第12話 課外授業



「誰も想像もつかないでしょうね。ヘイヴンの次期当主が運転をしているなんて」


 帽子を押さえながらエイダは、得意げなレナルドに目を眇めた。

 ハンドルを握るレナルドは視線だけをチラリとエイダに流すと、肩を竦めて見せる。

 

「本邸滞在を決めた時だって、ホテルへの送迎は僕がしただろう?」

「あの時は私に話があったからでしょう?」

「そうだな。じゃあ、今回は手記のための課外授業だからって理由はどうだ?」

「こじつけね。嬉々として運転をするオーナーなんて見たことないわ」


 自動車は運転手とセットが普通だ。自動車を購入できる財力を持つ者が、自ら運転するなど聞いたことがない。随分手慣れている運転に、エイダは呆れたように座面に寄りかかった。レナルドがくすくす笑う。


「女だてらに記者をしてるのに、意外と保守的なことを言うんだな。いよいよクラソン家の隆盛も頭打ちか?」

「おあいにく様。首都にくればヘイヴンの王様が、井の中の蛙だってクラソンが懇切丁寧に教えてあげるわ」


 北部の覇者は確かにヘイヴン家ではある。でも首都での影響力はエイダの生家、クラソン家に遠く及ばない。

 王を頂点とする封建制度から共和制に移行して、およそ百五十年。封建時代から続く名門クラソン家は、元を辿れば王侯貴族の末裔。

 時流を見誤った家門が頭角を表した資本家に飲み込まれていく中、婚姻ではなく手腕で家名を守り通している首都の旧家が、クラソン一族だ。


「エイダ記者は封建時代の基盤を引き継いだ、旧家の隆盛がいつまでも続くとでも?」

「どうかしら? でも当主自らが運転する正当性としてそんな時流を持ち出しても、世間の評価は「度し難い変わり者」から変わることはないってことだけは分かるわ」


 ふふんと鼻を鳴らすエイダに、レナルドもニヤリと笑みを歪めて二人は笑い出した。


「パンツスタイルに仕事をする女。私も相当変わり者って言われてきたけど、絶対貴方ほどではないわね!」

「没落したら運転手で食っていくよ」

「その夢は当分叶いそうにないでしょ!」

「はははっ! 何があるか分からない。それが世の中だろ?」

「大狸が言いそう!」


 笑い涙を拭きながら、エイダは楽しそうに片目を瞑るレナルドを振り返る。

 風に靡く銀にも見えるプラチナブロンド、晴天の空のように好奇心に輝く瞳。スラリと背の高い知的でシャープな美形は、ラフな服装でもとても運転手には見えない。

 でもきっと誰も文句は言えないだろう。彼はレナルド・ヘイヴン。ヘイヴンの王様で次期当主なのだから。


『今あるものが、全てだ』


 いたずらっ子のように笑うレナルドに、エイダは目を細めた。感想会でのレナルドの言葉が蘇る。いつかこの瞬間さえも、過去となり歴史になる。

 でも今確かにエイダは生きている。こうしてやんちゃに笑うレナルドの隣で、変人と笑われる世の中を皮肉って。

 本当にその通り。今あるものが全てだ。今しかできないことがある。


『どうあっても生まれは変わらない。切り離す無駄な努力はやめて、エイダ・クラソンを認めさせるために、大いに利用し活用すればいい』


 そうすれば良いのかもしれない。今ある全てを受け入れて。気に入らないものは、気に入るように変えてしまえばいい。今持っているものを全てを使って。

 望むとも望まずとも、エイダはエイダ・クラソンとして生まれたのだから。今、エイダ・クラソンとして生きているのだから。

 抜けるような青空と楽しそうなレナルドの笑い声が、エイダの気持ちを今日の晴天のように晴れやかにする。

 ストンと落ちてきた言葉が、エイダの凝り固まった心を自由にしてくれた気がした。


※※※※※


 ヘイヴンの中心地、北部中央銀行の一角に車を停めると、レナルドの案内について歩き出した。

 整然と整備された街並みに、混在する歴史と現代。相変わらずエキゾチックな街並みに、エイダの足取りも自然と弾む。


「……イダ、エイダ!」

「あ、ごめん」


 石造りの聖堂の装飾に思わず足を止めていたエイダは、レナルドの呆れたような呼び声にハッと振り返る。ムスッと不機嫌そうに、仁王立ちしたレナルドがエイダを見下ろした。


「……あー、この意匠が当時のまま残ってるのってすごく珍しいじゃない?」

「観光は済ませたんじゃないのか?」

「見飽きることのないヘイヴンの街並みって、すごく魅力的よね!」

「……光栄だ」


 誤魔化すようにヘラリと笑ったエイダに、レナルドは呆れたようにため息を吐くと手を差し出した。ポカンと差し出された手を見つめたエイダに、レナルドは少し視線を逸らした。


