第14話 ヘイヴンの次期当主
食事を終え車を止めた、北部中央銀行への道を辿る。
傾き始めた太陽を惜しむかのように、行きは弾んでいた足取りは心無しか重かった。
今胸に小さく灯っている寂寞は、歩き回った疲れから来るのか、それとも今日という日が終わりを迎えようとしているからなのか。
ゆっくりと歩くエイダは、隣のレナルドをそっと見上げる。言葉少なに前を向いて歩むレナルド。彼も今エイダが感じている、一日の終わりを寂しく感じているのだろうか。
そんなことを考えているうちに、目的地にあっという間に辿り着く。なんとなく小さくため息をついたエイダを、レナルドが振り返った。
「……エイダ、疲れたか?」
「あ、そうじゃなくて……」
俯いて髪を耳に掛けながら答えたエイダに、レナルドは繋いでいた手を握り直し、覗き込むように背中を屈めた。
「……なら、もう少し付き合わないか? 君に見せたい……」
近づいたレナルドの顔に、エイダの鼓動がトクトクと音を立て始める。傾きかけた陽がレナルドのディテールを、鮮やかに浮かび上がらせていた。
「レナルド!!」
甲高い声が辺りに響いた。レナルドが声に反応して眉を顰め、嫌そうに唇を引き結ぶ。繋がれていた手が解けて、レナルドが腕を組んだ。その様子を訝りながら、エイダも声の主に振り返る。
「戻ってたのね、レナルド! どこに行ってたの? 車があったから待ってたのよ! もう、また自分で運転なんかしてきたの?」
「……ミア」
「ねぇ、いつ街に来たの? 声かけてくれたらいいのに。あ、そうだ。今日手紙が届くはずなんだけど見てくれた?」
ふわふわの金髪を揺らしながら、甘ったるい声で話し続けるミアに、レナルドが額に手を当てて細く息を吐き出した。
「……今日は一日外出していたから手紙は見ていない。それより、ミア、連れがいるのが見えないのか。遠慮すべきだろ?」
「どうして?」
不機嫌そうなレナルドの低い声にもめげず、ミアは可愛らしく小首を傾げてみせた。
エイダよりいくつか年下だろう少女は、レナルドにニコニコと笑みを向けている。うんざりしたようにレナルドが顔をあげ、エイダに振り返る。
「……エイダ、彼女はミア・ヘイヴン。親戚だ。ミア、彼女はエイダ・クラソン。
エイダに挨拶もしない態度を咎めるように、レナルドが眉を顰めて語気を強めた。当主の賓客。その言葉にミアがスッと表情を変えた。
「……ご当主様の? クラソン……」
エイダを無視していたミアが、初めてエイダに振り返る。一瞬だけ鋭く探るような視線が、すぐに輝くような笑みにすり替わった。エイダを上から下まで眺めながら、ミアがにっこりと笑みを深くする。
「ご挨拶が遅れ失礼しました。ミア・ヘイヴンです。レナルドとは親戚で、幼い頃から親しくしてたの」
「そう、なの……初めまして、私はエイダ・クラソン」
「首都からいらしたのでしょう? ヘイヴンは満喫されました? ご滞在はいつ頃まで?」
愛想のいい猫撫で声の圧と、派手に着飾ったミア。今の自分の格好との差に、気まずくなってエイダは思わずレナルドを見上げた。レナルドは憮然と眉を顰めて、前髪を掻き上げる。
「ミアには関係ない。余計な詮索はするな。エイダ、悪い。今日はもう帰ろう」
「ええ……」
「いいじゃない。ねぇ、エイダさん。どちらのホテルに滞在なさっているの? しばらくヘイヴンにいるのかしら? よければ今度は私が街を案内……」
「ミア、いい加減にしろ。エイダは本邸に滞在している。ヘイヴン当主の賓客だと言ったはずだな?」
「…………」
「エイダ、行こう」
冷ややかに言い捨ててレナルドは、エイダをエスコートして車に詰め込む。
