第7話 夜の山、捨てられた小屋、数多の

僕が幼い頃、眠れない夜には怖い話を聞かされた。

語り手は天井の向こう。屋根裏部屋に棲んでいる、

以下に語るのはその数々の怪談のうちの一つ。

山登りが趣味の男と、その友人Aの話。



大学が夏休みの間、登山をこよなく愛するその男は毎週山へ出かけていた。

週に二度も三度も山に挑むことすらあった。

曰く、体が若いうちに日本の全ての山に登るつもりなのだとか。

その友人Aには登山の趣味は無かったのだが、彼は男が登った山の話を聞くのが好きだったし、男もAが興味を持って聞いてくれるのを嬉しく思っていたので、二人は殊に仲の良い間柄だった。


夏休みも終わろうかという頃、夜のことだった。

Aがゼミ課題に追い立てられていたとき、ブブッ、と机の上に置いていたスマートフォンが短く振動した。

反射的に取ると、画面には例の登山好きな男の名前と、「1件の動画を送信しました」という自動生成文。

きっと昼に登った山で撮影した動画だろう。これに反応を返せば、またいつものように長々とした体験談を生き生きと語ってくれるに違いない。

Aは少しだけ迷ったが、どうせ課題は行き詰まっていたし、集中状態が続いて疲れもあったので、息抜きに彼との談笑に身を投じることに決めた。

通知をタップしてメッセージアプリを開き、早速動画を再生する。


――動画はスマートフォンで撮影されたもので、縦長の画面には真っ暗な闇が広がっている。美しい山や空、清らかな沢と森、そこに生きる鹿や猪。いつもの彼が撮っているようなそれらはどこにも映っていない。

かろうじて見えるのは、木目のような模様だけ。それも本当に木目なのかどうか、暗い上にぼやけているその動画では判別できなかった。


Aは思う。さては、あいつ慌てて送る動画を間違えたな、と。

Aはからかうような調子で返信する。「なにこれ?今日の山?」

[既読]は一瞬で付いて、男がずっとメッセージ画面を開いていたことを知らせる。

それからすぐに男の答えが来た。


「夜の山、捨てられた小屋」


普段の彼の言葉遣いではなかった。

いつもの情熱的な、溢れる生命力がそのまま先走ったような喋り方とはかけ離れた、機械的な返答だった。

Aは違和感を抱く。

「どした。もしかしてスマホ拾った誰かさんが送ってる?」

とにかくなにか情報を引き出そうと、直球の質問を送ってみる。

またすぐに既読が付いて、すぐに返信が来る。


「音」


音……?

そこではたと気づく。

Aはスマートフォンの音量を0にしていた。よそ行きの用があったので音が出ないようにしていたのだ。

彼はこの動画の中の「音」を聞いて欲しかったのか。

Aはすぐに音量のプラスボタンを四、五回押して音量を上げ、再度動画を再生してみた。


そして、Aは驚愕した。



遠くの川の水が流れる音。風に木々がそよぐ音。小屋に隙間風が入る音。古い木材の軋む音。    小屋のまわりを回る誰かの、草を踏む音。


そして続く、チェーンソーの激しい駆動音、塵を噴きながら切れる木の音、重機の稼働する破壊的な轟音、吹き荒ぶ暴風の壁を叩く音、篠突く雨の屋根を叩く音、怒れる雷の空を割る音、カラスのガアガアと喚く声、猿か何かの狂ったような叫び、赤子の泣き声、男の悲鳴、女の断末魔。それから、いくつもの聞き分けられない音、音、音、音、音。

この世の終焉を現したような異常のオーケストラ。


そこに紛れる、あの登山好きな男の声。

親友でなければ気づかないような変わりようの、恐怖に染まった、彼の唸り声。



ブブッとスマートフォンが震えて、新着メッセージを画面上部に表示する。


「音が、たくさんする」


とりとめもない数多の音に手が震え、友人Aはスマートフォンを落とした。



「不思議な話だね」

幼い僕が言う。

「おや、それだけ?」

屋根裏の怪が訊く。

日々からたくさんの怪談を聞かされている身としては、この怪談はただ単に不思議なだけの話だと感じた。

僕は肯定する。あまり怖くなかった。

すると、天井の向こうで押し殺した笑い声が薄っすらと漏れ聞こえてくる。

「くつくつ……。ああ、悪い。君が怖がれないのは当たり前なのさ。ちょっと君の成長を確かめたくて、試してしまった。ごめんね」

僕は何を謝られたのかさっぱりだったが、とりあえず子ども扱いされたことだけはわかった。

そしてそれに憤りを抱いた。

すぐに震えで手放すことになる、小さくて弱い憤りを。


屋根裏部屋の住人は言う。

「動画が始まってすぐに聞こえたのは、川、風、木の音。その後に草を踏む足音が来て、続くように様々な轟音が鳴り響いた。

実はそれらの音は、あの足音と同じように山小屋の周りを回ったんだ。





あの数多の音は全て、山小屋に来たの口から垂れ流されたものだったのさ」


家の外で、草を踏む足音が鳴った気がした。

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