第20話 ここにいる

他人の興味を引きたいがために嘘をついてしまう。

誰でも行いうることだが、その度が過ぎるような人たちは病気だとされる。

虚言癖、演技性パーソナリティ障害、ミュンヒハウゼン症候群。

細かに分類された病名のいずれか、またはいくつかが当てはめられる。

そのような人達にとって嘘とは、寒い冬の日の吐息のようなものかもしれない。

本人は吐くつもりがなくとも、生きて息をしていれば自然と吐いてしまう。

もくもくと膨らむ大げさな白い吐息。体積の割にふくれあがった、見かけだけの空虚なもの。

仮にその二つが似ているとして、しかし一つ違った点もある。


それは、吐息は牙を剥いてこないということ。


屋根裏部屋に棲む何者かから、僕が幼い頃聞いた話。

眠れない夜に聞かされた怪談の一つに、こんな話があった。



休憩室は姦しい歓談でにぎわっていた。

ある工場に勤めるパートタイム労働者の女性たちが、昼食をとりながら他愛もない笑い話やら仕事への愚痴やら家庭の話やらを語って盛り上がる。

並べられた長机のうちの一つに腰掛けた四人も、その騒がしい声たちの一部。

だがある人物が話し始めた途端、楽しい笑い声に隠しきれない白々しさが混じり始めた。

「うちのあーくんももう大変なのよ~!こないだ模試があったらしいんだけどT大学のA判定取って来ちゃってね?あーくんが東京行っちゃったら悲しいわあ~なんて言いながら学費出せるかしらって心配してたのに、あーくんったらお母さんに寂しい思いさせたくないから県内の国公立行くーなんて言ってくれちゃったのよ~。もう泣かせてくれる孝行息子に育っちゃったわね~なんて言ってねえ~?」

その四十後半の女性に虚言癖があることを、他の三人は嫌というほど知っていた。

今自慢気に語っている孝行息子についても、ボランティア活動中に川に流された子供を助けて表彰されたとか、アメリカに旅行した折に道端で有名俳優からスカウトを受けたとか、とんでもない逸話が既に盛られている。

誰もが最初から彼女を嘘つきだと決めつけていたわけではない。

だがしかし、残業を断るときに「うちの子が熱で帰りを待ってて…」と突然持ち出したり、「昨日は親族が集まってホテルでパーティーをした」と言っていたのにお弁当に「昨日のおかずの残り」を持ってきていたり。

そういった些細な違和感が募り募って、彼女への不信と虚言への不満として三人の中に渦巻いていた。同じ仕事場のよしみでなければ一言も会話したくないとまで思っている。


そんな彼女がある日突然こんなことを言い出した。

「実はあたし霊感があってね、あの交差点ずっと嫌な感じだなあ~って思ってたんだけど、今朝そこで事故があってね~?そうなの、だから今朝遅れちゃったのよ~」

四人グループの中の一番若い女性が、確かに事故ありましたよねーなどと相槌を打つ。

四人グループの中の一番背の高い女性が、いやだ怖い事言わないでよーなどと茶化す。

四人グループの中の一番勤続年数の長い女性が、あらま、あなた霊感あったのー?などと持ち上げる。

「そうなんですよお~。こんなこと言っても気味悪がられるだけだからずっと黙ってたんですけどねえ~?」

「だったらあそこ、後で行ってみない?」

先輩の女性が提案した。

あそこって?と誰ともなく訊くと、彼女は眉と唇を片方だけ吊り上げて笑う。

「実はこの工場、出るのよ。昔労災で亡くなった男の人の霊が」


休憩時間も残り半分を過ぎたころに、四人は作業棟の裏にある寂れた喫煙所に来ていた。

その男性の死因は点検ミスのあったクレーンの荷物に押しつぶされたことだったが、なぜかその霊はこの喫煙所に現れるという噂だった。

「その人、かなり働きづめで朝から晩まで場内にいるような人だったから、一服落ち着けるここが思い出の場所なんじゃないかって言われてるのよ」

歩きながら面白そうに話す先輩の女性に、皆おっかなびっくりついてきた。

そこは穴の開いた塩化ビニールの波形屋根と赤錆の浮いたベンチ、同様に錆びた円筒形の灰皿スタンドがあるだけの場所。長い間利用者はいないらしく、ベンチは跳ねた泥で薄汚れていて、足元には風化して折れたらしい屋根の破片も転がっている。