挨拶もせずに車を出そうとするレナルドに、エイダはミアに視線をチラリと向けた。鋭い視線でエイダを見つめていたミアが、エイダに気付きにっこりと笑みを浮かべる。
レナルドはそのままミアを振り返ることなく、車を走らせた。
「……美人、ね?」
エイダのポツリとしたつぶやきが、レナルドの不機嫌丸出しの沈黙に落ちる。
「見た目はそうかもな」
「貴方に気がありそう」
「ミアの好みはヘイヴンの次期当主だからな」
「なら、貴方ね」
「僕に、じゃない」
「次期当主は貴方でしょ?」
「……まぁ、今は僕だけだからな。ミアは当主候補者全員に声をかけてた。だが脱落すると不思議なことに、視界に入らなくなるらしい」
「……ああ、やりそうね」
首都の社交界にもよくいるタイプだ。正直な感想をそのまま呟いたエイダに、レナルドが眉を跳ね上げる。
「僕は礼儀知らずも、着飾ることしか興味がない愚か者も好みじゃない」
「まぁ、彼女を選んだら趣味の運転は確実に無理ね。でも礼儀知らずなのは血筋でしょ?」
「……デザートを追加注文したよな?」
「あと二、三個入る余裕があるみたい」
笑い出したレナルドを、エイダは見つめた。スラリと背の高い、神経質そうな繊細な美貌。色素の薄い全体像の中で、深い青い瞳が一際印象的な容姿。
確かにレナルドは異性として魅力的で、そこに北部の覇者ヘイヴンの次期当主という付加価値がつく。結婚相手としてなんとしても手に入れたい男だろう。
(でも、そんなものじゃないのに……)
レナルド・ヘイヴンの本当の価値は。次期当主という付属品でも、ハッと息を飲むような美貌でもない。自分の非を認められる知性と寛大さをもつ、皮肉屋だけど根っこはお人よしなその中身にある。
部屋に閉じこもったエイダを心配して駆けつけ、怒鳴りつけて無理やり食事を摂らせる。大泣きするエイダを宥めて、泣き疲れて眠るまで肩を貸してくれる。
そういうレナルド・ヘイヴンとしての、人となり、在り方こそが彼の本当の価値なのに。
「……貴方も苦労してるのね」
「お互いにな?」
眉尻を下げて苦笑したエイダに、レナルドは笑いおさめて肩を竦めた。
「隠せたらいいのに……」
「隠す?」
「セスがしたみたいに。泥化粧で」
セスは知っていた。レイラの本当の価値を。
月光の髪と透き通る白い肌。目で見える価値を泥で覆い隠しても、心が感じる本当の彼女の価値を。汚してもなお、黒の森に隠すほどに。決して誰にも知られないように。
見た目だけではない、自分を生かすレイラの価値を彼は知っていた。
「貴方のその無駄にキラついた見た目を隠せたら、本来の価値が鮮明になるかもしれないじゃない? ……って、ちょっと! 一体何!?」
急停止した車の勢いに、前のめったエイダは瞳を怒らせて、レナルドを振り返る。
「……レナルド?」
呆然としたように目を見開き、エイダを見つめるレナルドに眉を顰める。
「……黒の森の今の名前は?」
「は? 急に何? ソムヌスの森でしょ? 多分、名を変えたのは賢人・ジャスパー」
「……根拠は?」
「……地名を変えられて且つ、その名を浸透させるにはそれなりの影響力が必要だわ。賢人・ジャスパーはヘイヴンの支配者だし、それに……」
「それに?」
急に車を止め身を乗り出しながら、唐突に感想会を始めたレナルドにエイダは、戸惑いながらも口を開いた。
「ソムヌスって「眠り」でしょ? 確かラテン語のはず。安らかな眠りを願ってその名をつけたなら、ジャスパーしか考えられないもの」
「正解だ……エイダ、僕のパートナーにならないか?」
「パ、パートナーって!? 本当に急になんなの!?」
「一週間後、お祖父様の生誕パーティーがある。君に僕のパートナーを頼みたい」
