第15話 シュッツの誓い



 ヘイヴン邸に戻り夕食の席につくなり、レナルドはビリーに高らかに宣言した。

 

「今年の生誕パーティーは、エイダをパートナーにします」


 なんならドヤ顔のレナルドを、エイダはハラハラと見守る。唐突な宣言にビリーの反応を、恐る恐る伺うエイダは、息を呑んで眉根を寄せた。


「そうか。何人かが手紙を送って来ていたようだが、お前の好きにするといい」


 何事もなかったかのように、穏やかに笑みを返したビリーをエイダは凝視した。


(今、確かに……笑ってたわよね?)


 それも飢えた肉食獣が獲物を見つけたかのように。食えない狸当主の会心の笑み。不吉な予感にエイダは思わずレナルドを振り返った。レナルドはエイダに得意げに口元を釣り上げるだけだった。だめだ、役に立たない。

 ミアのパートナーにならずにすんだと、すっかり浮かれているレナルドを速攻で見切り、エイダは挽回を図ろうと声を上げる。


「あの……!」

「エイダ嬢に私の誕生日を祝ってもらうのが楽しみだ」


 ビリーの如才のない穏やかな笑みに、

 

「……はい」


 エイダは結局頷くことしかできなかった。ビリーの意図が分からない以上、今ここで挽回はかろうとするのはあまりにも無策だ。

 その後は何事もなく終わった夕食に、レナルドのエスコートで部屋に戻りながら、エイダが切り出した。


「ねぇ……生誕パーティーなんだけど」

「ああ、ドレスは心配するな。僕が準備する。一週間もあれば十分だ。プレゼントも僕と共同ってことにするよ」

「そうじゃなくて……」

「なんだ? 手記か? 歩き回って疲れてるだろうし、明日中に採寸だ。今日はこのまま寝ろよ」

「……そうね」


 エイダはご機嫌なレナルドにため息をついて、もう話の修正は諦めることにした。

 ヘイヴンの当主を甘く見るなと忠告した本人が、どうやら順調に策略にハマっているらしいのに、全く気づいてすらいない。


「貴方って割とお人よしの上に、結構抜けてるのね……」

「ん? なんだ?」

「いいえ……」

「それじゃあ、ゆっくり休めよ」

「ええ、貴方もね」


 部屋の前まで送ってくれたレナルドが、踵を返しかけ立ち止まるとエイダに振り返る。


「エイダ、パートナーを引き受けてくれて、本当にありがとな。おやすみ」


 嬉しそうに笑みを見せると、今度こそ歩き去っていく。その背中を見送ってから、エイダは部屋に入って扉を閉めた。


「……喜びすぎじゃない?」


 閉めた扉に寄りかかり、エイダは小さく呟いた。最後に見せたレナルドの笑みにうっかり見惚れたせいで、呟きが我ながら弾んでしまっている。これではレナルドをとやかく言えない。

 エイダは鏡台に座ると、髪をといて梳かし始めた。梳かし終えたエイダは櫛を置くと、そのまま鏡に映る自分をじっくりと覗き込む。

 鏡に映るエイダ・クラソンは赤みの強いチョコレート色の髪に、灰色の瞳で見つめ返してきた。


『その点、君は次期当主なんて肩書に興味はないし、僕自身を見てくれる。さらには退屈する暇もないくらい話術に長けて賢い。その上、美人だ』


 耳に蘇るレナルドの言葉に苦笑して、エイダは鏡の自分に向かって笑いかけた。


「……目には優しいかもね」


 華やかな金髪ではないけれど、落ち着いた髪色ではあるかもしれない。


『なんだ、自覚がないのか? ラフなパンツスタイルも、難なく似合うくらいに美人だろう? 口説かれ慣れてるだろうに、過度な謙遜は嫌味だぞ?』


 花が咲いたような華やかな美女のミア。でも地味な色合いでラフなパンツスタイルのエイダが、レナルドの目には美人に写ったらしい。彼が言うなら、自分もそう悪くはないのかもしれない。万人にそうと思われなくても、他ならぬレナルドがそう思うのなら。

