして活発、大胆不敵ながら正確。既存の説に対する厳格な批評とそれらの新解釈が持ち味だった。

しかしある時期を境に発掘調査を主とするフィールドワークに活動の中心を移してからは、ただ土をいじったり遺物や遺跡とにらめっこするだけの日和ったおじいさんになってしまったと言われている。

近頃は専ら、かつて邪馬台国の候補地だった場所、今はさらに有力な場所が見つかっているためその望みの薄い場所に、日夜足しげく通って、地元の協力者やゼミ生たちと弥生時代中~後期頃の大きな遺跡を掘り出していた。

ある日彼の研究室に学ぶ一人の熱心な学生が聞いた。

「先生はどうして発掘に集中するようになったんですか?以前は論文をいくつも読みこんで新しい説を出すのがお得意だったのに」

質問されたその教授は恥ずかしそうに苦笑する。あの頃は若くて文字を読むのが辛くなかったし、目立ちたがりで注目の集まる研究ばかりだったから……と、はにかみながら説明して。


突然真剣な眼差しになって「でもね」と言う。


「ここの発掘を始めたのには理由があるんだ」

いつもの人懐こい好々爺の雰囲気はどこかへと消え、何かに取り憑かれたような老人がそこに現れる。

「もう五年は前になるかなあ……」

当時、彼はいつものごとく書類と本が積みあがった大学の自室であれにもこれにもと忙しく目を走らせていた。

疲れを感じてぎゅうっと目を瞑り、まばたきを一、二、三、四回。そのあと目頭を押さえて瞼を閉じ、暗闇に覆われた目玉をぐりぐりと上下左右に動かして体操する。

彼なりのリフレッシュ法だ。

目を開けて椅子に深く座りなおし、さてやるぞと気分を新たにしたところで、コンコンン……と誰かがドアを叩く。

時刻は午後に入って少し経った頃。誰か学生が質問に尋ねて来たのだろうかと思って、「どうぞ」と促す。

がちゃり、と扉を開けて、それは入ってきた。


絹のような真っ白な布に体を通した長身の男……の体に女の首が乗ったような人間。

胸元にちょこんと小さな箱を持ったその人物が部屋に入ってきて、教授に向かって言った。


□□□□□□□□□□□□□□めだまはいりませんか?」


意味の解らない言語を話していたのに、脳はその意味するところを感じ取っていた。

わけのわからない体験に戸惑い、教授は後ろに倒れそうな勢いで仰け反る。

「な、なんだあんたは。がっ、学生じゃ、ないのか」

□□□□□□□□□□□□□□めだまはいりませんか?」

は同じ問いを繰り返す。その顔は微笑みを浮かべているが、異常に大きな黒目のせいもありひたすらに不気味だった。

「いらん!でっ、出ていけ!!出ていけ!」

教授は必死に声を荒げて、を追い払おうとする。

彼のその言葉を聞くと、一枚の布で覆われた男の長身を持つ女は不機嫌そうに口を歪ませ、背骨から先をぐねりと曲げるようにして下を向いた後、床に向かって沈んでいった。

すうーっと吸い込まれるようにそれが消えた場所を、ただ茫然と見るしかない教授。

今のはなんだったのか、あれはもういなくなってくれたのか……と思っていると。

突然目の奥が痛みだし、激しい頭痛が起こる。

「つっ、ああっ、ああああああああ!!」

きつく閉じた瞼の下で眼球は激しく移り変わる赤と青と緑の閃光を映す。

それが縦横に引き裂かれて白と黒の明滅に変化すると、目玉に熱く激烈な痛みが走り、顔を抑える手には暖かな液体が噴き出すのが感じられる。


□□□□□□□□□□□□□□めだまはいりませんか?」


耳元でまた、あの問いが聞こえた。



「……気が付いた時には朝の五時。机から体を起こした僕は、最初悪夢を見たのだと思った。疲れと、悪い姿勢で寝ていたせいで気味の悪い夢を見たのだと」

しかし違った。

足元には小さな血だまりができ、一部は部屋のあちこちに飛び散っていて、自分の顔も手も血塗れだった。

「でも目は見える。しかも前までとは違う。眼鏡が要らなくなった。ずっと遠くまで見える。ずっとずっとずっと遠い、目指すべき場所までよく見える。

……今思えば、僕はあのとき初めて、本物の日の出を見たのかもしれない」

教授の言葉は次第に抽象的に、虚ろなものになっていく。

学生は心ここにあらずといったその老人の言葉を、怪訝な顔で聞いていた。

「これはきっと、僕の使命じゃない。でもこの目玉を、この世界を手に入れてしまったからには、こうせずにはいられない。……掘り戻さずにはいられないんだ」

ぎょろりと老人の目玉がひとりでに動き、学生を見た。

学生の目玉と、その視線を合わせた。

怖気が走って身震いをする学生。

教授は「ああ」と感嘆をもらす。

「ああ、あっはっはっはっは。


    次は君の番なのか」


その翌日、老いた考古学者は心臓の病で急逝した。


教授の話を聞いていた大学生は、先生の葬儀にも参加せず引き籠っている。

もう何日もずっと部屋から出られていない。


コンコン、コンコン。


□□□□□□□□□□□□□□めだまはいりませんか?」


そんな声が扉の外から聞こえるからだ。



「なんていうか、嫌な話だね」

幼い僕は言う。

その話に現れた何かはあまりにも理不尽だ。

教授の目玉を奪い、世界を塗り替え、突然殺し、同じことを別の人間にやろうとしていた。

こんなに不気味で理屈に基づかないものが僕と同じ世界にいるというのか。

僕は心底恐怖していた。

語り終えた屋根裏部屋の怪は、優しい声色で僕に言う。

「大丈夫さ。君の身には降りかかることのない不運だ。

……それにこれは、なるべくしてなったことでもある」

どういうこと?と僕は訊いた。

若干のもったいぶった沈黙のあと。

天井の向こうの声は、哀れむように語り出す。

「その考古学者には知識があった。知識は認識を作り、巨大な認識は世界になる。その世界の一つにあれは住んでいた。彼の頭の中には、あの長身が住まう世界への通路が本人も気づかないうちに形成されていたんだ。

そして、その世界のルールに基づいた手順を教授が踏んだから、呼び立てに応じてあれは出て来た」

幼かった僕には、その意味はよく読み取れない。

ただ、一見理不尽に思えたこの結末も、別世界の理をもってすると当然のものだったのだと、そう言っているのだけはなんとなくわかった。

天井の声はまた、哀れんで言う。


「かわいそうにねえ。



呼ばれたから出てきてやったのに、帰れだなんていわれてさあ」

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