第6話 感想会



 ワゴンを押して朝食を持ってきたレナルドを招き入れ、セッティングを済ませると向かい合わせに座る。

 エイダは朝食を目の前に、読み終えた革張りのファイルをテーブルに置いた。受け取ろうと伸びてきた手を引き留め、エイダはレナルドを真顔で覗き込む。


「ご当主様が古狸なのは、賢人ジャスパーの血筋だからなのね。賢人も戦神も揃って物資をパクる山賊だなんて、歴史的大スキャンダルだと思わない?」

「……ぷっ! はははっ! まさに歴史的なスキャンダルだな。戦神は生粋の物資泥棒で、賢人・ジャスパーも積極的に加担していたなんて、英雄を名乗れない俗物と大狸だ」


 噴き出して笑い出したレナルドに、エイダもニヤリと口元を緩めた。

 たった数枚の前置きだという手記。もうすでに幾つもの新事実が記されていた。

 戦神・セスは正規軍ではなく傭兵だったこと。

 ジャスパー・ヘイヴンは勝手に副官を名乗っていたこと。

 ジャスパーの戦略と思われている大半が、戦神・セスによるものらしいこと。


「洒脱な皮肉屋だったみたいね、貴方のご先祖様は」


 そして現当主に古狸の血筋は、しっかりと受け継がれている。隠された歴史を暴くと意気込んでいたエイダは、純粋な好奇心に駆られていた。

 清廉潔白な無敵の武人などではない。戦神はに生きただった。


「お祖父様のようにな。我が偉大なる先祖、ジャスパー・ヘイヴンは、ちゃっかり者の権威主義でとんでもない拝金主義者だった」

「理由がありそうだけど?」


 芝居がかって頷いて見せたレナルドに、エイダも大袈裟に眉を跳ね上げて見せた。


「それは今後のお楽しみだ」


 楽しげに笑みを浮かべて片目をつぶって見せたレナルドに、エイダはちょっとだけ見惚れたあと小さく笑みを浮かべる。レナルドの笑顔は初めてだった。


「……貴方はご先祖のジャスパー・ヘイヴンを尊敬し、家門に誇りを持っているのね」

 

 レナルドは少しだけ目元を染めて、照れたように視線を逸らした。


「……君は?」

「私は……」


 口ごもったエイダに、レナルドが逸らしていた視線をエイダに戻す。気まずくなって俯いたエイダに、レナルドは水を一口飲む間をおいて向き直った。


「エイダ・クラソン。君だって別にクラソン家を嫌ってはいないだろ? 無意識に家名を誇るくらいには、愛着と矜持を持っているはずだ」


 古狸よりずっとお人好しでも、さすがは血筋。次期当主を掴むだけあって、よく見ている。エイダは小さく息を吐いた。

 

「……これも試験の一環?」

「半分は。ジャスパーの手記は、次期当主選抜の最終試験として行われる。一族でも限られた者しか手記を見ることは許されないんだ。本来はな」

「もう半分は?」

「個人的な興味だな。ヘイヴン家以外で手記を読むのは君が初めてだし。この試験は一族への忠誠をはかる意味もある。君の一族への心情を確認する、という名分が妥当だろうか?」

「屁理屈よ」

「まぁな、嫌なら別に答えなくて構わない」


 じっとエイダを見据えるレナルドの青い瞳は、なんの悪意も好奇心すら浮かんでいない。ただ純粋な疑問としての問いだった。だからなのか、エイダは疑問に答える気になった。


「……その通りよ。嫌ってなんかいないわ。家族を愛しているし、尊敬もしている。仲だって悪くない。クラソン家の一員であることを、誇らしいとも思っているのも事実よ」


 表情を変えないレナルドに、エイダはカトラリーを置いた。

 家族を一族を、愛し尊敬している。でもどれだけ努力してもエイダ個人ではなく、エイダ・としてみられる。

 成功すればさすがクラソン。失敗すればクラソンなのに。好悪乱れるその評価に、エイダという一人の人間としての存在は影響できない。


「今あるものが全てだ」

「え……?」

「どうあっても生まれは変わらない。切り離す無駄な努力はやめて、エイダ・クラソンを認めさせるために、大いに利用し活用すればいい」

「認めさせるために……?」


 エイダは小さく瞳を見開いて、レナルドの神経質そうな美貌を見つめた。

 エイダ個人を認めさせるために、必死になって切り離していたもの。切り離して積み上げて、初めて認められるものだと思っていた。

 考えてもみなかった方向性の提示に、エイダはただ呆然とレナルドを見つめる。

 まっすぐななんの含みもない眼差し。家名が出ただけでもたげてくる反発心は、今は不思議と湧いてこない。


「僕はそうした」


 あぁ、彼も同じ。不思議とまっすぐと心の届いた理由を、エイダは理解した。

 彼も名門・ヘイヴン家に生まれ、きっと同じ思いを知っている。そして彼は答えを出した。エイダより先に。自分だけが抗っていると思っていた傲慢さに、エイダはそっと自嘲した。

