第11話 いただきます
これから食事をしようというとき、「いただきます」と欠かさず言う人はどれくらいいるものだろうか。
そしてそのうちの何割が、具体的な対象に向けてその言葉を捧げているのだろうか。
そう考えるきっかけになった話がある。
それは僕が幼い頃、眠れない夜に屋根裏部屋に棲む何かから聞かされた話。
浅はかな欲がきっかけでその身を滅ぼした男の話だ。
◇
「おっじゃましま~す」
スマートフォンを装着した撮影用アームを片手に、男が廃墟へと入っていく。
床に散らばるガラスやタイルの破片を蹴散らし、肝試しに来たカップルか不良かが捨てていっただろうペットボトルや菓子の袋を踏み越えて進む。
「いや~フンイキありますね~。さすがの俺でもこれは怖いなあ~」
男の頭に恐怖など少しもない。
あるのは欲望。果てしない承認欲求。そしてそれ故の誰にも見てもらえない空虚感と、認めてもらえないことへの鬱だけだった。
男は子供の頃からの目立ちたがり屋だ。
小学校では大きな声でクラスの中心になり、高校生の頃は仲間と馬鹿騒ぎをする動画でちょっとした有名人に。卒業後はお笑い芸人を目指して養成所に行った。
しかし男にその才はなく、鳴かず飛ばずの三年を過ごしたのちに地元へ帰る。
建設重機の工場に就職するが、ラインを流れてくる四角や台形の鉄の塊に同じ細工を施すだけの毎日は、彼にとって地獄だった。
どんなつまらない芸人でも、ステージに立てばその存在を観客は意識する。
しかし工場作業員となったこの男など、社会は意識しない。
完成した重機が顧客の元へ届こうとも、それを操縦する者がこの男を意識することは決してないのだ。
来る日も来る日も同じ作業を鉄のフレームに施す。毎日面白い事をして注目を浴びていた過去が否定される。ラインの流れにただ従う機械のような仕事を強いられる。男は嫌気がさしていた。
そんな男を変えたのがこの新たな趣味。動画投稿サイトでの活動だ。
昔の友人がそのサイトでの投稿活動を収益化して小銭を稼いでいるという噂を聞いて、それに倣って始めた動画投稿。
それは承認欲求の強い男にとって、未知の快楽をいくつももたらしてくれるものだった。
動画の内容は高校生のときと変わらない馬鹿騒ぎを、夜の公園や溜まり場の廃墟で一人でやっただけのくだらないものだったが、なんとはなしに続けていると少しずつ再生数が増えだした。
初めての高評価。チャンネル登録者数の二桁到達。初めての好意的なコメント。再生数の三桁到達。コメントと登録者のさらなる増加。
男は動画投稿にのめり込んだ。
熱中して、もっとたくさんの人に見られたいと思うようになった。
そしてそのために手っ取り早いのは、ただ過激に振る舞うことだけだった。
――そうして男はこの場所に来た。
地元住民からは「仏壇ホテル」と呼ばれる廃墟。
その1階の宴会場の中央に何故か投棄されているという仏壇を、バットで破壊する動画を撮るために。
「ということでー、これが宴会場の扉っすね」
扉の片方は歪んでがっちりと動かず、もう片方は大人一人が何とか通れる隙間を開けて止まっている。
男は横向きになってその隙間を通り抜けて、宴会場に踏み入った。
中はそれまでの廃墟の様子と少し異なる。
割れたガラス、剥がれた壁紙、朽ちた机やらなにやらはそのままだが、ペットボトルやゴミなど人間が最近入った形跡は見られない。
そして、最も異様だったのが、やはりその仏壇。
宴会場のど真ん中に屹立する黒々とした木の箱は廃墟にも宴会場にも似つかわしくなく、この廃ホテルを特徴づけるものとしてこれ以上ない存在感を放っていた。
「おっ、ありましたありました。これですね~」
言いながらスマートフォンと懐中電灯の明かりを向けて、その仏壇へと近づいていく。仏壇の戸は開いていないため、それが本当に仏壇なのかは実のところわからない。男は距離を詰めながら、もし中に何か金目のものがあれば持って帰り、視聴者プレゼントの賞品にしてやろうかなどと考えていた。
その仏壇まであと数メートルというところまで近づいて、カメラで撮っているのは仏壇の背面だということに気づく。
壊す前に詳細に仏壇を撮っておこうと前に回り込む男。
そこにあるものを見て、言葉を失った。
仏壇の前にはお供え物がされていた。
白米。煮物。漬物。汁物。水。
それらは腐っていない。
ついさっき供えられたばかりというようにツヤがあり、茶碗も供物台も新品同然に綺麗だった。
誰かがここに来てお供え物をしている?なぜ?どうして?なんのために?
パキッ、と物音がして、男はステージの上の方を反射的に見る。
少し遅れてライトとカメラもそちらに向けた。
そこにいたのは、気持ち悪い笑みを満面に浮かべた女だった。
◇
「男はそれで、どうなったの?」
幼い僕が尋ねると、屋根裏の怪が優しく答える。
「食われたよ。いただきます、って言われてね」
曰く、その夜そこに居合わせるものは、例外なくその仏壇に入っていたものの供物となるらしい。
「女は笑顔で、ステージ袖の出口から出ていった。男はわけもわからず逃げ出そうとしたが、足は言うことを聞かないし、扉は閉じていて開かないし、電灯は全て電池切れで使えず、出ることができなかった」
「扉は歪んでて動かなかったんじゃないの?」
「扉を歪めたものにとっては、無理やり閉めることは難しくないさ」
それだけの強大な存在が、その仏壇の中にいたらしい。
「でもこれは愚かな理由で踏み入った男にはもったいない、救いのある最期だと思わないかい?」
幼かった僕は、そう思わない。どうして?とお決まりの質問を返す。
「そこにいたものはわざわざ、いただきます、と言って彼を食べたんだ。彼は最期に一つの存在としてしっかりと認識されていたんだよ。目の前の個として認知される。彼が求めて止まなかったものを与えられて終わったんだ。幸せの形の一つだと私は思うね。
……それとも彼は、食材になるのはイヤだったりしたのかな」
僕がいただきますを言わなくなったのは、この次の日からのことだ。
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