第4話 川の人

毎年夏の川遊びで、必ず人が死んでいる。

どんなに文明が進んでも、自然のなかには未だ落命の危険が潜んでいる。

学校で泳ぎ方の授業をしていても、水難事故の講習会を開いても。

どれだけ知識と経験を豊かにしても、川で死ぬ人は無くならない。

それは一体、何故なのだろう。

僕が眠れない夜、屋根裏部屋に住む何かに聞かされた話によれば、それはこういうわけかもしれない。



ある親子とその友達数名が川遊びに来ていた。

田舎の一軒家からその川までは十数分歩くだけ。地域住民にとっては馴染み深い穏やかな川だ。この川で遊ぶことは彼らにとって、毎年の楽しみでもあった。

その川は山を少し入ったところにあり、周りを木々に囲まれて仄暗く冷涼な雰囲気をしている。奥から小さな滝のように水の流れる場所だけは底が深い。だが流れに沿って次第に浅くなるため、万が一そこで何かあろうと何もせず流れれば自然に川岸に戻ることができる。とても安全な川だった。

その日は父親とその息子の他に、友人の男の子と女の子が二人ずつの合計六人が昼前から川で遊んだ。

最初は川で泳いだり飛び込んだりして遊ぶ。次は川の底を水中ゴーグルで観察したり、持ち寄った水鉄砲で合戦をしたり。

太陽が真上を少し過ぎた頃にはお腹が空いて、日陰に移動し昼食をとる。シートを敷いて手を除菌シートで拭き、バスケットに入ったサンドイッチやピックの刺さった揚げ物、川の水で冷やしてあったスイカなどを食べる。食べながら子供たちは「午後からは何をして遊ぼうか」「そういえば宿題はどれくらい進んだ?」などと会話に花を咲かせる。とても幸福な時間だった。


だがその後、楽し気な雰囲気が一変する事件が起こる。


「あたし見たもん!危ないよ!」

「もうどっか行ったって!大丈夫だよ!」

何やら言い合いになっているのに気づいて、父親が駆け寄る。

何があったのか聞くと、恐慌状態の女の子が叫ぶ。

「女の人がいたの!あっちの深いとこで、目から上だけ出してたの!」

そこを目撃していたもう一人の女の子も加わる。

「こっちをじっと見てて、わたしたちが見てるのに気づいたらすって沈んで、それから出てこないんです!……気持ち悪いっ!」

「なんかの見間違いだって!俺らもっかいダイブして遊びたいのに、こいつらが止めるんだ!」

女を見ていないらしい男の子たち三人が、女子の意見に食って掛かる。

そんな女がいるはずがない。いたとしてもこの川なら、流れでこっちに出て来るか、気づかないうちにもっと川下へ流れ過ぎただろう、と。そもそもそんな女がいたからなんだと言う猛々しい子もいた。

父親は子供たちの監督者としてとりあえず場をなだめる。

全員の意見を今一度確認し、彼は女がいたという小滝の落ちる深い場所を確認してみることにした。大人が安全だと認めれば、女の子たちは少しは気を落ち着けてくれるかもしれないという考えだった。

父親はゆっくりと川の流れに逆らって進む。

彼の肘より少し上まで沈むようなところに来て、大人も頭からつま先まで沈むその深みを前にする。そして、膝に手をつくようにして頭を水中に入れ、目を開けて見る。


女がいた。

邪悪な気配を具現化したように長い髪が水中を漂って、顔は見えない。

暗い川底にしっかりと足をつけていて、泥に塗れた緑色のワンピースの裾が流れに任せてうねうねと暴れている。

間違いなく生きている人間ではない。


父親はすぐに顔を上げ、動揺に荒れた息を整える。

水面の上から見た今でも、女は川底に確かに立っていた。

どういうことだ。あの女は一体。

父親はまた、顔を水中に入れて、目を開ける。

やはり、女はそこにいる。

闇に淀んだ川の底で、ただただそこに突っ立っていた。


――まるで、何かを待つように。


親子とその友達はすぐに家路についた。

その間、誰も口を利くことはなかった。



次の夏。川で子供とその親が溺れ死ぬ事件があって、誰もその川で遊ぶことはなくなった。



「その女の人、本当に人じゃなかったのかな。溺れちゃったとか……」

父親はその女を三度も見た。水中と、水上からと、また水中で。

であればそれは、本当にそこにいた、水草かなにかが足に絡まって溺れ死んでしまった人間だったのではないか。

そういったようなことを、その時の僕は想像していた。

屋根裏の怪は当然否定する。

「水草に足が絡まったとか、岩の隙間に足が挟まったとか、そんな状況ではありえないさ。だって女はんだよ。直立してたんだ。足だけが川底に囚われていたなら、川の流れで体は川下に斜めっていたはずだろう?」

そう言われると確かにそうだと思った。

そうなると、やっぱり僕はいつもの質問をするしかない。

は何だったの?」

屋根裏部屋からはもったいぶった沈黙が、そのあとようやく答えが返ってくる。

「この話からだけではなんとも言えない」

それは天井の向こうの何かには珍しい答えだった。

屋根裏のはいつも、話の中の何者かたちについてまるで親しい友人のように詳しかったからだ。

「川において人間を欲しがるものは、川の名前の数だけいるからね」

「そうなんだ。……どうして人間を欲しがるの?」

部屋はまたも静寂に満たされる。それも川によってそれぞれ、ということだろうか。

やがて屋根裏部屋の怪は誤魔化すように笑ってから言う。

「私が一番好きな理由を教えてあげよう。






ずっと人間を貰っていたから。

与えられるのが当然だと思っているから。

人間は人間を与えないようになったのだと、気づいていないんだ」

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