第14話 約束を破らせる
同じクラスの佐藤くんが、昨日まで楽しそうに話していたグループから今日は仲間外れにされていた。
そのとき友達が欲しかった僕は、どうして?と訊いてみた。
佐藤くんにしても話す相手が欲しかったのか、戸惑いつつも教えてくれた。
佐藤くんは昨日半坂さんのお誕生日会に参加する約束をしていたのに、お母さんにおつかいを言いつけられて、それが長引いて行けなかったらしい。
彼がいつも仲良くしているのは半坂さんが中心のグループなものだから、怒った彼女に合わせて誰も喋ってくれなくなったそうだ。
僕は佐藤くんをあわれに思った。
そして、彼のためになるかと思って、似たような経験をした夫婦の話をしてあげた。
それは、僕が眠れない夜に屋根裏部屋に棲む何かから聞かされた話だ。
◇
「たっちゃん、あれから何だかおかしいのよ……」
時計の針が12時を指すころ、一人の母親が夫に息子のことを相談していた。
彼女の暗い影が落とされたリビングの机。その向かいに夫も腰掛ける。
「綺麗な石を拾ってくる癖のことなら諦めてくれ。俺の遺伝だ」
「つまらない冗談やめてよ。深刻なの」
茶化そうとした夫を母親は突っぱねる。
「……あの事故の後からなの」
その一言で父親も、事の重大さを呑み込む。
その夫婦の一人息子、タツミは友達と川に出かけて水難事故に遭った。
元々天気の優れない日だったが、雨は降っていないから大丈夫と安心していた子供たちを急な水流の加速と増水が襲った。上流の山の方では激しい夕立があり、その水が流れてきたのだ。
シュノーケルを持ってきて一人潜って遊んでいたタツミは友人が声を掛けたのに気づき遅れ、結果、突然の濁流に流されて一時行方不明となる。
彼が河口から海へとつながる岸辺で発見されたのは、それから一カ月後のことだ。
夫婦を除いて誰もが、その生存を諦めていた。
しかしタツミは生きていた。
友達と跳ねながら川へ遊びに行ったあの日と、ほとんど変わらない様子で発見されたのだ。
誰となくこんな噂をする。
きっと神隠しにあっていたんだ。この一カ月、神様のところにいたからこうして無事なんだ。
本気でそれを信じる人はそういなかったが、不思議なこともあるものだとそんな噂を口にするものだった。
「たっちゃん、鶏の絞め方の話をするのよ」
ただ一人。
母親だけはその噂を信じていた。
「誰も教えてない、知らないはずのことを知ってるのよ?豚の捌き方とか、魚の捕まえ方とか!」
「落ち着けよ。きっと動画か何かで見たんだよ。視聴履歴とか見てみればすぐに……」
「それくらい私だって思いついたわ。でもだめ。ますますわからなくなった」
そう言って母親が机の上に放った子供用のスマートフォンを、父親は手に取る。
電源が入らない。
「壊れてたの。ショップに持っていったら、水没して壊れたんでしょうって」
水難事故からはその時既に二ヵ月経っていた。
その間に二人は何度もスマホでタツミと連絡をとっている。
晩御飯はチキンライスが食べたい、宿題を家に忘れたから届けて欲しい、帰り道に猫がいた。そんなかわいらしいメッセージが送られてきているのを二人は確認した。
「これは……なんなんだ……」
父親は混乱した。母親はさらに憔悴もしていた。
彼女が加えて打ち明ける。
「実はね、あの子、あれから毎日こっそり盗んで行くのよ」
父親が困惑した目を向けて、何を、と訊く。
母親は足元に置いていたタツミのランドセルを開け、中から小さな包みを取り出した。
それは、ラップで包まれた生米だった。
「あなた、うちの息子とどういう関係なんですか」
二人が話し合って数日後のこと。父親は河川敷の、高く草が生い茂って視界の悪いところにいた。
「安心してくれよ、別に悪い事したりさせたりしちゃいねえ。って、俺みてえのが何言っても信じねぇんだろうけどなあ」
繁った髭を掻きながら薄汚れた男が言う。
そこにねぐらを築いている者だ。