「それで」

先頭を行っていた年上の女性が、年下で霊感のある女性の方へ振り返って言う。

「このあたりにいるらしいんだけど……、見えるかしら」

虚言癖の女性は口を引き結んで、うんともすんとも言わない。

「あら、どうしたの?体調が悪い?それとも……やっぱり見えないのかしら」

少し離れてついてきていた二人が、彼女の意図を察した。

これはちょっとしたイタズラ。ただのストレス発散。そして大いなる逆襲だった。

三人は彼女の嘘にうんざりしていた。

ここで少し痛い目を見ればいい。もしかしたら虚言を自制してくれるようになるかもしれないし、そうでなくてもいつも得意な嘘つき女が窮している様は見ていて気分が良い。三人ともそんなふうなことを考えていた。

「ねえ、やっぱり見えないんじゃない?見えないなら早く言ってね?」

「そうよ。もう休憩時間もあんまり残ってないし、見えないなら用はないんだから早く帰りたいわよねえ」

後ろから二人が加勢する。先輩の女性も長身の女性も若々しい女性も、虚言癖の女性が「見えるわよ!私には本当に霊感があるの!」と激昂するのを待っていた。

別に、体調が悪くて見えないならそう言ってって意味だったのだけど?と揚げ足を取る罠を仕掛けていた。

握った手を胸元に抱いてふるふると震えている、虚言癖の女性。

彼女はようやく口を開くと、ベンチを指差してこう言った。

「いる。ここにいるわ!そこのベンチに座ってる!うなだれて下を向きながら、何かブツブツ言ってるみたいよ!」

三人は見合わせて、互いに笑いをこらえた邪な目をする。

さてどうからかってやろうか。

まずは一番年上の女性が切り出す。


「きゃっ!」

直前で彼女の腕がぐいっと方向を変えて、違う方向を指差した。

灰皿スタンドを挟んだ向こう。

建屋の壁がある方をまっすぐと指差している。

「え……?」

動揺する女性たち。

一番驚いているのは、指を立てている本人。

「あたし、なにもしてない……!」


彼女の腕には、何者かが強く握る手の痕がくっきりと浮かび上がっていた。




「こっちだよ嘘つき」



「本当にそこに、男の人の霊はいたんだね」

この話は幼い僕にとってもわかりやすく感じられた。

男性の霊はそこにいた。

しかし虚言癖の女性は自分が違う場所にいると言うから、腹を立てて「こっちだぞ」と修正してやった。

そういう話だろうと。

くつくつくつ、と独特な笑い声を響かせて、屋根裏の怪は言う。


「いいや。その工場で死亡事故は起きていない」


僕はその言葉の意味を上手く理解できなかった。

どういうこと?と問うと、楽し気な声は滔々と語り出す。

「クレーンの事故で人が死んだ、という話から、老獪なその女性の策略だったんだ。

嘘つきの彼女を雰囲気のある場所に案内して、ついさっき捏造した怪談を聞かせて、追い立てられて後に退けなくなった女性に幽霊の場所を証言させる。いつもの調子で仔細に幽霊の特徴を彼女が語ったら、実はこの話は嘘でした、幽霊なんていないのよ、とネタバラシ。

嘘で日々自分たちを苦しめた女を、他でもない嘘によって懲らしめようって算段だったのさ」

それを聞いた僕は女性の悪知恵に驚愕した。なんと意地悪で怖い人だろうと。

そしてすぐに思い直した。ならば、不可解な点がある。


存在しないはずの霊がいたことになる。


「最後に嘘つきの女の人を掴んで、こっちだよって言ったのは……何だったの?」

僕は訊いた。






「さて、一体何だったのでしょう」

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