 レナルドは神経質そうな美貌に、ニヤリと皮肉げな笑みを浮かべる。


「まぁ、良くも悪くもここはヘイヴンだ。クラソンは通じない。何を選択するかは君自身の問題として、まずは手記の続きを君自身で勝ち取らないとな?」

「ふ……ふふふ……受けて立つわ」


 クラソンだから滞在を許された。でも目の前のレナルドは、最初から家名など鼻で笑い飛ばした。だから何だと。

 無様な姿を見せるわけにはいかないだろう。簡単に答えの出ないものは心に留めて、自分をただのエイダとして扱う男に立ち向かう。


「それで? 感想会って何を言ったらいいのかしら? 戦神がこそ泥で、賢人は俗物な狸だということは理解したわ」

「第一段階はクリアだ」

「それは読めば誰でもわかることでしょ?」

「そうでもない。神格化して本質を受け入れない者もいるからな」

「ああ、確かにいそうね」


 歴史に名を残す偉人の戦神・セスと賢人・ジャスパーが、正規軍ではなく金で動く傭兵。おまけにどさくさに紛れて補給物資を、山賊のようにパクっていたことを信じようとしない者は確かにいるだろう。現代の戦神は不屈の英雄として確立している。


「戦神・セスは異国の血が混じっていたらしい。青みがかった黒髪は、陽光や月明かりで藍色に色を変えたそうだ。セスの巨躯も異国の血の特徴さ」

「自国が誇る英雄が異国民……それもまた荒れそうな真実ね。でも言われてみれば名前の響きも、バラカルト王朝の系譜では聞かないわ。それに、おそらく文盲だった」

「……なぜ、そう思った?」


 驚いたレナルドに、エイダはふふんと鼻を鳴らした。


「怒涛の戦乱を生きたにしても、セスの直筆のものは一つも残されていない。残っている数少ない署名は、全てジャスパーが代筆と明記したもの。手記で読み書きができるのを、副官としてのゴリ押しポイントにしていたし、これはもう確定でしょ?」

「その通り。セスは文盲で、生涯自分の名前すら覚えようとしなかったらしい」

「名前くらいは覚えてくれたら、ヘイヴン家が不名誉を被ることはなかったかもしれないわね」


 莫大な褒賞を与えられた戦神・セス。彼の没後、その全てをジャスパー・ヘイヴンが受け継いだ。副官だったことを利用して、騙し取ったのではないか。長年囁かれた不名誉な憶測を、ヘイヴンは口を閉ざし否定も肯定もしなかった。

 

「それについて君の見解は?」

「今のところ、あり得ない。ね」

「根拠は?」

「洒脱に崩されていても、知性の滲む文面には戦神への敬愛と忠誠が滲んでいたわ。私が読了した範囲では」

「ふむ……残念だな、合格だ」

「あら、随分簡単ね」


 ムッと眉を顰めたレナルドが、仏頂面で肩をすくめた。

 

「感想会では渡す手記から抜いた補足を、こうして付け加えることもある」

「……全編は読めないの?」

「読了できるのは遺言に関わる部分だけだ。セス個人の情報は、抜き取ることもある」

「全部確認させてよ……お願い……」

「無理だ、やめろ。気色悪い」


 両手を握りしめキラキラと見つめるエイダに、レナルドは眉間に皺を寄せた。


「いいじゃない! 条件があるなら受けて立つわ!」

「……ない」


 ぴくりとこめかみを震わせて、顔を背けたレナルドにエイダはニヤリと笑った。


「あるのね? その条件を教えなさいよ!」

「断る! お前では無理だ!」

「わからないじゃない! 言うだけ言ってみてよ」


 若干頬を赤らめたレナルドは慌てて立ち上がった。


「次の手記はどうする!?」

「今日! ねぇ、教えなさいよ」

 

 誤魔化すようにあからさまに話題を変えるレナルドに、エイダは即座に答えて必死に逸らされる話題を引き戻す。レナルドは顔を背けたまま逃げるように、扉へと向かった。


「うるさい! それ以上聞くな! 夜までは自由だから食べ終わったらラルゴを呼べ!」

「何よ……ケチね……」


 言い捨てたレナルドが出ていった扉を見つめ、エイダは朝食に向き直った。思ったよりも楽しめた感想会に、一人になった寂しさが少しだけ込み上げる。


「食べ終わるまでいてくれてもいいじゃない……」


 思った以上に実りの多かった感想会を思い返しながら、エイダは冷めた朝食を口に運んだ。

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