第5話 前置きの長い遺言書(ジャスパーの手記)



「……本当にやるのか?」


 往生際の悪いレナルドに、エイダは青筋を浮かべた。しつこい。


「もちろんやるわ!!」


 そうでなければ、クソジジイに笑顔で耐えた意味がなくなる。ビリーは顔を合わせるたびにクラソン家を持ち出してきた。

 何か理由がある。この読みが間違っていて、単に嫌がらせだったとしたらそれはもう逆効果だ。なんとしてもやり遂げ、あの狸親父に一泡吹かせてやりたい。ヘイヴン一族が握る歴史を掴んでみせると、エイダは熱い闘志に燃えていた。

 レナルドは革張りのファイルを、トントンと肩で弾ませながら呆れたように顔を顰めている。


「……もしかして手記って、ほんの数枚程度なの?」


 凝った装丁のファイルに、ほとんど厚みが見えないことに、エイダは訝しげに眉根を寄せた。

 

「そんなわけないだろ。実際は書籍一冊分はある」

「じゃあ、どうして……」

「区切りで渡すからだよ。一度で全てを読めるわけじゃない。これは原本の写本で、手記の中の最冒頭の前置きにあたる。この次からはこの長さではなくなる」

「そう……すぐに読み終わりそうね」


 差し出されたファイルを受け取ろうとしたが、レナルドは強く掴んだまま離さない。ムッとして顔を上げたエイダを、レナルドが覗き込んだ。


「これを読んだらもう後戻りはできない。本当にいいんだな?」

「だから! やめないって! 言ってるでしょ!」


 力を入れてレナルドからファイルをもぎ取ったエイダに、レナルドは諦めたように首を振った。


「……その分量なら明日の朝までには読み終わるだろう。僕が部屋を出たらそのまま鍵をかけるから、今日はもう部屋を出られない」

「ええ、構わないわ」

「明日の朝食の席で感想会をする。ただ読み終わったの報告だけなら、次の手記は渡さないからそのつもりで」

「ヘイヴンの次期当主試験と同じようにってことね。了解」


 諦め悪くじっとエイダを見るレナルドに、にっこりと笑みを浮かべてやった。ぐずぐずしていたレナルドは、やっと部屋を出て行った。扉から外から施錠する物音が続く。

 そのまま廊下を足音が遠ざかると、エイダは抱えていた革張りにファイルに視線を落とした。ドキドキと俄かに心臓が騒ぎだすのを深呼吸で宥めながら、エイダはゆっくりとファイルを開くと、ひた隠しにされていた歴史がエイダの前に姿を現した。


※※※※※


 愛しい息子、娘。そして遠い未来の子孫たちへ。

 ジャスパー・メリド、改めジャスパー・ヘイヴンだ。

 息子、娘。そして未来の子孫たちよ。私はどうやらそろそろ死ぬようだ。だからその日のために遺言を残すことにした。

 だが、この遺言をただ何枚かの紙切れで遺したとして、果たして私の真意が正確に伝わるかは甚だ疑問だ。

 なぜそうするのか、どうしてそれに至ったか。結論だけを書いた数枚で、理由が薄れたものはいつしかその重要性を失うだろう。私の遺言はその理由こそが大切なのだから。

 だから私はこの遺言を遺すに至った経緯を、書き記しておこうと思う。前置きが長い遺言だと思って、ヘイヴンの血脈が途絶える最後の時まで、遺言と共に伝えていってほしい。

 何なら金に困ったら書籍として出版するといい。生きるためにではなく、守り抜くためにならば許そう。資本なくば守り通すことが、難しい遺言であることは理解している。

 息子と娘には口を酸っぱくして言い聞かせたが、何をするにも金だ。そして権力だ。私ができる範囲で基盤は整えておいたから、それらを活用し大いに繁栄しなさい。余剰ができたなら、それは好きにすればいい。

 ヘイヴンの本分を忘れ贅に溺れるようならば、私は即座に化けて出る覚悟だ。そこら辺はよく肝に命じておくように。


 「ヘイヴンの奇跡」から三十年。

 私の命の恩人で、最高に気難しい上官のセス様は、戦神・セスとして名を遺している。

 副官だった私は賢人・ジャスパーとか言われているが、半分以上はセス様のせいだ。私の功績にされている戦略のそのほとんどが、セス様の興したものだからな。

 これを読むお前は、ヘイヴンの奇跡から何年先の子孫だろうか。できるだけ遠い未来の子孫であればいい。それだけ誓いを守り続けた証となるのだから。

 今お前が生きる時代では、セス様は今もなお歴史に足跡を残されているのだろうか?

 その足跡は私が知るものと同じなのだろうか? それとも大きく様変わりしているのだろうか?

