第13話 アレルギー



「……石碑に本物と偽物がある……?」

「少し違う。戦神が生きたバラカルト王朝時代からのものと、後から設置されたものがあるってことだ」

「後から……」


 首を捻りながらエイダは、民家の敷地内にポツンと置かれた石碑を見つめた。風雪に晒されて風化した石碑は、刻まれた文字は掠れている。


「戦神・セスの厩舎跡地……んー、本物……かな」

「ふーん、根拠は?」

「確かバラカルト戦記に厩舎の記載があったはず……見たところ年代も古そうだし、ヘイヴンの中央東で場所も合ってる。わざわざ民家の敷地に置かれてるってことは本物かなって」

「なるほどね。知識は賞賛に値するが、残念ながら偽物だ」

「えっ!!」

「石碑の裏を見てみろ」


 慌てて石碑の裏を見ると、うっすらとバラカルト戦記を記した著名な歴史学者、リグル・オルドーの名と寄贈者が刻まれている。顔を上げたエイダの顰めっ面に、レナルドはニヤリと笑みを見せた。


「歴史学者の名前が書かれてるってことは、後世に設置されたってことだ。まあ、裏を見なくても一発で分かるんだけどな」

「じゃあ、ここは厩舎跡地じゃないってこと?」

「さあ? ここに厩舎があったかもしれないし、なかったかもしれない。確かなのはその石碑はバラカルト王朝時代の設置ではないってことだ」

「…………」

「よし、エイダ。次に行くぞ」


 腑に落ちないエイダに、レナルドは楽しげに笑みを閃かせ、手を取ると再び歩き出す。点在する石碑を巡り、設置の時代を確かめていく。街中にあるものから、民家や店舗の敷地にあるものまで。見つけるたびに本物か偽物か、回答しては裏を見て答え合わせをする。

 レナルドは一目見ただけで真贋を言い当てた。正解のための根拠を持たないエイダは、ほぼ勘で答えるしかない。当然正解率はそれなりで、エイダはすっかりとむすくれた。


「流石に疲れたな。少し休むか。あぁ、ちょうどいい。ここで食事をしよう」

「……こんな高級店にこの格好で入れるわけないでしょ?」

「ヘイヴンの街に、俺が入れない店があるとでも?」

「…………」

 

 不機嫌なエイダとは対照的に、レナルドは楽しそうにレストランへ足を踏み入れた。


「くくくっ、エイダ。頼むよ、その顔やめてくれ。フグみたいになってる」


 言葉通りレナルドの来店に平身平頭の店員の案内で、個室のVIP席に腰を落ち着けるとレナルドが噴き出した。エイダはますますむくれて、ふんと顔を逸らす。


「やめて欲しいなら、いい加減種明かししたらどう?」

「分かった、分かったから……」


 ひとしきり笑い転げたレナルドが、取りなすように声を和らげた。


「バラカルト時代の石碑には共通点があるんだ」

「…………」


 じろりとレナルドを睨め付けて、エイダは瞳を眇めた。

 設置場所、石碑の形状、刻まれた文言。どれも一目で分かるような違いはなかった。石碑の風化具合さえ当てにはならない。補修されていたり、なんなら文言を刻み直して新しいものに置き換えられたりもしていた。

 睨むエイダを楽しむ間をとるレナルドに、文句を言おうとすると扉が開かれ料理が運ばれてくる。タイミングの良さにレナルドは笑いを堪え、エイダはむっつりと黙り込む。

 静かすぎる空間に気まずさを一切表情を顔に出さない、一流の給仕は無言で仕事を終えると静かに退室していった。扉が閉まった瞬間、レナルドは堪えきれずに噴き出し、エイダは完全にヘソを曲げた。


「……レナルド・ヘイヴン。今一言でも余計なことを言ってみなさい? そしたらこの熱々のスープを頭からかけてやるからね」

「やめ……やめろよ……僕は悪くないだろ……あはははは」


 カトラリーを握りしめ、笑い転げるレナルドを睨みつけるエイダに、レナルドはなんとか声を絞り出した。


「木だよ……王朝時代の石碑は必ず、植林された木とセットなってる」

「木……?」

「そう。考えてもみろよ、戦時中だぞ? 戦神の恩恵を受けた民草が感謝に石碑を建てるにしても、あの時代にまともな道具が残ってたと思うか?」

「……確かに」


 ただでさえ飢饉の中に起きた戦争。鉄などの物資を徴収する勅命の資料も残っていた。石材加工の道具も根こそぎ徴収されていたはず。

 言われてみれば当然の矛盾に眉根を寄せたエイダに、レナルドはカトラリーを手に持ちながら肩を竦める。


「記念碑になりそうな何かと一緒に木を植えたり移植して、その樹皮に感謝を綴ってたらしい。終戦後に改めて石碑にしたそうだ」

「……つまり木とセットになっていないものは、後世の石碑ってこと?」


 石碑にばかり注目していたが、まさかそんな共通点があったとは。チラリと盗み見たレナルドは得意げな顔している。悔しくなってステーキに八つ当たりするエイダを、レナルドがチラリと盗み見て揶揄うように口元を釣り上げた。

 

「種明かししたんだから、そのスープは自分の胃に収めろよ」

「……わかってるわよ!」

「そんなに切り刻むな。ステーキが可哀想だ」

「代わりに切り刻まれたくなかったら、黙ってて?」


 プリプリとステーキに八つ当たりするエイダに、楽しそうに微笑んでレナルドは優雅に肉を口に運んだ。これでもかと憎しみを込めて、当てつけのように細切れにしていた手を、エイダはふと止めた。


