第16話 やまびこ

山の見晴らしの良い所で大きな声を出す。

すると、向かいの山に声が反射して帰ってくる。

ヤッホー。

なぜかは知らないが、それがお決まりの掛け声。

その存在を僕が知ったのは、小学生のころ遠足に行った日……ではない。

遠足前夜。山登りで置いてかれはしないかと不安で眠れなかった夜。

屋根裏部屋に棲む何かが語った、短く鋭い、恐怖心にピンを刺して心臓を唸らせ続けるような話によって、僕はやまびこを知った。



有名な霊山を登っている修験者が、山の見晴らしのいい場所まで来た。

少し岩場のせり出した崖。そこだけ木々が映えておらず視界が開けている。

男は崖から落ちないよう十分端から距離を開けて立ち……


「ヤッホーーー!」


咆哮。山を登って体内に蓄えた霊気を震わせて放つように吼えた。



少しのじれったい間をおいて、山から答えが返ってくる。



「オーーーーーーイ」



「アブナイゾオーーーーーーーー」



不可解な返事に修験者は怖くなり、すぐに山道に引き返そうとした。

振り向くとすぐ目の前まで真っ黒な人間が走って迫ってきている。

「うわああっ!!」

叫び声を上げる修験者。

恐ろしさに腰が抜け後ろに倒れ込む。

すると、しかし。

黒い男はバッっと散り散りに弾けて飛んでいき、修験者の前から姿を消した。


はぁはぁと肩で息をして、動揺を静めながら今さっきの出来事を反芻する。

そうしてあることに気づいた。


いまのは黒い男ではなかった。




人間の形に固まって動いていた大量の羽虫だった。



「その……、なんだったの?どっちも」

一つの話に二つも理解しがたいものがいるとどっちから聞けばいいやら迷って、偶に横着した質問をしてしまったものだ。

やまびこはなぜ、男の「ヤッホー」という掛け声ではなく、「危ないぞ」という忠告になっていたのだろう。

そしてその後現れた、人間型に集まって動いていた虫たちは何だったのだろう。

頭の整理を怠った僕の質問に、屋根裏部屋から優し気な調子で返答が返ってくる。

「山の怪というのはいろんなものがいる。

姿を持たず、物音、声、匂いで現れるもの。

獣の姿をとり、自然の一部のように振る舞おうとするもの。

人の姿をとり、人の生き死にを見たがるもの。

それらを姿と行いで分けるなら、今回の話で現れたものたちはこう。

姿を持たず、やまびこという音の反響として現れた、人の生き死にを見たがるもの。

そして蟲で姿を作った、自然の一部のように振舞おうとするもの。こいつはややトリッキーだね。」

やまびこは修験者の身に危険が迫っていることを忠告した。

だが、修験者を助けたかったわけではなく、それで「生きる可能性」と「死ぬ可能性」のどちらもある状態になったのを見たかった者らしい。

だが僕には羽虫の群れで現れた黒い男については、まだよくわかっていなかった。

「虫の姿のは、自然の一部のように振舞おうとしたって……人を殺そうとしたんだよね?どうしてそれが自然の一部なんだろう」

純粋だったころの僕に、屋根裏の怪は不純な事実を教え込む。


「人間もこの星に暮らす自然の一部だ。その営みの一つ一つは、大きな目で見れば自然の営みなんだよ。




その崖で誰かが誰かを突き落としたんだろうねえ。蟲の男はそれを見ていて、それが自然だと思ったんだろう」

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