第8話 霊感商報
渡る世間に鬼はない。人の皮を着た魔が潜む。
人の恐怖を食い物にして、奪った銭で角を飾る。
されど彼らもついには滅ぶ。
人の怨みの 果てによって。
幼い頃、屋根裏部屋に棲む何かが僕に語った怖い話の数々。
その中のいくつかは、勧善懲悪、因果応報を教えるようなものだった。
以下に記す話は、そのうちの一つだ。
◇
その男の仕事相手はいつも決まって、金持ちの夫を持つ孤独な夫人。
常に不安を抱えているが、立場のために誰にも相談できない可哀そうな人。
金は持っているが心が弱く付け入りやすい人たちだった。
男はいくつかの簡単な心理的トリックを利用して、まず彼女たちの「友達」になる。彼女たちが家庭内や夫婦関係の悩みごとを相談するようになったら、それに二、三のアドバイスを返して信頼を手に入れる。そうしてすっかり頼れる人物になったら頃合いを見て、こう打ち明ける。
「こんなことを言って信じてもらえるかわからないけど、実は僕、霊感があるんだ」
「この秘密を明かしたのは、君の身に危険が迫っているからだ。これから先一週間、水にはくれぐれも気をつけて」
夫人たちのほとんどはこの忠告を聞いた後、四日か五日以内に連絡を寄越してくる。「深夜に締めたはずの蛇口から水が垂れる音が聞こえる」だの、「いつも飲んでいるミネラルウォーターが不味くなった気がする」だの、「お風呂に入っていると誰かに見られている気がする」だのといった、水にまつわる些細な不安を深刻そうに相談してくる。
あとはもう思いのまま。話を合わせて石だの水だの紙切れだのを、邪気を払うだとか悪霊に抗うだとか言って法外な価格で売りつける。
それが男の生業。いわゆる霊感商法の一種だ。
男は昔から理屈を捏ねて遊ぶのが好きだった。
ある時、それを当時付き合っていた女から金を借りるのに利用してみた。
すると彼女は親の口座から盗み出してまで金を貸してくれるようになった。
そうして男は気づいたのだ。自分の才能の使い道に。
以来彼はもう十年以上を詐欺師として生きている。
あくせくまともに働いて稼いだ安い給料で糊口をしのぐ生き方は、当然馬鹿だと思っている。
しかし、そうして夫が稼いだ金を自分のペテンに湯水のごとく使う夫人たちのことは、それ以上の馬鹿だと思っていた。
霊感も悪霊も呪いも生霊もありはしないのに。彼女らの子供でも書けるようなこんな絵札に、なんの効果もありはしないのに。
彼は見下していた。物やサービスを作って売って稼ぐ人々を。そんな人たちから金を貰える立場にいながら、あっけなく騙される頭の弱い人々を。
彼は誇っていた。そういった弱い人々を踏みにじり、誰もが羨む優雅な生活を送る自分を。弱肉強食の理を世に知らしめる勝利者を。
これからの十年、二十年も、自分はああいう弱者から甘い汁を搾り取る勝者であり続けると信じて疑わなかった。
一通のメールが、彼のスマートフォンに届くまでは。
それは昔の取引相手のメールアドレスからだった。
彼が抱いている誰にも明かせない自慢の一つは、今まで騙した相手の誰一人として、自分が詐欺師だったことに最後まで気づかなかったこと。
[久しぶり]という件名のそのメールも、未だ自分の正体に気づかない愚かなカモが再び商談を運んできたのだろうと思った。
しかしそのメールが運んできたのは、ただ一枚の画像データ。
写っていたのは、到底理解しがたいもの。
デスクの下に置かれた、一つの古そうな壺だった。
男が昔売りつけた聖なるガムテープと聖なる札で密閉されたそれ。
置かれている場所には見覚えがある。
彼が顧客に売りつける雑貨を置いた、事務所兼倉庫の一室。そのデスクは、あの部屋の隅に置いてあるものだ。
男はなんとなく、寒気を感じた。
なぜあの女が俺の事務所を知っているんだ。この壺は一体なんなんだ。
二十数年という人生で今まで感じた事のない、強い不安を彼は抱いた。
顧客との商談の予定をキャンセルし、男は急いで事務所に向かう。
そこに着いたのは深夜の2時過ぎ。スマートフォンのライトで手元を照らし、事務所の鍵を開けて中に入る。
あの壺はしっかりとそこに、書類といざという時のための現金を隠したその机の下に置いてあった。
冷や汗を浮かべる男。
静かに部屋の照明スイッチをオンにする。
しかし電気は点かない。
仕方なく、スマホの頼りない光のみで室内を照らす。
雑に積まれた段ボール。仮眠用兼作業用の高いソファー。いくつかの捨て忘れたプラゴミの袋。全て最後に訪れたときのまま。
部屋はあの壺があること以外なんの異常もない。荒らされてもいないし、誰かが潜んでいるということもなかった。
男は立ち尽くして考える。
これはとうとう詐欺がバレたのだろう。とするとこれは復讐が目的か。だがそれならなぜ高いソファーも机の中の札束も盗まれていない?代わりに壺を置く意味とはなんだ。毒ガスでも中に入れているというのか?
男にはわからなかった。――霊感を売り物にしながらオカルトを見下していたその男にはわからなかった。
とにかく気持ち悪い物を一秒でも長く自分の空間に置いていたくなかった男は、その正体不明の壺を捨ててくることにした。
備品の放り込まれた段ボールから手袋を取り出し、なるべく体を離して、壺を両手で挟むようにして持つ。
見た目より重いそれを持つのは困難で、しかも部屋は夜闇で真っ暗。
不意に何かに躓いて、男は前のめりに倒れ、壺はその頭上を飛んで地面に叩きつけられる。
壺が割れた。
中から出てきた黒くて長い何かが、いくつもの足を素早く動かしてどこかに消える。
それから男の人生は、真っ黒な闇に支配された。
◇
「男が新たなカモに近づくと、なぜか足が痛み始める。すぐに耐えきれない痛みになって、たまらず男は靴を脱ぎ靴下を取って足を確かめる。
するとそこには、毒虫に噛まれたような跡がいくつもあって、足か水袋かわからないほどパンパンに腫れあがっている」
屋根裏から怪が、おどろおどろしく語る。
「以来男は姿の見えないその毒虫に怯え、以前のように詐欺をすることはおろか、まともに働くことすら阻まれて……結局河原で惨めに死ぬことになりましたとさ。めでたしめでたし」
その結末から僕は、人を騙すのは良くないことだと、いずれ報いがもたらされるのだと教わった。
屋根裏に棲む存在は楽しそうに蠱毒という呪いについて語っていたが、僕はその見事な用い様よりも、こうした道徳こそが大事なのだと思った。
まったく、本当に。
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