 鏡の中のエイダは頬を赤くして、口元が緩んでいる。エイダはちょっと眉尻を下げて、覗き込んだ自分に囁きかけた。


「……別にいいわよね」


 ビリーが何を企んでいたとしても。不安がないわけではない。でもそれ以上に楽しみだと思う自分がいる。なんらかの意図があるにせよ、レナルドのパートナーとしてパーティーに参加できる。


「だったら別にいいわよね……」


 いつも憂鬱だった社交パーティーが、レナルドと一緒だと思うと楽しみになる。どうしてなのかは、あえて今考えないことにした。名前をつけることによって、今築いている関係を壊してしまいたくはない。

 同意するように頷いた鏡の中のエイダに、笑いかけ鏡台からスラリと立ち上がる。

 ヒールのない靴でヘイヴンの街を歩きまわった心地よい疲れに、エイダはすぐに深い眠りに落ちていった。


※※※※※


「だから青はないって言ってるでしょ? 私の髪色に合わないって何度言ったらわかるの?」

「いーや、こっちの青なら合うかもしれないだろ! いいから合わせろよ!」

「いやよ! 貴方の色彩センスはどうなってるの?」

「ばかばかしく気取った首都で育つと、凝り固まった固定観念から抜け出せなくなるのか? いいから合わせてみろって!」


 せせら嗤うレナルドからエイダは、怒り心頭でドレスを奪い乱暴に押し当てて見せる。途端に口を閉じたレナルドに、今度はエイダがふふんと鼻を鳴らした。


「だから言ったでしょ? 北部の田舎に引き篭もるとセンスは消滅するみたいね?」

「その青は寒色が強すぎる……こっちの青なら……」

「だから青は合わないって言ってるじゃない!」


 カチャリと鳴った陶器の音に、睨み合っていたレナルドとエイダは、ハッとして振り返る。この場にはビリーもいたことを思い出し、二人は誤魔化すように唇を引き結んだ。


「二人ともドレス選びに随分と熱が入っているようだ。私のパーティーのために、これほど熱心に取り組んでもらえて嬉しいね」


 気まずげにレナルドと視線を見合わせる。レナルドの瞳は冷静さを取り戻していたが、エイダはふいっと先に視線を逸らした。

 どう考えても青はない。レナルドが肩を落としたが、エイダは一切譲るつもりはなかった。


「ヘイヴンだとどうか知らないけど、社交場は戦場よ。クラソンを名乗る以上、似合わないドレスでピエロになるつもりは一切ないわ」

 

 他のヘイヴン一族も、ましてやミアも来るのだ。装いごときでバカにされるわけにはいかない。


「ほっほっほっ。エイダ嬢の言う通り。レナルド、青は諦めて薄い黄色にしなさい。瞳ではなく髪色にするといい。きっとエイダ嬢の美貌が際立つだろう。すまないな、エイダ嬢。レナルドはどうしても、自分の瞳の色のドレスを着せたかったようだ。だが恋人やパートナーに自分の色のドレスを着せるのは一般的だろう? 理解してやってほしい」

「お祖父様……!」

「あ……」


 ビリーの言葉に振り返えると、レナルドは憮然と赤くした顔を逸らした。エイダの頬も赤くなる。


「……ごめん、私、ちゃんとパートナーっていなかったから、髪色とかすっかり抜け落ちてて……」

「……別にいい。僕も髪色にすればいいって、思いつかなかったから……」


 赤くなって俯くレナルドとエイダに、ビリーは穏やかな微笑みを向けた。

 

「宝飾品をレナルドの瞳に色にするなら、「シュッツの誓い」がいいだろう。ラルゴ、当日までに準備しておいてくれるか?」

「ちょっ……!! お祖父様!!」


 顔色を変えたレナルドがビリーに声を上げる。首を傾げるエイダにビリーはにっこりと微笑んだ。


「お前と同じ瞳の色だろ? エイダ嬢にきっとよく似合う」

「あれは……!!」

「お前もいい歳だ。別に私は構わんが、周りはますますうるさくなるだろう。それならエイダ嬢に身につけて貰えば猶予ができる。そのつもりでパートナーをお願いしたのだろう?」

