第3話 君の友達
海外の姉妹校から寄贈があったとかで、僕たち生徒は小さなぬいぐるみを貰った。
オレンジや緑の地に赤で民族的な文様が縫われた服を着た、ゾウのぬいぐるみ。
僕は家に帰ってすぐ、庭に小さな穴を掘ってそこにゾウを丁寧に置き、火のついたマッチを放り入れて燃やした。
これを作った誰かさんには申し訳なかったが、その時の僕は、ぬいぐるみを貰ったらすぐに燃やすことに決めていたのだ。
屋根裏部屋にいる何かから聞かされた、ある話を覚えていたから。
◇
あるところに少年がいた。目の前で弟が車に撥ねられ、痙攣しながら命を失っていく様を目撃した少年だ。
その凄惨な体験に心を痛めない親類縁者はおらず、彼の父方の曾祖母は特に少年を気に掛けた。彼女も幼い頃に妹を病で亡くしていたからである。
曾祖母は少年にぬいぐるみを贈った。
黒のスカーフを巻いた、尻もちをついた姿で前脚を伸ばして座る柴犬のぬいぐるみ。
デフォルメされた表情はなぜかやや悲しそうな作りをしている。
曾祖母曰く、それは斜向かいに住む人形好きの老人がくれたものらしい。
老人は曾祖母から少年の話を聞いて彼をひどく哀れみ、心の拠り所になればと厚意で譲ってくれたそうだ。
弟の死んだ事故から二カ月。
少年は家に居る時弟にしていたような話を、犬のぬいぐるみに語るようになった。
だんだんと元気を取り戻していく少年。それを見て同様に立ち直っていく彼の父と母。
事態は良い方向に向かい始めていた。
そのはずだった。
ぬいぐるみが家族の一員として馴染んできたある日のこと。
少年が母親にこんなことを言った。
「ねえママ、サンタさんって本当はいないの?」
母親はもうそんな年頃かと、息子の成長に微笑む。
少しからかってやるつもりで冗談を返した。
「ええ~?お母さん毎年サンタさんに会ってるけど?」
「でもアキが、サンタさんは大人のウソだっていうんだ」
アキ、という名前に母親は聞き覚えがなかった。
新しい友達だろうか。母親が聞くと、少年は驚いたように言う。
「なにいってるの?シバイヌのアキだよ。もう家族じゃんか」
それは間違いなく、あの柴犬のぬいぐるみのことを指していた。
少年はぬいぐるみのアキと会話していた。
アキという名前は自分から名乗ったと、そう言うのだ。
母親は頭を抱える。ぬいぐるみセラピーは我が子を精神病にしてしまった、ぬいぐるみから幻聴を聞き、それと話すようになってしまった。
そう思った。
少年の父と母はすぐに話し合った。
少年を医者に診せ、日々の会話や旅行の機会を増やしてコミュニケーションをもっと取るようにし、彼がぬいぐるみにしていたような話まで積極的に引き出して聞いたりするようにした。
ぬいぐるみをリビングに置き、少年が一人でぬいぐるみと話す機会をできる限り減らした。
その全身全霊の対処が、少しずつ少年を変えていく。彼は徐々にぬいぐるみに話しかけなくなっていき、やがて声を聞くこともなくなった。
母親は安堵する。世の中、為せば成るものだ、と自分たちを誇りにすら思う。
いっそ、もうぬいぐるみは卒業させた方がいいかもしれない。そんなことまでも考える。
そうしてぬいぐるみの捨て方を勘案しはじめた頃。
夕食後皿を洗っていた母親に、少年が奇妙なことを言った。
「ねえ、ママ。その……アキが、ゼッコーだって、言い出した」
それを聞いた母親は、未だに少年が幻聴を聞くことに悲しいさが半分、「ゼッコー」という言葉に引っかかる気持ちが半分だった。
絶交。友達としての縁を断つこと。
少年によれば、自分に冷たくする少年はもう友達でもなんでもない、自分はここを出ていく、そうぬいぐるみが言ったのだそうだ。
母親は、これはチャンスなのではと思った。
その幻聴の話に乗って、上手くぬいぐるみから卒業させられると企んだのだ。
彼女は芝居がかった声色でこう言う。
「それは残念ねえ……。でも、アキくんがそう言うなら仕方ないわよね。じゃあママが新しいお友達のところにアキくんを連れてってあげようかな」
「新しい友達?」
「うん。実はぬいぐるみの友達がいーっぱい集まってるところがあってね?そこに連れて行って……」
「そんなのいらないよママ」
遮られた母親は、少年はまだぬいぐるみに執着があるのかと残念に思う。
少年の次の言葉はその考えを裏切る。
「アキが、前の友達が迎えに来るから、準備してろって」
「……えっ?」
「今日の夜には来るから、お米とお酒でいっぱいにした桶を玄関の外に置いて待ってろってさ」
前の友達?迎えが来る?今日の夜?
突然のことに母親はまだ理解が追いつかない。
「え、ちょちょ、ちょっと待って。今日の夜?前の友達って何?お米とお酒って、ママもパパもお酒飲まないからウチにはないし……」
気づけばそれが幻聴であることを忘れて真面目に答えてしまった母親に、少年は色を失う。
顔面蒼白でリビングのぬいぐるみの元へ駆けて、小声でなにやら話しだす。
少し間を置いた後、きっと返答があったのだろう。
少年はさらに顔を青くして母親の方を向き、言った。
「じゃあ、代わりを出せ、って……」
「か、代わり……って?」
少年は泣きだしそうな目で、声を震わせる。
「……ママ……っ!」
ドンドンドンドン!
扉を激しく叩く音。
きっと父親が帰ったのではない。
ドン!ドン!ドン!ドン!
壊れそうなほど大きな音。
母と子は、ただ怯えるしかなかった。
◇
「それで、男の子とその子のお母さんはどうなったの?」
僕がいつものように尋ねると、屋根裏から闇を伝ってくぐもった声が答える。
「世間では一家心中だと報道されたよ。……お父さんもお母さんも男の子も、その夜一緒に旅に出たんだ」
「……そうなんだ」
幼い僕とて、その言葉の意味するところはなんとなく察することができた。
屋根裏部屋のそれが語るのはそういう話ばかりだから、というのもあったが。
僕はその結末の仔細を想像して、身震いした。
「僕は、ぬいぐるみいらない」
「いらない?押し付けられたらどうする?」
「捨てる。燃えるゴミの日に出す」
屋根裏から愉快そうな笑い声が長く響いたあと、怪が言う。
「やるなら自分の手で情け容赦無く燃やすことだね。彼らは都合よく解釈しすぎる。毅然とした態度で葬らないと、捨ててもすぐに戻ってくるよ」
僕は心底怖ろしく思って、泣きそうな目を天井に向けた。
くつくつと笑う怪の声がして、それがまた落ち着くと、今度は驚くほど低い声がささやく。
「絶対に燃やすんだ。
彼らに友達を呼ばせちゃいけないよ」
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