「……猫みたいに気ままに散策する君の歩調に合わせていたら、無駄に歩き回る羽目になるだろ?」

「……エスコートは紳士の役目だものね……」


 エイダはボソリと呟きながら、熱くなった頬を意識しながら視線を手を重ねた。ぎゅっと手を握られた途端、レナルドがスタスタと歩き始める。


「ちょっと、レナルド! 待って……」


 歩幅の大きい歩調に抗議の声を上げ、思わずレナルドを見上げたエイダが言葉を止める。レナルドの耳の先が赤い。気づいた瞬間、胸の奥がくすぐったくなる。込み上げてきた感情のまま、エイダはくすくすと笑い出した。


「……なにがおかしい!」


 笑うエイダにレナルドが足を止めて振り返る。レナルドの仏頂面にますます笑いが込み上げて、エイダは声をあげて笑った。


「ふふふっ……別に? ただ、紳士のエスコートには程遠いなって思ってただけ」

「……エスコートじゃない。好奇心旺盛な猫の手綱を握ってる」

「なら尚更丁寧にしなくちゃね? 猫を前に人はすべからく下僕であれ! バーイ……」

「「カール・リットン」」

「はいはい。博識で生意気な猫の下僕になるくらいなら、ご令嬢をエスコートする紳士の方がいくらかマシだ」

「賢い選択ね?」

「お褒めいただき、光栄です。お嬢様」


 プッと同時に吹き出し、笑い納めると気まずさが吹き飛んだ。自然と手を繋いで、改めてヘイヴンの市街地を歩き出す。

 紳士を名乗るに十分な速度になったレナルドの歩調に、妙に心を弾ませながらエイダはヘイヴンの街並みに視線を巡らせた。

 ヘイヴンに降り立った時と同じように、封建時代を思わせる建物と近代が調和する街並み。いくつも点在する戦神、ゆかりの石碑。

 でも今日はあの時よりも明るく鮮やかに、エイダの目に映った。

 整備された歩道を彩る緑が等間隔に立ち並び、そこかしこで歌い舞う辻芸人たちが、戦神・セスを称えているのを見守っている。


『その身の丈は六フィート(百九十センチ)、鋼の如き頑強な体躯に大剣を握った偉丈夫は、一太刀のうちにの兵を打ち滅ぼした。かの二太刀の終わりには、大地は血の雨で濡れそぼる。祖国のために戦場を嵐の如く駆け抜けて、ついにはの軍をたった一人で討ち果たす。祖国と故郷を守護してみせた、戦場の英雄は今もその名を轟かす。戦神その名をセスという。セスという』

 

 聞こえてきた詩に、エイダは目を丸くして肩を揺らした。


「どうした?」

「ふふふ……ねぇ、この歌流行ってるの?」

「ああ、ヘイヴンだと定番だな。首都では違うのか?」

「ふふっ……そう、ね。首都だと聞かないわ。でも、そうじゃなくて……」

「なんだよ」

「やっぱり多すぎたって、思い直したみたいで……」


 屈んで耳を傾けてきたレナルドに、エイダは笑いを堪えながら最初の歌を囁いた。


「最初にこの歌をきた時は、一太刀二千で万の軍勢だったの。でも流石に多すぎたって気づいたみたいで、今は二千から百、万から千になってて……減らしたみたい……」

「……ぐっ!! やめろよ……」


 エイダの耳打ちにレナルドは、咄嗟に口を手のひらで覆い肩を震わせた。


「貴方が聞きたがったんじゃない……」

「だ、だからって……今、それを……」


 俯いて肩を震わせるレナルドとエイダに、辻芸人の歌に耳を傾けていた観客が怪訝そうに首を傾げる。二人は急いでその場を離れて、路地の角を曲がり堪えていた笑いを解放した。


「エイダ、き、君は本当に……!!」

「だ、だって……嘘じゃないもの……!!」


 ようやく笑いおさめて目元を拭いながら、エイダは顔を上げた。同じように笑いの名残を残したレナルドと、視線が絡み合う。ニッと口元を釣り上げた、レナルドにどきりとエイダの鼓動が跳ねた。


「まぁ、だいぶ現実的な数字に落ちついたのは、喜ぶべきだろうな。

「え、ええ……そうね」


 不意に高鳴った鼓動を落ち着けるように、エイダは俯いた。その頭上からレナルドの、


「ああ、ここにもあるか。ちょうどいい……」

 

 独り言が降ってくる。思わず顔を上げたエイダに、レナルドは見慣れた皮肉げな笑みを浮かべた。


「さて、エイダ・クラソン? 課外授業の時間だ。この石碑は本物か偽物か」


 気取った礼でスッと身体をずらすと、レナルドは少し先にある石碑を示した。

 

「え? どういうこと?」


 ヘイヴンの街のあちこちで見かける石碑。その石碑に本物と偽物がある? エイダは眉根を寄せて、ニヤリと笑うレナルドを見上げた。

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