第7話 秘密が眠る森



 朝食を終え、手記と感想会で得た情報を手帳へと書き込む。

 ヘイヴン家が手記の存在を公表しない限り、信憑性のない戯言として扱われるだろう歴史の真実。文献などで裏付けしても、せいぜいがその可能性の示唆止まり。

 そうなる情報だけをニヤニヤと選別して見せているなら、だいぶとんでもない狸一族だ。

 ヘイヴンの資金繰りが厳しくなれば、手記を公表するかもしれないが当分の間はなさそう。ヘイヴン家はジャスパーの願い通り、金と権力を余らせている。


「さすが狸の血筋ね……」


 書き終えた手帳を閉じ、コーヒーカップを片手に窓辺に歩み寄る。澄み渡る晴天に高台に建つヘイヴン邸からは、ヘイヴンの市街地が一望できた。

 銀行からの資金力を筆頭に、農業、酪農、製造、衣類、小売りとヘイヴンの事業展開を挙げたらキリがない。隅々まで行き渡らせた権力。ジャスパーが願ったヘイヴン家の繁栄は、守るためのとしての力。


「墓所、よね……」

 

 そこまでして守っているのは、おそらくそれで間違いない。頑なに口を閉ざした歴史と墓所を、ヘイヴン家は守っている。でもそうまでしてする理由は、まだ判然としない。ここまでする必然性が思いつかない。公表して公に管理権を得るのは、ヘイヴンなら容易でそのほうが確実に守れるはず。その理由はこの後分かるのだろうか。


「どうして私だったのかな……?」


 ヘイヴン一族以外では、エイダが初めて手記を許されたという。


「お父様でもお兄様でもなく、私……」


 クラソンであること。でもエイダである必要はない。むしろクラソン家の事業に関わっていないエイダではなく、父か兄達のほうが良かったはずだ。ヘイヴンの手記なら何をおいても条件を遵守するだろうから。何せ文化財団のトップを長年の家業としている。歴史遺産とかには目がないことは、広く知られている。

 推測を巡らせても答えの出ない思考に疲れて、エイダは小さくため息を吐いた。窓際を離れようとすると、乗馬服姿のレナルドが歩いているのが見えた。エイダはすぐさま窓を開け放った。


「レナルド! 乗馬するの?」

「あぁ……ちょうどいい。君も来るか?」

「……いいの?」

「君が見たくてたまらないものを見せてやるよ」

「……っ!! すぐ行くわ!」


 エイダは乗り出してた窓際から引っ込むと、慌てて部屋を飛び出した。見たくてたまらないもの。それはたった一つだ。エイダは息せき切ってレナルドの元へ駆け出した。

 

「こんなことだと思ってた……」


 レナルドの愛馬「シーペンス」に跨り、広大な中庭を抜けた先の光景にエイダは憮然として呟いた。


「ヘイヴン家の私有地運用の仕方に不満でも?」


 後ろに乗るレナルドの揶揄うような声に、エイダはますます不満そうに瞳を眇めた。


「明らかに過剰だと思うの。見えないじゃない」


 向かった先は、ソムヌスの森。ヘイヴン本邸の中庭を通過する以外に到達できない秘密が眠る森は、呆れるほど過保護に守られていた。

 中庭に対面する側面は鉄柵だけで、隙間から森を目視できるようになっている。でも鉄柵が邪魔だ。本邸の石塀の外周と合流する地点で、本邸よりも高い石塀と鉄柵の囲いが巡らされていた。おそらく森全体が囲われている。

 目視できる中庭と森の境界の鉄柵も、森の入り口に到達するまでに十メートルほどの間隔を空けて、三段階に区切られている。さすがにやりすぎだと思う。


「不法侵入は不可能だと理解したか?」

「ええ……十二分に」


 愛馬から降りたレナルドの手を借りて、エイダも馬から地面へと着地する。ぐるりと視線を巡らせても中庭は本邸付近以外には、視界を遮る一切を排除された広い草原が映るばかりだ。身を隠すものすらない草原を抜けたら、三重の鉄柵が待ち構えている。侵入者の心を折るには十分。

 鉄柵に張り付いてソムヌスの森を見つめるエイダに、レナルドは呆れたように首を振る。


「……君はこれを見ても侵入を試みそうで不安になるな」

「二重だったら頑張ったかもね」

「三重にしてよかったよ」


 肩をすくめたレナルドが鉄柵に沿って歩き出し、エイダもソムヌスの森を眺めながらその後ろをついて歩く。熱心に森を見ていたエイダは、レナルドが立ち止まったことに気づかず鼻の先をぶつけた。


「ちょ、急に止まらないで」


 鼻を押さえてレナルドを見上げたエイダは、背後の尖塔に瞳を見開いて期待に輝かせる。


「まさか……! レナルド次期当主様! もしかしてここに入らせていただけるのかしら?」

「君のその変わり身の速さには、いっそ感心するよ」


 レナルドは片眉を跳ね上げ、背を向けると尖塔の扉の鍵を開けた。石造りの尖塔の扉が開くと、外気より冷たい風が肌に触れる。窓のついてない灯り取りからの光を頼りに、レナルドの後についてエイダは螺旋階段を上がった。