「ですが……!!」

「さて、ドレスも決まったな。私は少々疲れた。エイダ嬢、当日の装いを楽しみにしておるよ」


 よいせと立ち上がったビリーは、わなわなと震えるレナルドと、ポカンとするエイダを残して、さっさと部屋を出て行った。


「……レナルド?」

「……そう言うことか……!!」


 そっと声をかけたエイダに、レナルドは低く呟くとフッと息を吐き出し振り返った。もう怒りはしていないが、青い瞳は爛々としている。


「エイダは何も気にしなくていい」

「この状況で気にするなって無理じゃない?」

「まあ、そうだろうが、とにかくエイダは気にしなくていい」

「そんなこと言われても……」

「今夜手記を届けに行く。とりあえず、この色でドレスを選んでおいてくれ。僕はお祖父様と話がある!」

「ちょっと! レナルド!!」


 バタバタと駆け出して行ったレナルドに、エイダは一人取り残される。


「なんなの……」


 ドレスで溢れかえる室内に視線を巡らせ、エイダは憤然とため息を吐き出した。


※※※※※


 寝支度を整えた室内に、ノックが響く。扉を開けるとレナルドが顔を覗かせた。怒っているような、焦っているような表情に、エイダは腕を組んだ。


「……それでご当主様とは話せたの?」

「……ああ」

「私はどうすればいい?」


 腕組みしてレナルドを見上げると、じっとエイダを見つめ返してくる。しばらくそうしてエイダを見つめ、レナルドはやがて観念したように表情を改めた。


「……僕のパートナーとして、シュッツの誓いを身につけてくれ」

「銘のある宝石なんて荷が重いわ。謂れを聞かせてもらえる?」

「……それは……待ってほしい」

「いつまで?」

「僕の答えが出るまで」

「じゃあ、一つだけ確認させて。パートナーは私でいいの?」

「ああ、僕はエイダがいい」


 気まずげに逸されていた視線が、その問いにはまっすぐエイダに向けられた。迷いなく答えたレナルドに、エイダはため息を吐き出した。

 

「……わかった。言う通りにするわ」

「いいのか……?」

「よくなくても今は言えないんでしょ? なら待つわ。その代わり絶対に話して。気になるから」

「わかった……やっぱり君こそ僕のパートナーだ」

「調子がいいんだから」


 ほっとしたように笑ったレナルドが、優しく瞳を和ませる。どきりとしたことを誤魔化すように、エイダは咳払いをして胸を逸らした。


「まあ、やっぱりやめるって言われなくて良かったわ。やられっぱなしは性に合わないし」

「やられっぱなし?」

「パンツスタイルをとっても見下してた、貴方にご執心のヘイヴンの分家のご令嬢よ。クラソンの息女が見下されたままで終われないじゃない?」

「ふっ……それはそうだな。ありがとうエイダ。感謝してる」

「別に大したことじゃないわ。でも借りばかり作って大丈夫? 次期当主様?」

「なんだ? 今日は手記がいらないのか?」

「あら、一人でパーティーに行くことにしたの?」


 顎を逸らしたエイダに、レナルドがへの字に唇を歪ませ両手を上げた。

 

「……はぁ、降参だ。とてもじゃないが、ミアに君との対戦が務まるとは思えないよ」

 

 手記を受け取りながら、エイダはニヤリと笑った。


「でももう売られてるの。喧嘩を売る相手はよく見極めないとね?」

「全くだ」


 肩を竦めて同意したレナルドが部屋を出ていきかけて足を止める。


「エイダ、シュッツの誓いはお祖父様が言うように、きっと君によく似合う」

「……そう」


 眩しいかのようにエイダを見つめ目を細めたレナルドに、湧き上がってきた感情を咄嗟に唇を噛み締めてやり過ごす。


「……謂れを話すときは、できれば怒らずにいてくれることを願ってる。おやすみ、エイダ。また感想会で」

「……ええ、おやすみ」


 ふわりと笑みを見せて、レナルドは出て行った。鍵がかけられる音を聞きながら、声が漏れないようにエイダは手記を抱きしめた。足音が遠ざかってからもしばらくそうして、ようやく手記に視線を落とす。


「賢人・ジャスパー、貴方の子孫は本当に厄介だわ」


 不意打ちの笑みに、エイダの頬が火照っている。

 レナルドが残した綺麗な笑みはエイダに、宝石の謂れを知っても怒らずにいてほしいと言う言葉を、呆気なく聞き流させてしまった。

 

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