「あの子になんでお米なんか持って来させてるんですか。何が目的なんです?」
父親は怒りと不愉快を押し殺して真相を探る。
しかしコバエを従えて住処を整備する男ははぐらかした。
「別に俺はなんもしてねえよぉ。タツミがしたいって言ってるようにさせてるだけさ」
こんな身なりだからって何でも悪いように取られちゃ困るねえ、と男は煙たがる。
父親はますます怒りを高ぶらせた。
「とにかく息子には二度とここには来させません!アンタにも会わせない!もう息子には関わらないでくれ!」
そう言って背の高い草を根元から踏み倒しながら父親は去る。
「べっつにいいが知らないぞ~!タツミとちゃんと話して決めろよォ~!」
男の口から親し気に息子の名前を出されるのが不快で、父親は耳を塞いで聞かなかった。
その次の日、日曜の午後。外へ遊びに行くと言うタツミを母親が呼び止める。父親も奥の書斎から出てきた。
母親がタツミの鞄を奪うように取って中を探ると、やはり生米の入った包みが出てくる。
「お母さん言ったよね?もうあのおじさんのところに行っちゃダメよって」
タツミはもじもじと小さな声で抵抗する。
「でも……約束で……」
「でもじゃない」
そう言うのはいつものユーモラスな雰囲気とは打って変わった、厳しい父だった。
「タツミ。お前は騙されてるんだ。あんなのと関わっちゃだめだ。ろくな大人にならない」
納得しないタツミは体を左右にくねりながら、でも、それじゃあ、だって、と繰り返す。タツミはこうやって脅すように迫られると、自分を出せずに唯々諾々と従ってしまうきらいがある。
だが父親はそれを利用した。息子の道を正せるのは今このときだけ。この子の将来をあんな男のようなものにさせないためには、このときだけ、卑怯な手を使うのもやむを得ないと思ったのだ。
さらに母親がタツミに抱き着いて言う。
「お父さんもお母さんもね、あなたが心配なの。私たちが不安になる事してほしくないのよ。お母さんがあなたがいなくなってどれだけ心配してたか、あの日のこと覚えてるでしょ?川岸で見つかったときのお母さんの顔、忘れてないよね?」
「……………うん」
タツミは渋々頷いた。
二人が揃ってくどくど言い含め、タツミはすっかり二人の言いつけを受け容れた。
――わかった。お米をお供えするの、もうやめるね。
次の日の朝。
タツミは布団の上で死んでいた。
死因は溺死。
司法解剖の結果では、死後三カ月ほど経っていると言われたそうだ。
◇
「…………えっ、と……?」
「実はタツミくんはあの事故で死んでいて、川の底で神様と交わした約束を守ることで生きながらえてたんだって。その約束っていうのが、ホームレスのおじさんが川辺に整備していた祠のお地蔵様に、お米を供えることだったんだ」
夫婦は息子の教育に良くないからとホームレスと会うのを辞めさせた。息子の将来を守るために約束を破らせたのだ。
それが息子の未来を奪うことになるとは、なんと皮肉なことだろう。
「いや、それがボクのこととどう関係するのかなあって、わからないんだけど……」
佐藤くんは――約束を親に破らされて友達を失いかけている佐藤くんは、わからないそうだった。
これは僕に語りの才がないのか、佐藤くんがわからず屋なのかどっちなのだろう。
幼い僕は思ったが、今思い出してみると僕の話題選びが絶対間違っていた。
僕が伝えたいのは、つまりこういうことだけだったのだから。
「つまり、約束に関係ない人が約束をした人にそれを破らせるのは、良くないことだよねって、佐藤くんと、この夫婦の話から勉強になるなあ……って……」
このとき佐藤くんが僕に向けた視線といったら、今でも心を刺すものがある。
ただ、それをいくらか面白く思ってくれていたのだろうか。
その後、僕らは時々話す仲になった。一緒にいて、暇があれば、言葉を交わす程度の友達に。
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