「え……だからなんで突然……」
乗り出していた身体を引き、レナルドはハンドルにすがってため息を吐いた。
「……ミアが言ってた手紙。あれはお祖父様の生誕パーティーのパートナーの誘いだ。もう何通も届いてる」
「……なら彼女と行けばいいじゃない。そもそも私が参加していいものじゃないでしょ?」
「僕のパートナーとしてなら問題ない。ミアがソムヌスがラテン語だってわかると思うか? 言ったろ? 僕は礼儀知らずも、馬鹿もごめんなんだ」
「だからって……彼女、美人じゃない……」
目に鮮やかな眩しい金髪。朝露に濡れた新緑のような大きな緑の瞳。エイダが気後れするほどキラキラした派手な服も、花が咲くようなミアの美貌にはよく似合っていた。レナルドと並んで立てば、さぞお似合いだろう。
ちくりと胸が痛んで俯いたエイダに、レナルドはいやそうに顔を顰めた。
「ギラギラした金髪はうんざりなんだ。次期当主の妻の座は、無駄に育った胸を意図的に押し付けてれば、手に入ると思ってるんだぞ? 勝手に妻気取りで練り歩く中身のない愚か者と、半日も過ごせっていうのか!?」
「……知らないわよ」
「その点、君は次期当主なんて肩書に興味はないし、僕自身を見てくれる。さらには退屈する暇もないくらい話術に長けて賢い。その上、美人だ」
「は? 美、美人!? 何を……」
赤くなって慌てたエイダに、レナルドが真顔で顔を顰めた。
「なんだ、自覚がないのか? ラフなパンツスタイルも、難なく似合うくらいには美人だろう? 口説かれ慣れてるだろうに、過度な謙遜は嫌味だぞ?」
「な、何言って……口説かれたことなんてないわよ!!」
エイダに近づいてくる男達は、まず偉そうな高説を垂れ流してくる。女のくせにやら、気が強いやら、ドレスを着ろやら。そして褒め言葉ひとつもなく、それでも自分は寛容だから相手してやってもいいとのたまってくる。間違っても美人だなどと言われたことなどない。
「ああ、変わり者の評判にか、クラソンの家名にビビってるのか……首都にも馬鹿は多そうだな」
「唐突になんの前触れもなく車を止めて、パートナーの申し入れをしてくる人が言えること?」
「とにかく家名にも興味なし。賢く美人。現状エイダ以上に、僕のパートナーに相応しい相手はいないだろ? よし! エイダ、僕と一緒に生誕パーティーを乗り越えよう!」
「勝手に決めないでよ!」
「コムソルの食事を奢っただろ? あの店の料金がいくらだと思ってる!」
「あれは無礼に対する賄賂だったじゃない」
レナルドはヘニョリと情けなく眉尻を下げた。
「頼むよ、エイダ……また好きなだけ食べていいから。僕はいつか結婚するなら、あの二人のような愛を得たい」
「……あの二人ってセスとレイラ……?」
「そうだ。確実にミアじゃないことだけは確かだろ? 本当に嫌なんだ……頼む……!」
「ロマンチストね……」
「……悪いか?」
「いいえ」
素敵だと思う。心から。死と隣り合わせだった時代。その中にあって、苛烈で静かな美しい愛。そんな愛に巡り会えたら、そんな愛を向ける相手ができたなら。今の時代でも、人より多くを持っている自分たちでも、そんな愛を見つけるのはきっと奇跡に近い。
「……いいわ。パートナーになる」
驚いたように目を見張って、嬉しそうに笑ったレナルドにエイダも笑みを返す。
「ありがとう! 恩にきる!」
「私だって貴方と話すのは楽しいもの」
そんな奇跡を夢見る同志にエイダはいつもより、素直に返事を返してみることにしたのだった。
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