「……それだけ戦神への感謝は深かったってことね。終戦を迎え生活が落ち着いた後に、改めて石碑を建てるくらいだもの」


 エイダのこぼした独り言のような呟きに、レナルドは手を止めて顔を上げた。

 

「そうだな……「ヘイヴンの奇跡」を目の当たりにしたなら、当然かもな」

「そうね……」


 数々の戦功を残した戦神・セス。でも彼を伝説にしたのは、間違いなくヘイヴンの奇跡だ。

 国境線はついに隣国に破られ、勢いのまま総攻撃に出た隣国を、ヘイヴンで壊滅させた伝説の一戦。戦神・セスを語る上で、絶対に外すことのできない戦い。


「ヘイヴンの奇跡にも、隠された歴史が……いいえ、いいわ」

「なんだ? 聞かないのか?」

「聞いても答えないでしょ? それに、自分で確かめたいの」

「君らしいな……」

 

 レナルドの瞳が温かく細まった。その視線に気づかないほど、顎に指を当て思考を巡らせるエイダは、顔を上げて首を傾げた。


「でも石碑の真贋と、貴方のよそ者アレルギーはどう関係するの?」

「ああ、それか……」


 レナルドは顔を顰めるとカトラリーを置いて、水を一口飲み下した。


「ヘイヴンは戦神の石碑の設置を許可しない。にも関わらず偽物の石碑は存在する」

「……つまり?」 

「許可のない石碑は全部私有地にある。ヘイヴンが管理する土地だと許可が下りないから、個人宅や店舗の敷地の地権者に、交渉して勝手に建ててるんだよ」

「ああ……そういうこと。私有地なら文句は言えないものね」


 ヘイヴン家は歴史についての言及を一切しない。真実であろうが虚偽であろうが、不関与を貫いている。その一族が私有地への石碑の設置に対して反応する。それはつまり歴史への関与と同義となってしまう。


「でも、全部が間違いってわけではないかもしれないじゃない?」

「場所が合ってるならいいってわけじゃない」

「……まあ、そうね」


 慰めを差し出したエイダに、レナルドが言い返す。エイダは肩を竦めて同意した。

 場所が合っていようが違っていようが、それはもう問題ではない。著名な歴史学者や考古学者が、文献を精査して縁の土地を特定しようが、石碑に込められた思いの根本が違うのだから。

 学者が自分の功績を主張するための石碑と、心からの感謝の石碑。その差は歴然。歴史が息づくヘイヴンの街を彩って見えていた石碑が、急に不要な異物に思えてくる。


「……アレルギーにもなるわね」


 自分も含めて。楽しかった街歩きに浮ついていた気持ちが、急に落ち込むのを感じながらエイダは眉尻を下げた。


「ご理解、感謝だ。まぁ、同じ記者でも、君は別」


 顔を上げたエイダに、レナルドは小さく笑った。目が合うと急に心臓が痛みを覚え、エイダは慌てて視線を逸らした。


「わ、私は手記を読んだから……」

「それもだけど、言ったろ? エイダの書いた記事を読んだって。入念な取材をして虚飾のない、いい記事だった」

「その割には私を追い返そうとしたじゃない?」

「だからだよ。珍しくしっかり仕事をする記者だと思ったのに、戦神の取材とか記事がどうあれ虚栄心を満たす本質は、他の奴らと一緒なんだなって、ね」

「……最初はそうだったわ」


 クラソンではなくエイダ個人を認めさせるために。そのための功績を求めてヘイヴンに来た。自嘲するエイダに、レナルドは片眉を跳ね上げる。


「追い返されてたら、君なら記事を捏造してたか?」

「……どうかしらね?」

「そうする気ならヘイヴン当主からの、面談許可を記事にしてただろうさ。返事があっただけでもちょっとしたスクープだ」


 公の場にほとんど姿を見せない、ヘイヴン当主。その印章が押下された直筆の返事だけでも、確かに記事になる。面談の結果がどうあれ、許可が出た。それだけでも記者としての手腕のアピールはできてしまう。

 

「だから認めるよ。君は僕がアレルギーを発症する新聞記者だけど、プライドを掲げたいい仕事をしているって」

「……ありがと」


 俯いたままエイダはこくりと頷いた。顔が熱くて、それ以上に胸が熱かった。どうしてだか視界も潤む。

 エイダが面談を許されたのは、クラソン一族だから。でも少なくともレナルドは、エイダとして見ている。記者としてのエイダのしてきた仕事を認めてくれている。

 世間に認められたかった。そのために躍起になってきた。でもたった一人、レナルドが認めてくれたことが、世間に認められるよりも嬉しいと感じる。涙が滲むほどに。


「まぁ、ちょっと認めるのが遅くなったけどな。お詫びにここは僕が奢るよ。それで僕の無礼はチャラにしてくれると助かる」

「……なら、もっとデザートを追加しないとね?」


 溢れそうな涙を堪えて、エイダは顔を上げてニヤリと笑った。


「……お手柔らかにしてくれよ?」


 眉尻を下げたレナルドと顔を見合わせて笑い出す。

 昼食には少し遅い昼下がり。追加で頼んだデザートは、ひどく甘くエイダの舌と心を満たした。


 

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