 あるいは大河の一滴として忘れ去られているのかもしれない。

 それでも構わない。我々がすべきことは何一つ変わらないのだから。


 私はバラカルト王朝歴二百六年に、貧乏子爵家の五男として生まれた。

 もうこの時にはすでに、隣国とは国境線で火種を燻らせていた。それが後の侵略戦争に発展することになる。呆れたことに、戦争となった最初のきっかけは誰も知らない。おそらく王家も知らないだろう。

 私が生まれる十年も前から、国境線では小競り合いが続いていたらしい。その小競り合いは年々激しさを増し、私が六歳になった年の大飢饉で一気に本格化した。

 隣国も見舞われた飢饉は、日頃から揉めていた気に入らない隣国からの、略奪を正当化する理由になった。

 国境線のいざこざから侵略戦争に発展した戦は、飢饉から十年の時を経ても決着しないほど泥沼化した。飢饉への対策を講じるのではなく、略奪し奪い取るための戦争に国庫を注ぎ込んだ、王家と高位貴族の政策のせいで。

 日照りが緩和しても戦争優先の政策は、田畑は荒地のままにした。民は飢えて次々と死んでいく。

 王家と高位貴族は失策から目を逸らし、門扉を固く閉ざして享楽に耽った。あまりの惨状から逃避し、栄華を誇った過去に生きることを選択したのだ。実に愚かしい。

 王国は腐臭に満ちていた。熟れ過ぎた果実が腐り落ちる寸前に放つ、胸が悪くなるような甘い腐臭。

 私も実りのない田畑を捨てた者たちと同じように、成人前の十六歳で国境の街「ホライン」を目指した。

 生きるために死地に向かう皮肉さ。侵略戦争の最前線、国境の街「ホライン」には失策を認めない王国からの、配給がまだかろうじて続けられていて、そこにしか食料はなかった。

 貴族家に生まれたおかげで、読み書きができる私は国軍の資材部の事務として配属された。武官として役に立ちそうになかったが、正解かもしれない。

 ホラインへ従軍し二年を生き延びた。

 そして忘れもしない十八歳になった翌日の深夜、基地の城門が突如爆破された。隣国からの奇襲攻撃。目的は物資の略奪。

 基地全体が衝撃に振動し、土煙がもうもうと上がる。その粉塵が収まらないうちに敵兵が雪崩れ込んでくる。

 悲鳴と剣戟があたりを包む中を、私は脱兎の如く走り抜けた。同僚だった者たちの死体を飛び越え、助けを求める悲鳴を無視して。

 あっさりと制圧された基地から、物資が運び出されていく頃、私はとうとう追い詰められた。

 目的を果たしても敵兵たちは、虐殺をやめなかった。捕虜となれる可能性は皆無だった。隣国も飢えに苦しんでいる。捕虜など養う余裕はないのだから。殺すか殺されるか。この戦場ではいつもその二択しかなかった。

 私はニタニタと狂気じみた笑みの敵兵が、振り上げた血まみれの剣先を見つめた。月明かりに照らされて鈍く光る刃先に、自分の命運がここで尽きるのだと覚悟した。目を閉じかけた時、ギンッと鋭い金属音が鳴り響き、私は瞳を見開いた。

 視界に身の丈六フィート(百九十センチ)を超える男が立ちふさがっていた。

 私の命を狩ろうとしていた兵士が、無表情の大男の振り上げた大剣に斬り捨てられ、眼前が血飛沫で赤に染まる。


「奪え」


 生ぬるい血飛沫を浴びながら呆然とする私の耳が、ぞくりとするほど低い冷ややかな声を聞いた。

 引き連れていた数名の兵士が、物資を運び出していた敵兵へと突撃し、大男も踵を返すと大剣を振り上げた。

 荷物を抱えた者たちはあっさりと制圧され、基地内を蹂躙していた武装していた敵兵も、易々と振り回される大剣の前に倒れていく。

 戦神・セス。それが私と彼との出会いだった。

 生き残った基地の駐在者が呼び集められる。物資の確認やら被害状況に兵士達が走り回る中、取り戻した物資を物色しているセス様に近づいて、まずは命を救ってくれた礼を述べてみた。無視された。名前を尋ねてみた。無視された。

 私を完全に無視しながら、物資を漁り続けるセス様に気まずくなりながら、せめて階級章でも確認できないかと注視して、私はそこで初めて気がついた。

 セス様は階級章を持つ正規軍ではなく、傭兵腕章をつけた金で雇われる傭兵だということに。みれば装備も随分とみすぼらしい。

 その強さと判断力、溢れ出るカリスマ。てっきり司令官クラスを予想していた私は呆然としたが、日持ちしない粗悪な軍事食を持ち去ろうとしたセス様を咄嗟に止めた。セス様はそこでようやく私に振り返った。

 散々無視された私だったが、この基地で物資管理をしていたことが役に立つ。

 やっと向けてもらえた注目をモノにするため、私は装飾品や品質の良い防具の保管場所、軍事物資の在処を聞かれてもいないのにペラペラと喋り倒した。

 セス様は頷くと、早速普通に軍事物資をパクり出した。私もせっせとそれを手伝った。手伝いながらセス様が連れてきた国軍が、壊滅した軍の生き残りで、勝手にセス様にくっついてきた奴らだと聞き出せた。まぁ、気持ちはよくわかった。

 圧倒的な武力とカリスマ性が、セス様の側が最も生き残れる道だと悟らせたのだろう。

 かく言う私もその一人だ。すぐさま軍を辞してセス様についていくことを決めた。私はこの時から山賊のように物資を漁る、セス様の副官を勝手に名乗り始めた。

 子孫たちには悪いが、別に私は副官に任命された訳ではない。読み書きができる強みと命の恩人を盾に、ゴリ押して勝手に副官と名乗り続けただけだ。

 生きるために必死だった私の決断は、とても正しかったよ。

 軍を辞してセス様の副官となったからこそ、私は終戦まで生き残り今こうして子孫たちへ、前置きの長い遺言書を書いているのだから。

 

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