 陽光の光が強くなり登りきった先、物見のための空間に張り巡らされた手すりに手をかけ、エイダはぐるりと広がるパノラマに瞳を輝かせる。高台の上のヘイヴン家の尖塔は、ヘイヴンの街の先、遠く霞がかる地平線までを見渡せた。


「……森は……ブロッコリー、みたいね」

「ふっ……ブロッコリーって……!」


 エイダの漏らしたソムヌスの森への感想に、レナルドが吹き出して腹筋を震わせながら俯いた。


「がっかりしたか?」

「そうじゃないけど……」


 ソムヌスの森は鬱蒼として陰気。厳重に守られている理由が、世紀の歴史の秘密のためというより、呪いや悪霊を封印するためと言われる方が相応しく思える。

 ふと薄暗い森の入り口と思しき場所の反対側に、鉄柵に視界を遮られ気づけなかった灰色の人工物が見えた。


「え……あれって霊廟……? まさかあれが……」

「そんなわけないだろ。あれはヘイヴン本家の霊廟。ジャスパーを筆頭に、代々の当主と伴侶が眠ってる」

「……森の入り口を見張ってるみたいな位置ね」

「見張ってるんだよ。手記にも書いてあっただろ? 化けて出るって。不届者は賢人と歴代当主に呪われる」

「……最悪ね」


 賢人とヘイヴンの歴代当主が揃い踏み。実に陰険な祟り方をしそうだ。眉を顰めたエイダにレナルドに片眉をあげると、ソムヌスの森に視線を戻した。


「森は葉に遮られて、森の中に光は届いていないらしい」

「……らしい?」

「あぁ、僕も中に入ったことはない」

「……本当に?」

「まぁ、君と違って僕はいつか中に入るけどね」


 肩をすくめたレナルドは、嘘をついているようには見えなかった。


「君は入れなくて、かえっていいんじゃないかな。沼が点在している湿地の上に、光が届かないせいで水はけも悪い。至る所がぬかるんだ、泥土地帯らしいから」

「間伐とかした方が……」

「いいんだ。このままで。むしろこのままにしておくべきだね。いずれわかるよ」


 目を細めてソムヌスの森を見つめるレナルドの瞳は、憧憬と寂寞を宿していた。その横顔がやけに綺麗で、トクリと小さくエイダの心臓が鼓動を刻んだ。エイダもソムヌスの森へと視線を移す。


(何を守っているの……?)


 レナルドにそんな表情を浮かばせるもの。隠された歴史の真実なのか、伝説の戦神の墓所なのか。それともそれ以外の何かが、彼にそんな顔をさせるのだろうか。

 鬱蒼とした暗い森は陽光さえも遮る幾重もの葉で、そこに眠る何かを覆い隠している。まるで庇護するように。


「……風が冷たくなってきた。帰ろう」


 明度を落として朱に色を変え始めた空を背に、レナルドが手を差し出した。エイダはゆっくりとその手に自分の手を重ねた。


※※※※※


 邸に戻り食事を済ませると、エイダは部屋でレナルドの訪れを待った。

 帰りの乗馬でも食事の席でも、なんとなく浮ついて気分が落ち着かない。ソムヌスの森を直接確認できたせいかもしれない。組み替えた手に視線を落とすと、尖塔で重なった手の温もりが蘇った。

 扉に叩音が響いて、エイダはびくりと肩を震わせる。咳払いをして柄にもなく、やけにセンチメンタルな気分を振り払うと、部屋の扉を開けた。


「……悪い、遅れた。風呂に入ってて」


 ラフなシャツを申し訳程度に引っ掛け、肩にタオルをかけたレナルドから、エイダはなんとなく視線を逸らした。


「今回から長めになってくる。感想会の準備ができるまで時間がかかるようなら、食事はこの小窓から受け渡しする。完了したら青い紐を引いて僕を呼べ」


 ポタリと銀髪にも見えるプラチナブロンドを伝って、水滴が落ちた。レナルドが首にかけたタオルを引き抜いて、革張りの厚めのファイルからそっと水滴を拭って、そのまま濡れた髪をわしゃわしゃと拭き始める。


「それから……エイダ?」


 エイダの返事がないことに、レナルドは訝しげに顔を上げた。視線が合ったエイダは慌ててファイルを受け取る。


「も、問題ないわ」

「そうか? 少し顔が赤い。体調が悪いなら……」

「大丈夫よ」

「……だが」

「本当に大丈夫だから!」

「……わかった。もし体調が悪くなったら、紐を引いて知らせろよ?」

「……うん」

「それと、念の為。忘れるなよ、もう「過去」だからな」


 怪訝そうだった表情を改めたレナルドが、エイダに忠告し出ていくその背中を見送った。妙に浮つく落ち着かない居心地の悪さが、レナルドの忠告を聞き流させる。

 エイダは一人になった部屋で小さく深呼吸すると、昨日に比べて随分厚くなった手記へと向き合った。


 

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